坊ちゃまとあたし クリスマス特別編



聖夜の奇跡


あれはまだ俺が例の姿をしていた時だった。
もう今となっては思い出したくもない記憶だ。
しかし、忘れたくはない、忘れられない記憶でもある。
その日、俺にとってはさほどうれしくもないクリスマスパーティの日だった。
今なら理由がわかるが、男なのに女の格好をさせられていた幼少時は、親戚にほとんど会うことがなかった。
これは咎められるだろうとわかっていた俺の母が、あえて親戚付き合いを減らしていたためだ。三歳まではほとんど両親の仕事の都合でイギリスやフランスなどの海外について行っていたためでもある。まあ、それも都合のいい言い訳の一つだったのだが。

とにかく、クリスマスパーティの夜、華やかに飾られた部屋には大勢の客が来ていた。
俺はきれいなドレスを着せられて、誰かに紹介されるでもなく屋敷の中をうろついていた。
招待された様々な人たちの中で子どもはほとんどいない。
唯一目についたのが何を見ても「うわあ」としか言わないちょっとバカっぽい小中学生くらいの女が一人。
しばらくテーブルの下でぼんやりとしていたら、ちょうど降り出した雪が気になって庭に出ることにした。
テラスに行く途中で横から出てきた女が俺にぶつかった。
何せその時は三歳の小さい子どもだ。
足元をしっかり見ていなければぶつかっても仕方がないとは言える。おまけにその時まだ未成年のそいつはあろうことか酔っていた。
「ああ、ごめんごめん。お詫びにジュース持ってきてあげる」
「…いらない」
「そんなこと言わずに、ね」
退屈していた俺は、そこまで言うならとあっちにいるからと庭の方を指した。
「オッケー、わかった。そっちに行くね」
そう言ってやや不安な足取りで手伝いの者からジュースを二つもらうと、その女は庭へとやってきた。
「一人でどうしたの?あ、あたしも招待されたんだけど、なんだか全部すごすぎて〜」
徐々にろれつの回らない口調になってきていた。
「そりで〜、お食事しれ〜、ユース飲んれー、そしららなんらか気持ちよくなっれきらろぉ」
「それ、よってる。おさけのんだんだよ」
「えー、そっかなー」
そして振り向きざまにグラスをひっくり返した。
「うわああ、ご、ごめん。ごれんらさい」
思いっきりジュースを俺にぶっかけた。
いつもなら目を離さない渡辺は、渡辺の父とともに客人の世話で手一杯だった。
慌てた女は何故か自分のスカートで俺の服を拭いた。
そして、それじゃダメだと気付いたせいか、「早く服を脱いでしみを…しみを…」と俺のドレスを脱がせにかかった。
やめてという前にこの寒空の下、ドレスのファスナーを下げた。
それでも幼児というのは一部を除いて男女の見分けがつかないわけで。
女は最初はあまり疑問に思わなかったらしい。
自分で言うのも何だが、その時は完璧な少女姿だったからだ。
一つくしゃみをすると、ようやく気付いたらしく、俺の手を引いて庭から部屋の中に戻った。ちなみに最初にいたのとは違う部屋だ。相当慌てていたらしい。
あわあわしながら俺の服を脱がせ、そばにあったクロスを手に取って熱心に体の汚れと服を拭き始めた。
「…もういいよ」
そう言っても「れも、れも、あらしのせいで」と言ってきかない。
そしてふと気が付く。男女の違いを。
「あっれー、女の子じゃなくて、男の子らった〜。そっかそっか〜。そういうのが流行りか〜」
今ならそんなわけないだろと全力で突っ込むところだ。
「じゃあ、あらしは〜、男の子のかっこうすればよかっらのか〜」
「これって、おかしいの?」
「…おかしくはない、と思う。らって、こんらにかわいいんらもの。よく似合ってる」
「…なおちゃん、おんなのこじゃない?」
「…うん、そうらね。このかっこう嫌?」
「…いやじゃなかったけど…」
その時、俺は初めてこの格好に大いなる疑問を抱いた。
男だとか女だとかは関係なく、格好とか、褒められればそれでよしと思っていたからだ。
「きっとそのうちわかるよ。男の子のかっこうが好きない人もいるし、女の子のかっこうが好きな人もいるよ。どっちでもいいよ。好きな方選べばいいよ」
「すきなほう?」
「うん、好きなほう。嫌ならやめてもいいんらよ。だからあらしも…あらし…も…」
そう言って、その人は眠ってしまった。
俺は驚いて人を呼びに戻ると、人の良さそうなおじさんが「琴子、こんなところで」と起こしたのだけど「らって〜、まらデザーロ食べてなーい」と暴れた。文字通り、おじさんの抱き起す手を突っぱねて、完全に寝入るまで。
この話を聞いた母から、多分その後パーティのケーキを山ほどおじさんは持ち帰らされる羽目になったと思う。
この時の琴子は、完全に酔っぱらっていた。
ゆえに後になっても全く思い出せない事態に陥った。
おじさんは忙しい年末でゆっくり話す暇もなく、その話は恥をかいた逸話としてちょっとした笑い話程度だったという。
俺はこの日を境に盛大な我がままを言った。
初めて女の子の格好が嫌だと突っぱねたのだ。
女の子の格好を喜んでさせていたのは主に母だけだったので、父はほっとしたようだった。
表向きは、パーティの招待客に男であることがばれてバカにされたから嫌だという理由になった。
俺の記憶に残ったのは、琴子という名前のちょっとバカっぽい女。それから料理人の琴子の父。
嫌なことは嫌だと言っていいんだと、好きな方を選べと言った言葉。
世間的にはちょっと金持ちで、今まで何でも望みが叶えられる家に生まれて、たいていのことには困らない。
それでも、母に言われるままにしていた女の格好が嫌だったなんて思いもしなかった。そういうものだと思っていたからだ。
この日を境に俺は言いたいことを言う、我がままで頑固な子どもになった。
もう愛想笑いをするのはやめたし、不機嫌さを隠すこともやめた。
しなくても大丈夫な嫌なことはしないことにした。
しなければならないことを除き、したいことをすることにしたのだ。
お屋敷のお嬢ちゃんが坊ちゃんに代わるだけでも劇的だった使用人にとって、いきなり扱いにくい子どもになったに違いない。
おまけにしばらく母と口をききたくないと怒っていたがために、母は三歳になった俺を日本に残して海外とを行き来する生活になった。
それがショックだったのか、それとも海外渡航生活のためか、弟の裕樹が生まれるのはそれから更に間が空くのだった。

(2016/12/12)