イタKiss祭り2008



Alles Gute zum Geburtstag!


朝から琴子の顔が見えなかった。
とは言うものの、夜勤で病院にいるのだから隣で眠っていないのは当たり前。
いつもなら嫌でも声をかけてくるのに、病院へ行って音沙汰がない。
おまけに今朝は朝一番のオペで気を使っていることもあるのだろう。
第一助手なのでオペ室詰めで、外科病棟へ行く暇もない。
手術着に着替え終わったところで、オペ室入口が騒がしかった。
なんとなく琴子の声のような気もしたが、見に行く暇もない。
そんなことを考えている暇もないほど忙しい。
壁にあるオペ室振り分け表を見る。
今日、自分が関わるオペの終了は未定。
日付がチラッと目に入る。
家に帰ったらまた一騒動あるのだろうか。
それよりも家に帰れるかどうかすら不明だ。
そんなことを11月に入ってから口にしていた。
毎年歳を一つとることがそんなに大切だろうか。
そうは思うが、小さな頃は歳をとることを喜んでいた時期も確かにあった。
あれはいくつの頃だろうか。
目の前の手洗いに目は凝らすが、思考は時々思い出に飛ぶ。
むしろ手術の緊張がほぐれていいと思考を続ける。


「は〜い、ナオ、お誕生日おめでとう」

おやじは大きなぬいぐるみを差し出して言った。

「わぁ〜、うさちゃん。おおっきぃ〜〜〜!!」

それを受け取り満面笑みの俺。

「ナオちゃん、かわいいおリボン付けてあげましょうねぇ」
「ありがとう、ママ」

おふくろに髪にリボンを付けさせる俺。


…ああ、ろくでもないことまで思い出した。

「おい、入江、さっき琴子ちゃんがな」
「何ですかっ」
「…何だよ、何怒ってるんだ」
「…ああ、すみません」

本日の執刀医である西垣は、隣で手洗いを始めながら言った。
あまりうれしくもない思い出を思い出して、つい西垣に当たった。
おまけに琴子の話を持ち出すものだから、余計に態度が声に出たらしい。

「で、琴子が何です?」
「…あ、ああ、やっぱりやめた」
「どうせ手術がんばってねとかそういうことでしょう」
「ま、そんなところだが。伝言伝えたらデート1回と言ったら怒って戻っていった」

ふんと鼻であしらい、手洗いの終わった俺はさっさと手術場へ。

「お、おまえなぁ、執刀医をそんな扱いしていいと思ってるのかぁ」

思ってるからに決まってるだろ。
西垣の言葉などピシャリと閉まったドアの向こうに締め出し、俺はオペに集中することにした。


 * * *


手術が終わってもすぐには帰れない。
既に昼を過ぎ、売店で売れ残りのおにぎり等を買い込んで、医局で手早く流し込む。
簡単な昼食を済ませたら、今度は病棟を廻らなければならない。
夜勤明けで帰った琴子の姿はない。
家で何か準備しているかもしれない。
そんなことを思いながら病棟を廻る。

「入江先生、お誕生日おめでとうございます。これ、アタシたちからのお祝いです」

桔梗から何かの包みを手渡された。

「中身は今噂の生キャラメルです。手術で疲れた身体に効きますよ。琴子に全部食べられないように医局で食べてくださいね」

噂だか何だか知らないが、そういえばおふくろが何やらを北海道から取り寄せたと言っていた気がする。
限定なので一度にたくさん頼めずに家族で取り合いになっていた。
とりあえずポケットに突っ込み、回診を続ける。
その先々で患者さんから小物を渡される。
散々断ったのにも関わらず、回診が終わる頃には途中で紙袋を持って回らなければいけなくなった。
その日は何とか無事に終わり、泊り込みもせずに済みそうだった。
いつもの荷物に紙袋を足して家に帰ることにした。


 * * *


「ただいま」

さすがに夜遅くなり、今年は玄関に入るなりのクラッカーもなかった。
家族が勢ぞろいしてのお祝いの言葉もなく、ほっとしたような、もの足りないような気持ちだった。
リビングに入っても、おふくろ手作りの垂れ幕もなく、ダイニングテーブルに夕食だけが置いてあった。
自分でも何を期待してリビングに入ったのだろうと思いながら、荷物を置きに2階へ上がることにした。
何もないことが逆に不気味だった。
寝室へ入っても琴子はいない。
荷物をテーブルに置いて、上着を脱いだ。
書斎に入る。
そこで琴子は眠っていた。
机の上にはアルバム。
ただし幼少時のではなく、小学生からの俺。
個人的な写真は少なく、何かの行事で写っているくらいのものだ。

