選択4 祝我生日快楽
全ての始まりは1本の電話からだった。
「はい、入江でございます。あら、秋田の……ええ、相原さんはまだ寝てらっしゃいますけど」
秋田の一言で琴子が電話に近づく。
「おかあさん」
「ああ、琴子ちゃん。今、琴子ちゃんに代わりますね」
「もしもし、おじちゃん?どうしたの?………ええっ!……」
普通じゃない琴子の様子が気になって、俺も側に行く。
「うん、うん、わかった。すぐおとうちゃんと一緒に秋田に行くから」
電話を切った琴子の顔は今にも泣き出しそうだ。
「どうした?」
「秋田のばーちゃんが危篤だって……」
言いながらぽろぽろと涙がこぼれる。
そんな琴子がかわいそうで、そっと背中をなでてやる。
幼い頃に母親を亡くした琴子にとって、おばあさんは大事な存在だ。
「秋田のおばあさまって、ずっと入院してらしたのよね?」
おふくろも心配そうに琴子を見ている。
「はい……でも、この前元気だって手紙が来たばかりなのに」
「俺も行くよ」
琴子がびっくりして俺を見上げる。
「だって、今日は入江くんのお誕生日だよ?お祝いの準備もしてあるのに」
「そんな場合じゃないだろ」
琴子はすまなそうにしているが、そんなこと俺には大したことじゃない。
「そうね、おにいちゃんも行った方がいいわ。あっ、琴子ちゃん、相原さんを起こしてこなくちゃ」
「あっ、はいっ」
琴子が急いで駆けていく。
「新幹線のチケット3人分でいいわね」
そういいながらおふくろが電話をかけようとした瞬間、俺の携帯が鳴った。
「はい、入江です」
「あ、入江先生!お休みのところすみません。事故で患者さんがたくさん運ばれてくるので、急いでこちらに来ていただけないでしょうか?」
「大きな事故?」
「高速で玉突き事故だそうで、何人運ばれてくるのかまだわからないんです」
「それで人手がいる訳か」
こんな時に限って呼び出しなんて……
「入江くん、病院に行って」
びっくりして振り向くと琴子とお義父さんが立っていた。
「私達なら大丈夫だから、病院で入江くんを必要としてる患者さんのところに行ってきて」
琴子の目はさっきまで泣いていた時と違う強さを感じさせる。
俺は電話を手で押さえながら、琴子に向かって訊ねる。
「本当に大丈夫か?」
「うん、おとうちゃんも一緒だもん。だから早く行って!」
琴子の横でお義父さんも頷いている。その目は安心しろと言っているみたいだ。
俺は二人の顔を交互に見ながら頷いた。
「わかった、すぐ行く」
電話に向かって返事をすると、俺は支度をするために部屋に駆け上がった。
*** ***
結局、家に帰れたのは夜遅く11時をまわってからだった。
琴子が家にいたとしても、とてもパーティどころではなかっただろう。
誰もいないリビングを通り過ぎて階段を上がる。
いないとわかっているのに、寝室のドアを開ける瞬間に期待している自分がいた。
「いるわけないよな」
そう自分で自分に言い聞かせる。
琴子が夜勤でいない夜なんていくらでもあるのに、今日は特別部屋が広く感じる。
さっさと風呂に入って寝てしまおう。頭も体も十分すぎるくらい疲れきっている。
上着を脱ごうとしたところで、急に携帯が鳴り出す。
琴子からだ。
「もしもし」
「もしもし入江くん?今どこ?」
「今帰ったとこだ。おまえは?病院か?」
「ううん、おじちゃんちにいる」
「おばあさんは?」
「うん……まだ意識は戻らないけど、とりあえず峠は越えたって」
思わず安心してため息をつく。
「それはよかったな。お義父さんは?」
「隣の部屋で寝てる」
琴子が急に黙り込む。
「……どうした?」
心配になってそっと訊ねる。
「ごめんね入江くん。ほんとうにごめんね」
琴子の声は今にも泣き出しそうだ。
「琴子は何も悪くないだろ」
「そうだけど…お誕生日に一緒にいられないなんてやっぱり…」
「家にいてもどっちみち一緒に過ごせなかったよ」
慰めるつもりでそう言った。
「違うもん!家にいたら何時になっても待っていられるもんっ」
琴子は少し怒ったように言う。
そんな琴子が愛おしくて、そばにいない寂しさが一層強くなる。
琴子に会いたい。
口を開けばそう言ってしまいそうで黙り込む。
言って琴子が泣いても、今はそれをどうもしてやれない。
「そうだ!入江くん、ケーキ食べた?」
「食べてない」
「じゃあ、一緒にお祝いして食べよう」
突然、琴子が嬉しそうに言った。
「入江くん、この電話切ったらケーキにロウソク立てて持ってきてね」
「持ってきたら?」
「持ってきたら…テレビ電話を掛けてきて」
