お祝い企画



Long night


や、やっぱり仕事…。
シフト表を見ながら、あたしはため息が出た。
もしかしたら仕事かも…と思っていたのと、本当に仕事なのを確認した今の気持ちとでは天と地との差がある。
ナースステーションに入江くんが入ってきた。

「い、入江く〜〜〜ん」

半泣きで入江くんに詰め寄る。

「っだよ、うっとおしいな」

う、つ、冷たい。

「仕事なの〜」
「はあ?当たり前だろ」
「違うの、クリスマスイブも、クリスマスも仕事なのっ」
「…ああ、そのこと」

あたしには構わず患者のカルテを広げて机に向かう。

「残念だったな」
「ううっ、入江くんと一緒に過ごそうと思ったのに」
「ま、がんばれば?」
「そ、そんなぁ…」
「俺も仕事だし」
「ええっ」

それじゃあ、イブに二人、病院で過ごすのもあり、じゃない?
キャリアを持った二人にふさわしいイブじゃない。
素敵なイブに仕事をしながら、それとなく見つめ合って、人目を気にしながら秘密のキスを交わすの。
でも、表面上はバリバリ仕事をこなしていて、仕事が終わったときには夜が明けて…。
とんだイブになっちゃったな…なんて、なんて…。

振り返ると、入江くんはすでにナースステーションから出て行った後だった…!

「ばっかねぇ、あんた」
「う、モトちゃん」
「どうせ仕事中に入江さんに会えるからとかなんとか、またくだらない想像しちゃってんでしょう」
「な、なんでわかるの?」
「だから、おバカだって言うのよ」
「へ?そういえばモトちゃん去年クリスマスに仕事だったけ」
「そうよぉ」
「…なんかあったの?」
「聞いてないの?」
「うん」
「はー、ホント幸せものね、あんた」
「えー、なに?なんなの?」
「ま、やってみればわかるわ」
「そんなぁ、ねぇ、モトちゃん!」

モトちゃんはなにやら意味ありげに笑ったけど、それ以上は教えてくれなかった。
それからしつこく聞いたけど、モトちゃんはおろか、他の先輩たちすら教えてくれなかった。
でも、どうやら何かあるらしく…。
や、やだなぁ。
結局、入江くんはイブに当直で、クリスマスの日は学会なんだって。
あたしもイブは日勤、クリスマスは夜勤入りで、夜勤終わって家に帰っても学会でいないんじゃ、さみしいクリスマスになりそう。
願わくば、夜勤のときに当直の入江くんと会えますように。

 * * *

日勤は無事に過ぎた。
別にいつもと変わりない。
何が違うんだろう。
あたしは一度家に帰って、夜勤のためにまた出てこなければならなかった。
華やかな街並みを横目に一人さみしく家路に着くと、お母さんがさみしそうに言った。

「本当に今年はお兄ちゃんもいないし、裕樹も出かけるとか言ってるし、パパも仕事だし…」
「でも、あたしはクリスマスは夜勤明けで家にいますから」
「だって!お兄ちゃんがいなければ意味がないのよっ。かわいい琴子ちゃんとの二人のクリスマスが〜」
「そ、そうですよねー」
「そうよっ。お兄ちゃんたらこんなときにまで学会だなんて!」
「学会に出る人だってクリスマス過ごしたいはずですよね」
「そうだわ!今度こそ何とかして学会つぶせないかしら」
「そ、それはちょっと…」
「もしくは新幹線止めるとか…」
「お、お義母さん…」

お義母さんをなだめてから、あたしは仮眠のためにベッドにもぐる。
家で楽しくクリスマスパーティをしたり、二人でディナー食べに行ったりとかしたかったな。
入江くんも今頃仕事してるのかと思うとなかなか寝付けなかった。

「琴子ちゃん…」
「あれ、お義母さん?」

あたしは時計を見た。
うわっ、もう行く時間だ!

「ち、遅刻する〜」
「よかったわ。なかなか起きてこないから、心配になって」
「あ、ありがとうございます」
「今ならまだ電車も間に合うわよ」

あたしは急いで出かける支度を整えた。
あっと、プレゼント。
入江くんへのプレゼントを大事にカバンに詰めた。
入江くんたらそのまま学会に行っちゃうって言ってたし。

街に出ても電車に乗っても楽しそうなカップルばかりでうらやましい。
それに病院にいく道すがら、酔って騒いでいる人の多いこと。
誰も浮かれまくっている。
あたしだって、あたしだって、仕事でさえなければ素敵なだんな様と…!

