入江直樹ファンクラブ
大学に入ったら、それこそきっと素敵な人が、なんて思っていたわけじゃないのよ。
いえ、噂だけは聞いていたの。
私よりちょっと年上。
入試にも当然首席で、大学に入ってからの成績も常に首席の超天才がいるって。
おまけに顔はこんな人がいるのかと思うくらいのハンサム。
(作者注;ハンサム<死語>とは、昔で言うイケメンです。今どきは使わないなと一応注意書き。…ああ、時代は変わるわね。モトちゃんの頃は確実にイケメンではなくハンサム、だと思われる)
今流行りの俳優だってはだしで逃げ出すわね。
あ、あら、○ムタクだってかっこいいとは思うけどぉ。
一目見たらもう忘れられないって感じ。
斗南に入ってよかったわ〜。
他にもいろいろ受けたけど、最終的には斗南で決まりって感じ。
だって、だって、下見の時にちらりと見かけた姿を見たら、在学生だって言うじゃないの。そりゃもう頑張っちゃったわ。
そして入学してみると、噂通りの人が。
名前は入江さん。
さすがにすぐアタックしたいところだけど、何となく恐れ多いオーラが。おまけにものすごく女子学生に冷たくしてるところを見ちゃったら、ちょっとね。
入学してみたら、なんと、もう結婚されてたのよ〜。
どういうことよ。
いったいどこの誰がこんな素敵な人をゲットしたのよ。
おうちも資産家だっていうし、きっとものすごくお嬢でハイソな人よね。
それなら勝ち目はないわ。
だって、アタシ、こう見えて間違えて男に生まれてしまった心は女な人種だったからよ。
世間はそれをオカマ…違うわよ、一緒にしないで。
こ、こほん、それはそうと、どうせ他人のものなら不倫は許されないし、仕方がないからファンクラブを作って楽しむことにしたの。
もちろん非公式よ。
他の人たちもきゃあきゃあ騒いでるだけだから、ここはファンクラブでも作ってびっしっとルールを決めないとね。
アタシの目の黒いうちはルール破りは厳禁よ。
非公式である以上、入江さんの迷惑にならないようにひっそりと活動するの。
そう、例えば、入江さんが受けた講義とかいつか理解できるようになりたいしね。
あ、そう、アタシの将来は、ナイチンゲールよ。白衣の天使。
わかる?看護学科に入学したの。
医学部と看護学科は同じくくりで医療系でつながってるから、いつか一緒に実習でお会いできたり〜、一緒に働けたり〜、いろいろ接点がありそうじゃない?
え?既婚者だって?
そんなのいつまで続くかわからないでしょ。
それに既婚者でも仕事のパートナーとなるとまた違うじゃない?
それを目指していざ専門課程へ、よ。
あ、もちろん、その嫁、とやらが一向に見かけなくて不思議だったのだけど。
* * *
二回生になって、実習グループが新たに組まれた。
今までも見かけたことはある面々だったけど、これから卒業まで同じメンバーで実習を廻っていくことになるらしい。
暑苦しい熱血男にお色気娘に天使のような子にちょっとだけバカっぽい女が勢揃い。
なんと、バカそうな顔なのに入江ですって。
あの、入江さんと同じ苗字よ。
同じ苗字ってだけでバカそうな顔が賢そうに見えるくらい絶大なる素晴らしい苗字なのよ。
「ねぇ、入江ってさぁ、まさかあの『入江』とは関係ないわよね」
文学部から転部してきたという入江琴子に念のため聞いてみると、アタシの美貌に驚いたのか、彼女は少しかたまってから「お、おかま…」とこともあろうにそう言った。
ホント失礼よね。
ちょっと声が低いくらいでそんなに驚かなくてもいいじゃない。
それにアタシの自己紹介を聞いて自分の方が白衣の天使にふさわしいだなんて、まー!なんて図々しい。
でも上手く誤魔化されないわよ。真実を知るまでは。
「で、さっきの質問よ。あんた、医学部の『入江』とは無関係の『入江』よね?」
「い、医学部の入江って、あの…」
同じ苗字のくせしてまさか知らないっていうの?