そういうことか。
俺と琴子の携帯は今年の琴子の誕生日に最新機種に変えてある。
「わかった。じゃあ後でな」
俺は電話を切るとすぐに部屋を飛び出した。
プルルル プルルル
呼び出し音ですらもどかしい。
もうすぐ琴子の顔が見られる。
「入江くん?」
小さな液晶に琴子の顔が映る。
「準備できたぞ」
俺はあえて自分を映さずにケーキにカメラを向けていた。
「入江くんは?」
寂しそうな琴子の声に耐えられずにカメラを上に向ける。
「あ、入江くんっ」
琴子が手を振っている。その無邪気な笑顔が今は眩しい。
「一緒にお祝いって言っても、これじゃ一緒にケーキは食べられないな」
琴子がいないのに一人で食べても味気ない。
「大丈夫なんだよーーーじゃーーん!」
琴子がカメラの前に小さなケーキを突き出す。
ちゃんとロウソクが1本立っている。
「さっ、早く入江くんもロウソクに火つけてね」
琴子が危なっかしい手つきでマッチをするものだから、気になって自分が火をつけるどころではない。
「入江くん、どうしたの?」
琴子が心配そうに画面をのぞき込んでいるので、慌てて俺も火をつける。
「準備できたね。じゃ、歌うよー」
「はっぴばーすでいとぅーゆー、はっぴばーすでいとぅーゆー……」
ロウソクの灯りに照らされて歌っている琴子の顔はとても綺麗だ。
どうして手が届かないんだろう。
どうして抱きしめられないんだろう。
「はっぴばーすでいでぃあ入江くーーん、はっぴばーすでいとぅーゆー」
「入江くん、おめでとう!!」
琴子が嬉しそうに手を叩く。
「消すぞ、せーの」
ふーーーーーーーーーー
琴子も画面の向こうで息を吹きかけている。
1本のロウソクはすぐに消えてしまい、琴子の顔が見れなくなる。
「琴子、電気つけられるか?」
返事の代わりに部屋が明るくなる。
「大丈夫だよー、ちゃんとスイッチ近くにあるの」
また琴子の顔が液晶に映しだされる。
「じゃあ、早くケーキ食べようっ」
それなのに、琴子の視線はケーキに釘付けだ。
……………面白くない。
「琴子」
「なに?」
「プレゼントもらってない」
あっという顔をして琴子が慌てる。
「あ、あのね、もちろん用意してあるんだけど、帰るまで待ってて…」
「待てない」
琴子がどんどん困った顔になる。
「え……でも今渡せないし」
「渡さなくてもいい」
琴子がびっくりして俺を見る。
「渡さなくていいってどういうこと?」
「あと3分」
「何が?」
「俺の誕生日、残りあと3分」
琴子が慌てて時計を見る。
「だから、誕生日の残りの時間をくれよ」
「くれよって、どうやってあげれば…」
「キスして」
琴子が固まる。考えてもみなかったんだろう。
「き、き、き、キス〜〜〜〜〜〜い、今ここで〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
「そう、キス」
琴子が呆然としている。いつまでもそうされてても困るんだけど。
「あと2分」
俺の声に、どこか遠くに飛んでいた琴子の意識が戻ってきたようだ。
「で、どうするんだ……くれるのか?くれないのか?」
琴子に決断を迫る。
それでもまだ決められないらしい。
しょうがない、やっぱり無理か。
「あと1分」
突然、琴子が叫ぶ。
「い、い、入江くんっっ、目つぶって…」
俺は言われた通り目をつぶる。
そっと薄目を開けてみると、琴子が必死の形相で目をつぶって顔を近づけてくる。
思わず笑いそうになったが、見ていることがバレるので必死でこらえる。
そう、最初は冗談のつもりだったのに。
ケーキより俺を見て欲しかっただけなのに。
キスしているうちに、小さな液晶を通して琴子の気持ちが、体温が、唇の柔らかさが伝わってくるみたいだ。
琴子の表情からも力が抜けてきているのがわかる。
今、俺が口づけてるのは無機質な機械なんかじゃない。まぎれもなく琴子だ。
1分なんてとっくに過ぎただろう。
琴子が小さな声でそっとささやく。
「入江くんのキスしてる顔すごく好き」
どうして琴子はたった一言で心を鷲づかみにしてしまうんだろう。
もうどうしようもないくらい好きなのに、またどうしようもないくらい好きになってしまう。
だから
「おまえのキスしてる顔……力入りすぎなんだよ」
まだまだ琴子をからかうことをやめるなんて出来ない。
「入江くーーーーーーーーーーーーんっ」
誕生日おめでとう。俺は自分にそういえるようになった。
生まれてきて本当によかった。今は心からそう思えるから。
選択4 祝我生日快楽−Fin−