ガールズトーク4




大口を開けてカツ丼頬張ろうとしている彼女を横目に、彼は小さな口を開けてスパゲティをフォークで丸めて入れた。
性別上、彼女は女で彼は男だった。…が、多分誰に聞いても彼のほうが美人で色っぽいと言うだろう。性別を越えたものだけが身にまとう異なるものの美しさ。
その周りでつまらなそうにピラフを食べるお色気たっぷりの女が一人。こちらはどちらかというとわかりやすい色気だ。少し厚めの唇を突き出せば、ふらふらとついたいていの男が許しそうな、女にはどちらかというと反感を買いそうな女。
丁寧に定食の魚を箸でほぐす清純そうな微笑を浮かべた女がもう一人。一番ふさわしい単語は天使、だろうが、時としてその天使も悪魔に変わる瞬間があることをごく普通の男はなかなか見抜けないものだ。
不機嫌そうにカレーライスを食べているこれまたなかなか美丈夫の男が一人。それでも先ほどの彼ほど色気があるわけでもなく、どちらかと言うと和風な雰囲気だ。すっきりとした爽やかで、少しだけ暑苦しい熱心さを持った瞳。恐らく体育会系の精神だろうと思われる。
そんな面々の中で、まだまだ子どもっぽさを醸し出しているにもかかわらず、唯一の既婚者である彼女。いったい何がどうしてそうなったのか、初対面の人間なら興味津々な夫がいるのだ。
それなのに、どうしてここまで無邪気にいられるのだろうか、と彼は興味深く見つめる。
色気がない。どちらかというと胸もないので童顔グラビアアイドルにありがちなアンバランスな魅力とやらも持ち合わせていない。
危なっかしくて、年上かと思うくらいの間抜けぶり。
そこがいいのかと聞かれれば、どちらかというと近寄りたくない危険度を併せ持っている。
勉強もできない。
手先も不器用で何をやらせても失敗する。
根性…。
根性だけは人一倍だったが、どちらかというとしつこいほうの根性だ。そんなものを女に求めるやつなんて数えるほどしかいない。まあ、もちろん彼女の夫はその数少ないうちに入るのだろうが。
彼はスパゲティを食べ終えるとおとなしく口を拭いた。
彼女は大口だけでは飽き足らず、どんぶりを手で持ち上げて最後のご飯を口の中にかきこんでいる。
こんなに豪快に食べる女を見たのは初めてだった。
彼の周りにはどちらかというと上品な、女よりも女らしい人種と男らしい男しかいなかったので。
牛丼屋に行ってもここまで見事な食べっぷりは少ないだろうと思われる。
食べ終えて、唇の端にご飯粒をつけてふーーーっと息まで吐いている。よく食べた、という感じだろうか。
そのご飯粒にはなぜ気付かないのだろう。
「あ、入江くーん!」
普通はここで口を拭いて化粧直しにでも行く成人女性が多いはずだ。そうでなくとも口の周りにご飯粒をつけたままにっこりと笑って振り向く女などそうそういない。
その声に振り向いた関係のない幾人かが彼女の顔を見てぶっと噴き出した。
「…いったい琴子のどこに色気があるって言うのかしら」
思わずつぶやいた言葉は隣にいたまさに化粧を手直ししようとポーチを持った品川真理奈の耳に入った。
「どこかにはあるんじゃない、ひっそりと」
「これでも誰かさんはついふらふらしたわけだし」
真理奈の言葉にきれいに食べ終えた煮魚定食を脇に押しやった小倉智子が言った。
「その話はあまり蒸し返したくない、けど、こいつの色気にふらふらした覚えはない。どちらかというと保護者気分だ」
その誰かと言われた鴨狩啓太ははカレーライスを食べ終えて言った。
「なんだか失礼ね。これでもあなたたちよりは年上なんですからね。子どもにはわからない魅力があるのよ、きっと」
「…どこに」
ぼそりと彼はつぶやいた。
そこへトレーに定食を乗せた彼女の夫がやってきた。
「あらん、入江さん、どうぞ、ここあいてますから」
ささっと彼女と彼の間にスペースを空けた。彼女との間を空けたのはささやかなる親切だ。
これで六人がけのテーブルは満杯だ。
「琴子の色気を感じるときってどんなときですか」
そのものずばりと智子は聞いた。
そんな質問をしてあはんうふんの答えが返ってきたらどうしよう、とは思わないところがつわものだ。いや、むしろ返ってきたらきたで面白いのかもしれないが。