「…琴子」

声をかけると、琴子は目をこすりながら起きだした。

「あ、入江くん、おかえりなさい」
「風邪ひくぞ」
「う、うん、ごめん、寝ちゃった」
「いや、俺はいいけど」
「あ、入江くん、誕生日おめでとう」
「…ああ、そうだったな」

琴子はアルバムを閉じて立ち上がった。

「皆は?」
「うん、もう寝たよ。」
「そうか」
「今年は何もしないって決めてたの。ほら、今日は手術で疲れてたでしょ。それに遅くなるだろうって思ったし、あたしが病院に行っても邪魔になるだろうし」
「ふーん、珍しいな」
「あ、お義母さんとかはちゃんとお祝いしようかって言ってくれたんだよ?でもね、入江くんいつも嫌がってるでしょ。あたしがこの家に来てから無理やりみたいだったし、たまには静かな誕生日のほうがいいかなと思って」
「…そうだったのか」
「今年も何かあるんじゃないかって期待してた?」
「…別に、期待はしないけど、騒がれるのも…な」
「うん、そうだよね。ところでモトちゃんとか患者さんとかから何かもらった?」
「もらった」
「どれ?皆に一応渡していいものを言っておいたんだけど」
「なんだよ、それ」
「だって、下着とか渡されたら嫌じゃない」
「そんなもの…」

…渡すかもしれないな、桔梗たちだったら。

「寝室にある」
「見てもいい?」
「ああ」
「せっかく入江くんがもらったんだから、一緒に見ようよ」

そう言って腕を引っ張られて寝室へ。
テーブルの上に置いてあった紙袋の中からいろいろ取り出してみながら、すごーい、とか、おいしそう、とか感想を述べていく。
ラフな服に着替えながら、それを横目で見る。

「…あたしからの誕生日は、これ」

差し出したものはどう見ても枕。

「じゃーん、いつでもどこでもうたた寝枕。疲れが取れる安眠枕なの。当直とかで使ってね」

うたた寝だか何だか知らないが、結構でかいぞこれ。
こんなものを持って、電車に乗って病院へ行けと?
確かに枕を持ち込むヤツの一人や二人くらいいるが…。

俺の戸惑いは気にせずに、琴子は広げたもらい物をまた紙袋に片付けていく。

「…じゃあ、使い心地を確かめるか」
「え、本当?使ってみる?」
「ああ、今からな」
「えー、ここで?」
「一緒に使おうぜ」
「ええっ、お、お風呂は?!」
「どうせ汗かくからいい」
「でも」
「今日は誰の誕生日なんだっけ」
「…入江くんの、です」

その言葉とともに吸い寄せられるように琴子は寄ってきた。
ベッドに腰掛けながらキスを交わす。

「…今日一日、何かあるんじゃないかってどこかで期待してたのかもな」
「じゃあ、来年はちゃんとお祝いしようかな」

くるくるとよく動く目で琴子は俺を見つめる。

「…それよりも」

その目を見返しながら髪をすく。

「おまえの姿が見えないことのほうが落ち着かなかったみたいだ」
「ホント?お義母さんがそのほうがいいって言ったから」

俺はその言葉にため息をつく。
おふくろの入れ知恵かよ…。

「でも」

琴子が俺にもたれかかりながら言った。

「本当はあたし、凄く凄く我慢してたの」

ぎゅっと抱きつきながらうれしそうに言った。

「入江くんが帰ってきてくれて、よかった。それに、ちゃんとお祝いが言えてよかった。お義母さんにもありがとうって伝えなくちゃ」

俺を真っ直ぐに見上げる。

「だって、入江くんを産んでくれた日だもんね」

書斎に出してあったアルバムを思い出す。
ろくな思い出もないけど、それだけはわかる。

「…そうだな」

多分琴子に逢って、俺は初めて産んでもらえてよかったと思えた日だろう。
おふくろの反応が怖いから、感謝は心の中だけにしておくけど。

Ich wunsche dir alles Gute, Gesundheit, Gluck und Erfolg!
(あなたが幸せで、健康で、幸運でありますように、そして長生きしますように!)


Alles Gute zum Geburtstag!−Fin−(2008/11/12)