しかもあ、の、入江さんよ?
「い…入江くん、あ…ああ、そ、そう言えば、ちょ、ちょっと耳にしたことが」
歯切れの悪い返事だったけれども、一応聞いたことはあったらしい。
まあ、そりゃ文学部出身じゃ縁もゆかりもないかもしれないけどぉ。
アタシがファンクラブの会長であることを知って、かなり驚いていたけど、どういうつもりかしらね。不満ってこと?
「で…でも、入江くんって…け…結婚してるでしょう?」
とぼけた振りでちゃんと知ってるんじゃないの。
このアタシが、いまだ結婚相手を見たことがないのって、会長としての名折れだわ!
結構聞いて回ったのに、皆アタシのこの美貌に恐れをなして、誰も答えてくれなかったのよ。そのうちわかるって、と逃げながら答える男たちの情けないことと言ったら。
グループの皆もまだ見たことはないってことだったから、ここは医学部ツアーをして入江さんをぜひとも拝まないと。
白衣の入江さんを見つけると、そこはもうパラダイス。
入江さんだけ光って見えるわ〜。
そこはかとない素晴らしきオーラがあるのよね。
全くこんな人を射止めた奥さんというのはどんな人なのよ。
そうやって医学部をのぞいていたら、なんと医学部ナンバー2と噂の船津さんが琴子に声をかけるじゃない!
しかも琴子さん、と名前呼びよ、どういうこと?
アタシたちが追及する前に、琴子ったら慌てまくってアタシたちをその場から引き離した。
「なにするのよ〜!」
医学部から離れ、ようやく足を止めると、琴子を見た。
琴子と船津さんがどういう知り合いかはこの際置いておくわ。
少なくとも医学部にコネができたことは確実よ!
なんて収穫の多い一日だったことか。
これで琴子もファンクラブ会員として早速医学部との合コンを計画して、あの入江さんもさり気なく親睦会として呼んでもらうのよ。
まさか親睦会にまで文句をつけるような心の狭い奥さんじゃあないわよねぇ?
ふふふ、これから楽しくなりそうだわ〜。
* * *
早速看護学科でも授業が始まったけれど、琴子ったらこれまたものすごく不器用でとろいの。
この先の実習が思いやられるわ〜。
さあ、気を取り直して今日のファンクラブ活動は、じゃじゃーん、入江邸ウォッチングよ!
初めて見た入江邸のすごさに驚いたのか、口を開けてものも言えない琴子を放ってアタシたちは物陰から入江邸を観察することにした。
有名大会社の社長の家だけあって、本当に立派で大きいわねぇ。
さすがに今まで一人ではここまで見に来ることなんてできなかったけれど、皆が一緒なら怖いものなしよ。
あら、弟さんったら、そっくり。
あの女の人はお母様かしらね。さすが入江さんにそっくりできれいな人だわ。
卒業したはずの妻の姿は見えない。
働いてるのかしら。それとも家の中でさぼってるとか?
