入江くんはいつも噂されている。
高校のときはあたしのとばっちりもあったけど、どちらにしても凄く頭がいいこととか、凄く運動神経もいいこととか、凄くかっこいいこととか、噂されるだけの要素はたくさんあるのだ。

大学になってもいろいろ噂されつつ、紆余曲折の末何とかゴールイン。
そして、医師と看護師になったあたしたち。
宣伝して歩いているわけじゃないので、病院に就職してからはあたしたちを夫婦と知らない人も増えた。
もちろん噂の力は絶大で、入江くんが結婚しているらしいというのは皆知っている。
でもその相手があたし、…というのを知らない人は結構あるわけで。

外来を歩いているとたまに見かける光景。
あたしが入江くんに声をかける前に聞く噂話。

「入江先生、この病院内に奥さんがいるらしいわよ」
「えー、やっぱり結婚してるって言うのは本当なのね」

どうやら今年新しく入った放射線技師さんらしい。
患者さんのレントゲンの付き添いで来たあたしにかまわず話し続ける。
中では入江くんが他の放射線技師さんと話をしている。

「で、奥さんて、何やってる人?」
「さあ、看護師って聞いたけど」
「えー、職場結婚?!」

厳密には違うけど。

「じゃあさ、もっと早く知り合ってたら、私にもチャンスあったかな」
「どうかなぁ。だって、入江先生よ?」

うん、…ないない。
もう、散々突っ込みたくてうずうずしていたけど、立ち聞きしてると思われるのもなんだし、あたしは我慢していた。

「どんな人だろうね」
「美人かな」
「頭いい人かもよ」
「かわいい人かもしれないわよね」
「でも、そんな人この病院内にいた?」
「えー、どうだったかな。ほら、整形の山本さんとか美人よね」
「ぷっ、名字違うでしょ」
「あ、そうか」
「入江…入江…。いたかな。
あ、そういえば。…私、入江って言うと一人しか知らない」
「あ、私も」

そして、こちらに来る視線。
思わず目が合った。

「え、まさか」
「そうよね」

こそこそ話してても聞こえるんだってば。
思わず自分の名札を見る。
そこにはしっかり『入江琴子』って、書いてある。
なんだかいたたまれなくなってその場から移動しようとしたとき…。

「…琴子。柿沼さん、明日造影検査やるから」

後ろから入江くんの声。

「は、はいっ」

思わず裏返る声。
振り返って入江くんを確認すると、すでに立ち去ろうとしている。
その手前で目を見開いてあたしを見ている四つの目。

「う、うそ」
「今呼び捨てにしたわよね」
「した、した。しかも下の名前で」

あたしはぎこちなく笑い返す。
レントゲン室から患者さんが出てきた。

「いやー、あれだね。琴子ちゃんのだんなさんはいい腕してるよ。さすが入江先生だね」

患者さんは出てきた途端に大きな声でそう言った。
あたしはさらに引きつる。
引きつったまま、固まっている放射線技師さんたちに
「…入江くんの妻でーす」
とだけ言って、患者さんを連れて猛スピードで立ち去った。

遠く、
「いやー、信じられないっっ!!」
という叫び声が聞こえた。
信じられないと言われても…。
あたしもたまに信じられないけど。

こんな噂は日常茶飯事。


噂−Fin−(2006/10/14)