 * * *

病院に着くと、なんだか救急外来は騒がしかった。
病棟に着いても先輩たちはなんだか殺気立っている。

「お疲れ様でぇす」

おそるおそる声を掛けると、先輩はとても機嫌が悪かった。

「全くどいつもこいつも…」
「どうかしたんですか?」
「いいけどね、毎年のことなんだから」

なんだか意味不明なことをつぶやいている。

「ああ、申し送り始めるわよ」
「はぁ」

そして意気揚々と先輩は帰っていった。
これからデートなんだって。
あたしは残された別の先輩と二人、夜勤を引き継いで仕事が始まった。
先輩はため息をつきつつ、うんざりしたように言った。

「入江さんとか…。とにかく、迷惑掛けないでね」
「掛けないつもりですけど」
「どうだか」
「それに今日は入江くんも当直だし」
「…その入江先生、救急外来で、もっの凄く忙しいらしいわよ」
「そう言えば…」
「救急隊員もよく知ってるのよねー。どこの病院の当直に回せば助かる見込みが高いかとか」
「そりゃあ入江くんは優秀ですもん」
「うん、だからね…」

先輩の言葉に電話のベルが重なる。

「ほら、来た」

先輩は嫌そうに電話に出る。
なにやら入院がありそうな会話をして、あたしを振り返った。

「入江さん、今から腹部裂傷の入院ね」
「今から??」
「そうよ。序の口よ、こんなの」

ばたばたと入院患者のベッドを用意することになった。
腹部裂傷の患者は、酔ってお店の看板にぶつかってガラスで切ったのだと言う。
救急外来で呼ばれた入江くんは、とりあえず縫合をして入院させることにしたらしい。
入江くんよりの上の先生は、救急外来から離れられないほど忙しいらしい
その入江くんに会ったのもつかの間、言葉を交わせないまま、またもや呼ばれて救急外来へ。
隣の第2外科病棟でも同じようにばたばたとしている。
どうやら、モトちゃんが言っていたのはこういうことらしい。

「入江さん、そっち終わったら、今度は手術室まで行ってくれる?」
「ええっ!」
「硬膜下血腫の患者のオペ後見ることになったから」
「だって、それ脳外科…」
「ベッドが空いてないらしいのよ」
「もしかして…大蛇森先生とか…」
「ああ、そんなこと言ってたわね。あなた一人じゃ無理だから、病棟まで付いてきてくれるって」

う、うわ〜〜。

あたしは大蛇森先生に散々嫌味を言われつつ、なんとか病棟にたどり着いた。
それが済んだら今度は…。

「入江さん、メリークリスマス〜〜」

大部屋に見回りで入った途端、ぱっと電気がついて患者さんがクラッカーを鳴らしそうな勢いだった。

「な、何やってるんですか、こんな夜中に!!」

目がちかちかしたままそう叫ぶ。

「だって、つまんないじゃーん」

術後の若い患者ばかり入った通称若者部屋には、イブに外出も外泊もかなわなかった患者が寄り集まっていた。

「さっきの河合さんなんて『早く寝なさいっ!』て一括されただけで相手にもしてくれなくてさ」
「あの、あたしも凄く忙しいんだけど」
「まあまあ、そんなこと言わずにさ、もう夜中だからお仕事ないんでしょう」
「…ないわけないでしょっ」
「えーそうなの?」
「そうなんですっ」

あたしは若者部屋から足音も高くナースステーションへ戻った。
もう、浮かれすぎなのよ、どいつもこいつも。
自分もついこの間まで浮かれていたことなんて、どこかへ行ってしまった。
世間が楽しんでもあたしが楽しくないんじゃ仕方がないじゃない!
入江くんに会いたいよ〜。
それからも、ナースステーションへ来ても風のように去っていってしまう入江くんを追いかけたい衝動に駆られながら、あたしは仕事をこなした。
このまま続くの?いつまで続くの?
なんだか、理想と違う〜。
こんなはずじゃ…。
は、早く朝よ、来〜い!

 * * *

怒涛のように夜は過ぎ去った。
朝日を目にしてやっと落ち着いた病院内をあたしは見渡した。
も、もう、来ないわよね、入院に術後の患者。
いくらなんでも、もう朝だし。
本当にとんだクリスマスだったわ。
休憩室で疲れて座り込んでいる先輩を置いて、ちょっとだけ渡り廊下まで出た。
渡り廊下からは救急外来の入り口が見える。
入江くんはまだ救急外来かなぁ。

「はぁ、もどろ…」

振り返ると、何かにぶつかった。

「いたっ」

いたたたた…。は、鼻が…。
鼻を押さえて顔を上げてそのぶつかった正体を見る前に、あたしは何かに包まれた。
消毒薬の匂いと慣れた匂い。
目の前の白いのは…白衣?

