睦言
それは秋の夜長。
本を読むには最適な静かな夜。
ふと目を開けると真剣な横顔。
「…あれ、入江くん?いつ帰ってきたの。おかえりなさい」
本に夢中だった横顔が隣で寝ている妻に向く。
「…ただいま」
妻はまだ寝ぼけ眼で、本を持ったままの夫を見つめる。
「ねぇ、入江くん。入江くんて、あたしを好きになってくれる前って、本当に女嫌いだったの?」
思いもしない質問に、本のページをめくる手が止まった。
ベッドの横のライトをまぶしそうに見つめる妻は、何とも無邪気な笑顔。
ライトは決して妻の顔には光を落としていない。
光を落としているのは本のページだ。
それなのに。
「別に女嫌いじゃなくて」
そこで一度答えを切る。
ひと呼吸ついてから少し考える。
「…人間嫌いだったかな」
「そうなんだぁ」
それで納得する妻。
単純で、それでいていつも少しだけ本質を突く。
「それなのに、あたしを好きになってくれてありがとう」
すでに本の内容すら頭に入らない。
それだけ言って満足したのか、妻は少し眠そうにあくびをする。
「入江くんが抱いてくれるのって、好き」
少し小さな声で。
それだけで本を横に置く気になったというのに。
「だって、普段よりずっと優しいんだもん」
恥ずかしげにそう言って、布団にもぐる。
夫の顔は見ない。
どんな顔をしているか確認したい気もするけど。
「ふうん。…優しくしようか?」
きっと笑いを含んだ、からかうような瞳。
それでも、その瞳に逆らえない。
そして、優しくされるとやっぱりうれしくて。
「本当は、優しくなくても大好きよ」
「本当は、お前以外の人間は今でもあまり好きじゃない」
お互いに聞こえるか聞こえないかの小さなつぶやき。
布団をめくって、妻の恥ずかしげな顔をのぞき見る。
めくられた布団の向こうのあまりにも優しい目を見つめる。
こんな些細な会話が愛おしい。
他の誰にも言わない睦言。
睦言−Fin−(2006/10/09)