ぬか喜びのベイビーブルース
(ボツ系バージョン)




そ、そ、そんなこと聞いてどうするのよ。
さ、参考に?
な、何の参考?
だ、だって、へ、へ、変なこと聞くから。
ど、どもっちゃうのは仕方がないのよっ。

あたしはいきなり来た質問に答えようもなくてどぎまぎしながらなんとか抜け出した。

避妊の回数なんて、あたしが聞きたいわよ!

思えば、結婚してから初めての妊娠騒動は、まだ文学部の頃だった。
あの頃はまだ何も考えていなくて、結婚もどこか恋愛気分で、子どもが出来たかもってなって初めて入江くんと結婚しているんだって、産んでもいい立場なんだって実感したんだった。
その後は看護科に移ってバタバタと時間が過ぎて…。
そして入江くんは神戸に行っちゃうし。
やっとのことで卒業したけど、あたしだってまだ就職して一年目だし。
そもそもちゃんと避妊してるかどうかなんて…。

あたしが知るわけないじゃない!

 * * *

あたしは質問攻めにされて、疲れて家に帰り着いた。
お義母さんにすぐに夕食って言われたけど、ちょっと食欲なくなっちゃって(仕事の後に質問されながら休憩室でコーヒーがぶ飲みしたせいよね、これ)、申し訳ないと思いつつ「後でいただきます」と答えた。
もうちょっとすればコーヒーなんてすぐに胃から流れちゃって、お腹空くと思うの。
そう思ったのもつかの間、あたしは寝室で吐き気に悩まされていた。
すきっ腹にがぶ飲みしたのがいけなかったかしら。
これってあれよね。
ほら、雪の日のバレンタインにがぶ飲みしたコーヒーと一緒。
そう言えば、あの日の入江くんは優しかったなぁ。
ステキな雪の朝を迎えたのもうれしかった。
まあ、何にもなかったんだけど。
あの頃の入江くんは、あたしのこと好きだったのかどうなのか。
でも清里に行ったのがそれよりも前だったことを考えると、ひょっとして…?
そんなことを考えていたら寝室の扉が開いて、入江くんが入ってきた。
「あ、お帰りなさい」
入江くんが帰ってきたことにも気づかずにいたことにあたしは驚いて時計を見た。
驚くことに時計はすっかりあれから三時間以上も進んでいて、あたしは後で食べると言ったまま寝過ごしていたのだった。
「何、食欲がないって?」
「…うん」
「おふくろは子どもでもできたんじゃないかってまたうるさかったけどな」
「ええっ、そんなわけ」
「…ないよな」
「…ないの?」
「あるわけないだろ」
「そうなの…?そうか、やっぱりコーヒーの飲みすぎかぁ」
あたしは少し残念そうな口ぶりでそう言ったのが気になったのか、着替え終えた入江くんはベッドの上のあたしをのぞき込みながら言った。
「休憩室でくだらないことを大声で話してんなよ」
「き、聞こえてたの?!」
「聞こえるだろ、あんなでかい声で話してれば。お陰であれこれ言われてまいった」
「何言われたの」
「避妊するかしないかなんて、夫婦の問題だろ」
「うん、あたしもそう言ったんだけど」
「本当におまえの周りは物好きな奴が多いな」
「そうなんだけど、で、何言われたの」
入江くんは顔をしかめてベッドの上に座った。
「下品なことをいろいろと」
「たとえば?」
「…それを聞くか、おまえが」
「ダメなの?」
入江くんはため息を一つついてにやりと笑った。
「子どものつくり方知ってるか、とか」
「…うわ」
「俺が代わりにに妊娠させてやろうか、とか」
それを言った人がなんとなく想像できる。
「もちろんそんなこと言ったやつは二度と口にできないようにさせてやったけどな」
う、さすが入江くん。
「何でそんなにあたしたちのことが気になるんだろうね」
「夫婦で働いてるからだろ。おまけに一緒の職場で勘ぐりやすいし、おまえは注目の的だし」
それを言うなら入江くんの方がずっと注目されてるよ。
「今は作らない」
「うん、わかってるよ」
「おまえ、俺が毎回避妊してるのわかってるか」
「えーと、…わかってなかったかも」
「それを今からわからせてやろうか」
「あの、でも、ちょっとお腹空いてきたなって」
「ああ、おふくろから預かってきた」
そう言って指し示したのは、鏡台の上に置いたおにぎり。
ああ、もう、お義母さんったら…。
「胃が痛いのは治ったんだろ」
「えっと、まあ」
入江くんがまだお布団の中にいたあたしにのしかかってきた。お布団を押さえつけられて、身動きが取れない。
「ああ、そりゃたまには避妊するのも忘れるかもな」
「ええ、それって言ってること違う」
「そう思うなら協力しろよ」
「嫌って言ったら?」
「ふうん、どちらでもいいけどな、俺は」
「どちらって、どっち?」
「避妊して仕事続けるか、避妊しないで妊娠するか」
「そ、そこに、し、しないっていう選択肢は…」
入江くんは意地悪そうに笑った。
あ、はい、あるわけないのね…。

観念したあたしを覆っていた布団をめくり、ついでに服もめくられ、あたしは入江くんにしっかりと避妊している証拠を見せられた。
大事なことだけど、何もこんなふうにしなくてもいいんじゃない?
そう言ってあたしは抗議したけれど、入江くんは言った。
「これだけしてて、妊娠しないなんておかしいと思わないおまえも悪い。人の前で知らないなんて大きな声で言えないようにしてやるよ」
そうなんだけど、そうなんだけど――――。
でもあたしは入江くんの腕に抱かれると文句は言えない。
何回してるのかなんて数えたこともないし、何を言ってるのかなんて最中のことなんて覚えてないし、どれだけ入江くんが色っぽいのかなんて言いたくもないし、あたしはこの件に関してだけはこれからも沈黙を貫こうと決意した。
だから、数えないし、覚えない。
だって、思い出したら仕事どころじゃないでしょ。
そして、当分ベビーはお預け。
お義母さんはとってもがっかりしていたようで申し訳なかったけど、あたしにもいつかはそんな日がやってきてもいいのかもしれない、と思ったのだった。

(2015/04/17)