そうこうしているうちになんと、入江さんが帰ってきたの。
しかも、ものすっごくきれいな奥さんを連れて。
いえ、だって、奥さん以外考えられないわよ。
他の女の人に笑顔を見せない入江さんが、笑って楽しそうに話をしてるのよ。しかも二人で並んで家に帰ってくるってことは、むしろ奥さん以外だったら誰なのよ。
想像通りの人よね。
きれいで知的な感じ。しかも上品。
さすがあの入江さんの奥さんね。
美貌を誇るアタシだとて、さすがにかなわない感じよぉ。
お似合いよねぇ。
なんか、負けたって感じ〜。
ちょっとでも可能性が、なんて思ったあたしがバカだったわ。
関心がない様子を見せていた琴子もさすがに青ざめてたわね。
そりゃそうよね。あんな美人見ちゃったらね、わかるわ〜。
アタシたちは意気消沈して帰ることにしたのだった。
* * *
その日の看護学科は、まさに激震だった。
昨日の入江邸ウォッチングの話をしていたら、琴子ったらまぁた失敗してたの。
暑苦しい男の啓太の腕に巻いた血圧計を限界以上に圧かけてみたり、聴診器を裏返しにして脈が聞こえないとか言ってみたり、ホント困った子。
熱血啓太の説教も響く中、琴子は涙目になりながら反論していた。
そう言えばこの子、大いなる夢だか何だかのために看護学科へ来たんだったわね。
わざわざ転部してまで。
その志は素晴らしいけれど、これだけどんくさいと患者を殺しかねないわよ。
ほら、また啓太に怒られるっと。
「あたしは、あたしは…」
顔を真っ赤にさせて琴子は叫んだ。
「あの入江くんの奥さんなんだから!」
その瞬間、皆どっと笑ったわ。
だって、入江さんの奥さんなら昨日見たじゃない。
何言っちゃってるの、この子。
どさくさに紛れて同じ入江って苗字だからってあまりにもな冗談じゃない。
そう言って笑っていた時だった。
「失礼」
そう言って爆笑の渦に巻き込まれていた看護学科の扉を開けた人がいた。
なんと、渦中のその人、入江さんだったのよ〜〜〜〜!
しかも、入江さんったら、あろうことか中を見渡してから…。
「琴子」
と、あの琴子の名前を呼んだのよ。
これには誰も何も言わずに琴子の顔を見た。
琴子は驚いた様子で「は…い…」と返事をすると、入江さんは言ったの。
「おふくろがおまえとデパートで買い物したいから、帰り駅から電話してくれって。そういうわけだから、じゃあな」
それだけ言うと、入江さんはさっさと誰の反応を見ることもなく行ってしまったの。
シーンとした看護学科の中で、アタシたちはすぐに立ち直ったわ。
どういうこと?
なんで入江さんが?
さっき琴子が言った入江さんの奥さんっていうのは、本当のことなの?
ちょっと待って、ということは、琴子は五回生?
どんだけバカなの。
そして、どうしてこの琴子が!入江さんの!奥さんなの!
昨日のあの美女は誰なのよ!
琴子は勢いで言ったものの、皆の剣幕に怯えながら「だ、だから、言ったでしょ、今」と肯定した。
でも入江さん自身が認めた以上、本当ってことよね。
頭を下げて謝る琴子にあたしはため息をつく。
黙っていたのは皆からのプレッシャーがすごくて言い出せなかったからとして。まあ、これはアタシたちにも悪いところがなかったとは言わないわ。
それに、考えてみれば、あんな美女じゃ太刀打ちできないかもだけれど、琴子だったら、まあ、ねえ?
もう昨日の今日でファンクラブも解散かと思ったけどぉ。
琴子が奥さんなら、まだまだチャンスはありそうじゃない?
それに〜、これから入江邸に出入りできる機会もあるだろうし、琴子をダシにしてあれこれと会ったりしゃべったり、ファンクラブとしての面目も保てるってものよ。
あら、ちょっとひどいって?
黙っていた琴子の罰としてはこれくらい、ねえ?
あ〜、これから楽しみだわ〜。
でも、入江さん、あまりにもタイミング良かったわよね。
まさかとは思うけど、もしかしたら、琴子がピンチなのを扉越しに聞いていて助けたとか…?
もしそうだとしたら…。
あら、まあ、これも一つの夫婦愛ってこと?
仮面夫婦、ではないってことかしら。
これからどうやって二人が結婚に至ったのか、じっくり聞かせてもらいましょうかね。
ファンクラブ会長の名に懸けて。
(2019/02/11)