「い、入江くん?」

あたしはその広い胸を押して腕から抜け出そうとしたけど、力強いその腕はあたしを放すどころかますますぎゅっと抱きしめた。

「メリークリスマス」

耳元でささやくその声は、まぎれもなく入江くんだった。

「入江くん、入江くん、入江くん!」

もっと他に言いたいことがあったのに、それ以上何も言えなかった。

「あと少し、がんばれよ」

あたしの耳にキスを一つに残して、入江くんはまた行ってしまった。
ボーっとしたあたしの目に映ったのは、廊下の先を曲がっていくひるがえった白衣の後姿。
そしてポケットに残された何かの包み。
いつの間に?
包みを開けると、それはプラチナのチェーンだった。
ペンダントトップは何も付いていなくて、どうやら何か別のものをつけるためのもののようだった。
入江くん…。
仕事が終わったら、真っ先に入江くんに会いに行こう。
学会に出かけてしまう前に。

 * * *

お、終わった〜〜!!
仕事が終わったその足で、あたしは入江くんを捜して病院内を駆け巡った。
いざとなったら恐れ多い医局まで行くわ。
そうして院内を捜したところ、入江くんと一緒に当直をしていた先生が、入江くんは当直室にいると教えてくれた。

「入江、がんばってたよ。ねぎらってやってくれ」

当直室の鍵は開いていた。
中をそっとのぞくと、入江くんはイスに座ったまま目をつぶっていた。
…寝てる?
そっと中に入ると、目を閉じた顔は疲れきっていて、つかの間の休憩をしているようだ。
出発まであと1時間もない。
そろそろ起こさなきゃダメかな。
でも、こんなによく寝てるのに。
あ、そうだ、プレゼント。
あたしはカバンからプレゼントを取り出すと、入江くんの白衣のポケットにプレゼントの包みを入れた。

「入江くん、メリークリスマス」

そっとささやくと、入江くんはかすかに身動きした。
なんとなく起こすのがかわいそうで、そのまま当直室を出て行こうとした。
本当は目の前でお礼も言いたかったし、ぎゅっと抱きついてキスしたかった。
でも、それは学会から帰ってきてからゆっくりとすればいい。
だって、こんなに入江くんがんばって、こんなに疲れてるのに、その足で出かけなきゃいけないんだし。
邪魔するばかりが妻の愛じゃないよね。
当直室のドアに手を掛けた瞬間、腕をつかまれ、力任せに引っ張られた。

え?

一瞬何が起こったのかわからなかった。
引っ張られた先は入江くんの腕の中だった。

「琴子…」
「入江くん?!」

起きてたの?
そう言おうとした口をすかさずふさがれた。
甘いキスを受けながら、院内であることを思い出した。
思わず目を開けると、入江くんと目が合った。
入江くんはあたしと目が合うと、くすっと笑って言った。

「とんだクリスマスだったな」
「う、うん!」

あたしはなんだかこみ上げてくる涙をこらえきれずに言った。
見慣れているはずの入江くんが、なんだか恥ずかしくて見られない。

「あの、あの、プレゼントありがとう」
「ああ、渡す暇ないと思ったから。まさか今目の前にいるとは思わなかったけど」
「お礼、言いたくて」
「これで指輪無くさずにつけられるだろう。付けたり外したりしなくて済むし」
「あ…」

だから、何も付いていなかったんだ。
入江くんはチラッと時計を見た。
もう、行かなきゃね。
あたしをゆっくりと放して白衣を脱いで、プレゼントに気がついた。

「これ」
「あ、うん。プレゼントなの」

黙って包みを解く。
中からはあたしが散々迷って選んだ万年筆。

「い、入江くんの趣味に合わないかもしれないけど…ほ、ほら、この間先がつぶれて使いにくいって言ってたから」
「ありがとう。琴子にしてはよく覚えてたな」
「お、覚えてるわよ、それくらい」

入江くんのことだもん。
どんどん電車の時間が迫っていた。
入江くんは包みをカバンに、万年筆を背広の胸ポケットに入れると、白衣と背広を片手に立ち上がった。

「途中まで一緒に…」

そう言いかけたあたしに入江くんはもう一度時計を見た。

「来なくていいよ」
「だって」

少しでも長くいたいんだもん。

「今来られると困る」
「な、なんで?」
「このまま家に帰りたくなるから」
「え?」

入江くんはドアを開けてから、空いていた手にカバンを持った。

「寝込みを襲われても困るし」
「な…襲わないわよっ。今だって襲ってなんかっ…」

入江くんは振り向いて笑った。

「じゃあな」
「入江くんたら!」

エレベータに乗り込む入江くんを見送った。
いってらっしゃい。
帰ってきたら、いっぱい、いっぱいキスをしようね。
まあ、たまにはこんなクリスマスもありかな?

(2004/12/23)