ボーイズトーク4




世間はバレンタインだ。
バレンタインなんてお菓子会社の陰謀だ、とA組男子は憤る。
とは言うものの、わずかにいるリア充にとってはうれしい日。
それ以外の面々は通学途中で何かあるかもという期待感は、学校の門をくぐった瞬間に打ち砕かれた。
いや、まだ今日は始まったばかりじゃないか。
どうせ…という気持ちを前面に出しながらもほのかに淡い期待感はしつこく残っている。
これはきっと家に帰って日付が変わる瞬間まであるのだろう。
そして日付も変わって、誰からも電話もなければこっそり誰かが家に来るというサプライズもないということが決定的になって、やっぱりなという自嘲とともに布団にもぐるのだ。
いや、いいんだ、毎年のことだし、とかなんとかつぶやきながら。
そんなA組男子が毎年見る光景は…。

「…すごいな、毎年」
「ああ、さすがだな」
「そりゃ俺だって女なら俺よりも入江に行くさ」
「性格は見ただけじゃわからないしな」
「…あ、ふられた」
「あ、もったいない」
「うわ〜、B組のエンジェルが」
「げ、二年で一番のかわいこちゃんが」
「はぁ、やっぱりあの美人も…」
「おい、OLだぜ、あれ」
「ばあちゃんまで」

何となく校門を入ったところで後ろのざわめきに目をやれば、その中心にはあの入江。
半眼状態でさも面倒そうに立っている入江。
ありがたみも何もない顔をして、群がる女どもをばっさばっさなぎ倒す勢いの入江。
俺だったら、困りながら逃げつつもつい受け取ってしまったり…とそれぞれが想像たくましくする。
傍に来た渡辺が近寄れないほどだが、その渡辺にも声をかけるやつが。
でも油断はならない。
渡辺はどちらかというと入江のメッセンジャーバブルだ。

「気の毒にな、渡辺」
「自分にじゃないところがな」
「でもつい引き受けそうになってるのが渡辺だよな」
「いや、あれでにっこり笑って断ってるぞ」
「あ、入江が」
「うわ、こっち来た」

すかさずA組男子が道を開ける。
入江とともに何故か渡辺まで一緒に走って逃げる。
これであの美人もOLもばあちゃんも校門の中には入れない。
斗南生は追いかける者もいれば諦める者も。
まさにアイドル。
斗南一、いや、この街一番のモテ男かもしれない。
それをA組男子はぼーっと見ていた。

「何で今日登校日なんだろう、俺たち」
「そりゃ昨日T大入試があったからだろ」
「…そう言えば、今日は相原の姿がないな」
「珍しいな」
「うん、バレンタインなのにな」
「F組は入試関係なさそうだし、こういう日じゃないと来なさそうだけど」
「は、まさか」
「まさか?」
「家で待ってるわ、とか」
「いや、相原はどちらかというと蹴散らすだろ」
「そうか。それならどうしたんだろうな」
「俺、もらえるなら相原でもいいな」
「無理だろ」
「無理だな」
「どう見ても相原は入江一筋」
「それに絶対面食いだ」
「そうか、無理か」
「え、もしかしてちょっと本気だった?」
「…あ〜あ、誰でもいいからくれないかな、チョコ」
「そんな節操もない」
「でも本音だな」
「うん」

そしてその後、入れ代わり立ち代わりA組に訪れる女子のほぼ全てが入江に向かっていく。
授業の合間には全く呼び出しに応じないばかりか机の中に入れる隙も作らせない。
こっそり忍ばせられた(それもかなり手練れな感じだが)チョコに対しては容赦なく捨てた。
さすが強者、入江。
A組男子はうらやましくもあれ、だんだん気の毒になってきた。
しかも今日の渡辺は必要以上に入江と一緒にいる。これでますます一部の女子からゲイ説が噂される。
でもそれも理由があるのだ。入江向けのチョコ預かりを避けるためで、入江の厳命だ。
もちろんこれで本当に渡辺に本命を渡したい女子がいても排除されてしまう。
気の毒な渡辺。
A組男子は思わず憐みの目を持って渡辺を見てしまう。
それとは別に衝撃な事実が判明する。

入江が、T大を、受けていない?!

これはこれでバレンタインの衝撃だ。
先生たちが大騒ぎだ。
T大を受けずにどこ行くんだ。
しかも何故あんなにも平静なんだ。
A組のどよめきをものともせずに平然としている入江。
いや、もうこれバレンタインどころじゃないな、と騒然となる教室内。
職員室に呼ばれて詰問されることになった入江。
その間にそれとばかりに女子が机に群がる。
…怖い。
たちまち入江の机はチョコで埋め尽くされた。
そして別の噂も。
相原と同じ斗南大に行くためにT大を蹴ったらしいと。
まさか、そこまで?
真相は渡辺も知らない。
でも多分後には教えてくれるだろうことを期待する。
あ、入江が戻ってきた、と注目されるが、教室に入った瞬間にものすごく不機嫌になった。
机のチョコを見たのだろう。
その足で再び教室を出ていくと、次に戻ってきたときには紙袋を持っていた。職員室でもらってきたらしい。
机から零れ落ちているチョコも残らず紙袋に放り込むと、その辺に立っていたA組男子に「やる」と言って手渡した。ごみ箱に捨てたチョコを見てもったいないとつぶやいたやつだ。
紙袋およそ三袋分。何せ本命なのでどれも箱がバカでかい。ラッピングも気合が入っているせいかかさばるのだ。その中でも小さいのはブランド品のチョコだろうか。
呆然として断ることもなく紙袋を受け取った男子は、そのまま帰り支度をして本当に帰ってしまった入江をただ見送った。
いや、人がもらったチョコをもらってもどうすれば…という戸惑いも入江は全く気にせずに帰っていった。
きっと帰り道も大変なんだろう。
一度でいいからそんなバレンタインを送ってみたい。
A組はT大入試もものともしない孤高に輝く一人の戦士を黙って見送ったのだった。

(2015/07/24)