ボーイズトーク5
試験もほぼ終わり、進学する者、浪人する者、それぞれが進路をほぼ定めた頃、それはまことしやかにささやかれた。
『奇跡と呪いの御札』
初めてその噂を聞いた渡辺は大声で笑って「ああ、あれね」とうなずいた。
「そりゃものすごい効果だよ」
あの渡辺が、大声で笑うそのことだけでもA組男子たちは目が点だった。
渡辺は、いつもあの仏頂面の入江の傍に静かに立っている、というイメージだったからだ。
そもそも入江自体がうるさいのを好まない、らしい。
とは言うものの、最近は相原と同居するようになって多少の耐性はついたらしい。
騒がしさの点で行けば、F組の相原の右に出るものはないだろう。
ひとしきり笑ってから、渡辺が話してくれたことによると、奇跡と呪いの御札は、正確には御守りだという。
「御守り?」
「御札じゃないのかよ」
「俺、来年はもらいに行こうかと思ったのに」
「ああ、おまえは医学部受けるのに浪人にしたんだっけ」
「そうだよっ、悪いか」
「いや、T大医学部受けるんだから仕方がないだろ」
「入江がそんな霊験あらたかな御守りを持っていても、宝の持ち腐れだよな」
「ところが、あの入江が青ざめるほどの効果があったんだ」
「どんな?」
あのセンター試験の日、渡辺は入江と一緒に会場に行こうと駅で待ち合わせとなったらしい。
そこまでは良かった。
電車に乗ったら、あの御守りがなんと電車のドアの隙間に挟まり、降りるべき駅で入江は降りられなかったのだ。
でもその駅から先はなかなかドアが開かない。
御守りの紐を引きちぎろうとしたが、かなり頑丈だった。まるで入江から離れるのを拒むように。
やっとのことで会場に着いた入江を待ち受けていたのは、階段落ちだった。
受験生に階段落ち。
入江でなかったら大悲鳴だろう。いや、入江でもかなりのダメージだった。
その後、入江は試験で使うシャープペンの芯がバキバキに折れていることに試験中に気付き、親切な隣の席の人が貸してくれなければ一問も記入することなんてできなかったらしい。
これは奇跡なのか呪いなのか。
これで終わりと思ったら大間違い。
午後になり、ようやく落ち着いて試験を受けられるかと思えば、その日の朝飲んだ風邪薬が原因の強烈な眠気が入江を襲う。
眠気と戦いながら、最後は半ば勘で解答用紙を埋めたという。
おまけに階段落ちで失くしたと思っていた御守りは、なんと親切な救護係の先生によってそっと胸ポケットに返されていたという。
「ちょっと待て。入江って、確かセンター試験ほぼ満点近いトップだったんじゃ…」
「そうだったね。僕も驚いたよ」
「…え、それって、御守りの力?奇跡ってこと?」
「いや、呪いだろ」
「ただ入江がすごいって話じゃないのかよ」
「でも午後の風邪薬は入江のせいなんじゃ…」
「それは…うん、相原さんが…」
「…相原かよっ」
「ただの厄病神じゃねーか」
「それともセンター試験失敗しろってか」
「わたしと一緒に斗南大へって?」
「うわーこえーな」
「じゃあやっぱり御守りのお陰だろ」
「あ、言うの忘れてたけど、その御守りも実は相原さんの手作りだったんだよ」
A組男子たちから声にならない悲鳴が聞こえた、と渡辺は思った。
「呪いだ」
「奇跡だ」
「どっちでもいいけど、相原はやっぱパスだな、俺」
「何か、こえーよな」
「相原の呪い?」
「でもそれに打ち勝つ入江って」
「…ほんとうにすげーやつだな…」
「あ、だよね」
渡辺は思わず一緒になってうなずいた。
「僕は何となく入江と相原さんは一生そばにいるような気がしてきたよ」
「ないだろー」
「ないない」
「そりゃ傍にいるかもしれないが、そばにいるイコールじゃないしなー」
「まあ親同士が親友なら、同居が解消されても会う機会はあるかもしれないが…」
「でもなー、相原だもんなー」
そう言ってA組男子たちはひとしきり御守りの効能について議論した後(結局は入江の強運勝ちということになった)、その強運を身につけるには、という議論にうつっていった。
まさか渡辺が言った言葉が、そのわずか数年後に現実のものとなろうとは、この時の誰も予想は出来なかった。
そしてもちろん「やめろ」と盛大に力いっぱい否定した彼さえも。
これは奇跡なのか、呪いなのか。
(2015/08/18)