誕生日おめでとう
がんばれ、がんばれ、悦子…。
うめき声を聞きながら、時計を何度も見上げていた。
何度見上げても時計の針は一向に進まない気がした。
何も力になれないので、ひたすら祈る。
どうか、無事に。
そして、一瞬の沈黙の後で、一際高く響いた新しい声。
産室に響いた声に思わずやったーと両手を挙げる。
廊下でうろうろと動いていた足も飛び跳ねんばかりで、知らずうちに涙が流れ出てくる。
「おめでとうございます、元気な女の子ですよ」
程なくして看護婦に抱えられた赤ん坊を見せられた。
「奥様はまだ処置中ですので、もう少ししたら会えますよ。
どうぞお父様、抱っこしてあげてください」
そう言われてくるまれた赤ん坊を覗き込む。
小さくて、壊れそうなほどに小さくて、それでいて力強い泣き声と突っ張った手足。
そっと抱きかかえると、思わずささやきかけた。
「よかったなぁ。本当によかった」
それから、ようやく悦子に会えた。
汗と涙でぐしょぐしょだったが、そのときの顔だけは日本一…いや、世界一きれいだったよ。
「ありがとう。よくがんばったなぁ」
そう言うと、悦子はうれしそうに笑った。
あたしに似てかわいい女の子でしょ、と。
正直言うと、顔が誰に似ているかまでは見ていなかったんだ。
ただ、生まれたことがうれしくて、無事に産んでくれたことにほっとして。
「入江く〜ん、今日は早く帰ってきてね」
「…なんでだよ」
「だ、だって、今日は…」
「おまえの誕生日ってんだろ」
「そ、そう」
「毎年毎年…」
「え?」
「…何でもねぇよ」
なあ、母さん。
あれからもう23年だ。
あいつはまだまだ子どもみたいなところがあるが、誰よりも祝って欲しい人は俺じゃなくなってるんだなぁ。
でもな、この家に来てから、二人だけで祝ってたこともあるこの日をたくさんの人がお祝いしてくれるんだ。
だから、ちっとも寂しくないんだよ。
「お父さーん、今日のことなんだけどー」
「おう」
仏壇の遺影を見つめていた顔を戸口へと向ける。
誰よりも元気な娘を見るために。
生まれてきてくれて、ありがとう。
そして、産んでくれて、ありがとう。
「…誕生日、おめでとうな、琴子」
誕生日おめでとう−Fin−(2006/09/28)