う、う、ううっ。
何だ、この鳴き声は。
直樹がそっとやぶの向こうをのぞくと、そこには一羽の鶴がいたのです。
「何やってんだ」
見れば、この鶴は罠にかかったようです。
「ちっ」
直樹が仕掛けたものではないにしろ、こんなところであからさまな罠にかかるおバカな奴がいるとは思っていなかった直樹は、あまりにも鳴き声がうるさいので、鶴を罠から外してやることにしました。
罠から外れた鶴は、お礼を言うよように何度も直樹の周りを飛び跳ねると…。
「ええい、うっとおしい!早く帰れっ」
直樹の怒鳴り声に驚いて鶴は名残惜しくも山の向こうへと帰っていくのでありました。
その晩…ではなく、それから三日たった夜のこと、直樹の家を訪れる女がおりました。
「す、すみません、ここは直樹さんのお宅でしょうか」
「勧誘も押しかけ女房もお断りだっ」
「い、いえ、そんな、あ、あたしは、その、ひ、一晩の宿を…」
「断る」
「ええっ、そんなっ、こんな雪の降る晩なのに!鬼!」
「…おまえ、仮にも世話になろうってやつが」
「あ〜ら、いいのよ、いいのよ。何やってるの、直樹ったら。
ささ、どーぞどーぞ、こんな家でよければいくらでもいてやってちょうだい」
「おふくろっ」
半ば強制的に居着いた女は、まだ年端もいかぬ若い娘でありました。
この辺りで一番裕福な家にやってきた娘は、驚きながらも家の中に招き入れられてから、なんとなく計算違いを実感しておりました。
「えーと、その、一晩の宿のお礼に…その…ここをのぞかないでくださいっ」
「誰がのぞくかっ」
娘は部屋に籠り、何晩かかけて一枚の布を織りあげたのです。
「おまえはいつまで居座るつもりだ」
「そんなこと言ったって、なかなか仕上がらなかったんだもの」
「ほら、雪も止んだぞ、帰れ」
「で、では、これをお礼の代わりに…」
そう言って差し出した布は…。
「ひでぇ」
「あ、あれ、そんなはずでは」
「こんなのをお礼に出すって、どんだけ失礼なやつだよ」
一所懸命娘が織った布は、それはそれは見事な…不出来な布だったのです。
「やり直します」
そう言ってまたもや部屋のこもること数日。
少しやせてきた娘を心配したのは、直樹の母でした。
「まあ、まあ、そんなにやせちゃって。また直樹が無理を言ったのね」
「自分で勝手にやり直すって言ったんだ。俺のせいじゃない」
「で、できました!」
今度こそと差し出した布は…。
「…いらない」
「ええっ、ひどいっ。一所懸命織ったのに」
「これが一所懸命だぁ?こんなの売れると思ってんのかっ」
「もっとちゃんとやれば売れるわよっ」
「今までまともに布を織ったこともないだろ、おまえ」
「それならこの布が今度の品評会で百位以内に入ったら」
…百番ってどんだけ志低いんだ、と思わずにはいられませんでしたが、とりあえずそこは黙っていると、娘は言いました。
「そうしたら出ていくわよ」
じゃあ絶対一生居候じゃねーかと思いましたが、娘はとんでもないことを言い出しました。
「百位以内に入れるように教えてよ」
「おまっ、自力でやれよ」
「そんなこと言ってたら一生帰れないじゃないの」
そういう自覚はあるんだ、と思いましたが、はたと気づきました。
「おい、部屋に絶対入るな、じゃねーのかよ」
「あ、それ。なんだか知らないけど、入るな、のぞくなって言えって言われて。それに織ってる姿はあまり美しくないからって」
「誰に言われたんだ、それ」
「…お父さん」
何にしても結局文句を言いつつも直樹と娘は力を合わせて布を織ることになったのです。
直樹の本業は機織り…ではないのですが、器用な若者で、とにかく非常に不器用と判明した娘を厳しく指導することになったのです。
それはそれは手厳しい怒声とこの世のものとは思えぬ機織りの音が響いたといいます。
いつしか怨霊機織り屋敷と呼ばれるようになりました。
何日かして織りあげた布は、決して上出来なものではありませんでしたが、最初に娘が織った布よりはマシ、という出来でした。
それでも満足したのか、娘は張り切って品評会に意気揚々と出品したのでした。
それは品評会で見事百位という順位をめでたく勝ち取ったのでした。
「お、お世話に…なりました」
娘の言葉に屋敷の主である直樹の母が残念そうに言いました。
「いつまでもいてくれていいのよ」
「そんな…」
「そうよ、そうしなさいな」
「いえ、そういうわけには。父も待っていますし」
「それならお父さまも呼んだらどうかしら。ほら、部屋はこんなに余っているわけだし」
「でも」
「おふくろっ、さっさと追い出せ」
青筋を立てて怒る直樹に母は呆れたように言いました。
「まあ!直樹ったら、あなただっていなくなったら寂しくて仕方がないくせに。
聞いたわよ。毎晩、毎晩、二人で部屋に籠っていたことを」
「聞いたなら知ってるだろ、怨霊機織り屋敷の噂を」
「ええ、もちろん。すすり泣くような女の声と怒鳴るような男の声。とんとんからりと鳴る機織り機の音。ま〜仲良くなっちゃって。あ、子どもが出来る前に式を挙げておく?」
「どうしたらそういう発想が出てくるんだよ!」
それから…。
「いい加減に覚えろっ」
「覚えてるわよっ」
「はぁ?覚えてるだぁ?覚えてたらどうしてこんなにでこぼこの布が織れるんだよ」
「そ、それは…」
「お仕置きだな」
「ひぃ」
「あ〜、楽しみだわ。孫が抱ける日もきっとすぐねぇ」
そんなことを言いながら呑気にお茶を飲む直樹の母なのでした。
「ところで、何であの雪の晩にわざわざ来たんだ?」
「えーっと、お屋敷の直樹さんがかっこいいと聞いたからちょっと見に来ようとして道に迷って夜になってしまって、帰る方向もわからなかったし…」
…というわけだったようです。
では、罠から助けた鶴は…。
もちろん、鶴は鶴なので、恩返しと言っても山で会うと直樹の後をついてくるくらいのものだったということでした。
めでたし、めでたし。
(2015/11/08)