彼女の夫はこれから昼食だと箸を握ったその瞬間に、何ゆえ妻の色気について聞かれなければならないのだろうと思ったが、あまりに興味津々な面々を見て、つい意地悪げに言った。
「それを今ここで?」
「ええ。できれば簡潔に、具体的に」
ふうんと隣の妻を見やって箸を置くと、その手で妻の唇を親指で拭った。
構わず拭った親指についたご飯粒ごとぺろりと舐める。
きゃあと周りから声が上がる。
「あ、ありがとう、入江くん」
少しだけ頬を染めて彼女が言った。
その言葉に満足そうに笑って目の前にいる面々に言った。
「…こういうとき」
そのまま箸をもう一度つかんで、あとは黙々と定食を食べ始めた。

先ほどの行動を同じように頬を染めて見ていた面々は、突然言われた言葉の意味を反芻した。
「…え゛」
思わず言葉が詰まる。
だみ声となって面々が口を開ける。
いったい、今のどこに…といった感じだ。
どちらかと言うと夫のほうが色気たっぷりで、周りが呆けて歓声をあげるのもわかる気がするのだが。
食べ始めた夫を彼女はにこにこして何事か話しかける。
それに相槌もうたないでただ食べ続けるのだが、夫婦としてこれはこれでいいだろう。
もう少しベッドの話でも出てくるかと期待していた面々と同様、彼は彼女を見やった。
夫が来た途端恋する女になって、上気して話を続ける彼女は可愛らしいのかもしれないが、それと色気とはまた別問題だ、と彼が思ったのと同じことを思ったのか、真理奈が恐る恐る言った。
「こんな琴子でもベッドの上では色っぽいとか?」
彼女の夫は真理奈を目の端で捕らえた。
「あ、えーと、話したくないなら、いいです」
「…わからないなら、それは良かった」
「はい?」
「ベッドの上なんてわかりやすいものじゃなくて、もっと別のことを期待しているように見えたから」
「ええ、まあ、そうなんですけど」
「わからなくて良かったよ」
「…はあ」
真理奈は隣にいた智子にささやく。
「何、つまり、俺だけしかわからない魅力ってやつ?」
「ん、そういうことみたいね」
「ちょ、何それ」
彼は真理奈の様子を見て、ふうとため息をついた。
どういうわけか、彼女の夫はこれでも彼女を目一杯愛しちゃっているらしいので、そういう答えが帰ってきても不思議ではない。
ここで俗物な男なら、彼女(この場合は妻だが)のどういうところが色っぽいのかとか、俺にだけしか見せない姿を少しくらい自慢したりなんかしてしまうものだ。
他の男にへえと言わせるために。
つまり、そんな女を落とした素晴らしい俺を間接的に自慢したいのかもしれない。
しかし、そういう俺にしかわからない魅力をほいほいしゃべると、後々その彼女(もしくは妻)に興味を持つ奴の一人や二人いてもおかしくはない。
間接的には自慢したやつが二股の危険性をばら撒いていることに気がつかないものである。
もちろん天才でいらっしゃる彼女の夫はそんなことしない。
彼女の魅力は彼女の夫だけがわかっていればいいのであって、そんな姿を一般の男に見せるはずなんてないのだ。
もっと言えば、世間的に見せている彼女の姿はどちらかというと魅力半減な姿が多い。
むしろそれでよしと思っている節がある。
これは究極の独占欲かもしれない。
しかも彼女に聞くと、滅多にかわいいなどという言葉は聞かれないらしいし、ひどいときには「その顔でこっち見るな」というくらいひどい言葉もあるらしい。
つまり、色っぽさがどうとかいう問題じゃないのだろう。
もっと言えば、色っぽさなんて本当は考えたこともないのかもしれない。
ああ、色っぽいなとしみじみ思うものではなく、彼女が彼女である限り、それがどんな形であれ、姿形は結構どうでもよかったりするのかもしれない。
よくこれで夫婦生活が営めるものだと彼は感心する。
もちろん人並みにセクシーな下着を見れば喜ぶのかもしれないが、彼女が動物パンツをはいていようがそんなのはたいした問題じゃないらしい。
「奥が深いわ…」
思わずつぶやいた言葉に彼女とその夫を除く面々は深くうなずいたのだった。

(2011/10/15)