再同居記念日
それは奇妙な光景だった。
親方に連れられて行った先の家の奥さんは、ウキウキしながら親方と図面をのぞきこんでいる。
そこまではよくある光景。
その奥さんを止めたくて止められない男が二人。
一人は大会社の社長だと言う奥さんのだんな。
もう一人は明らかに他人らしい同居人。
「お兄ちゃんと琴子ちゃんの部屋は…」
お兄ちゃんというのはこの家の長男らしい。
肝心なその二人の部屋だと言うのに、その二人の姿はない。
思わず親方の後ろできょろきょろしていたら、親方に怒られた。
「なんでい、みっともねーからきょろきょろすんな」
「まあいいんですよ。残念ね〜、二人とも今はテニス部の合宿に行っていないんですよ」
ほほほほ…とその奥さんはうれしそうに笑いながら話を進める。
「…直樹が知ったらまた怒るよ、ママ」
「…あら、お兄ちゃんが怒ったからって、なんなの?」
「いや、その、奥さん、つい承諾しちまったが…」
「まあ、相原さん、うちはいいって言ったのに、ちゃんと資金を入れてくださるから。それに、琴子ちゃんはいずれうちの嫁となるんですから」
「なんで琴子がっ!ママ、お兄ちゃんにも聞かずに勝手に決めないでよ〜!」
二人の男は顔を見合わせてため息をついた。
この奥さんには誰もかなわないらしい。
後ろでちょろちょろと打ち合わせの様子を見に来る子どももいる。
この家の次男らしい。
この子どもはおれの顔を一目見て言った。
「…頭悪そう…」
実際それほどいいわけでもなかったし、とりあえずお客さんの家の子どもだったので、そのままいたく傷つきながらも黙って親方の後ろをついて廻った。
その家の計画は、二人の部屋から二人のこども部屋、カラオケルームに本格的な和室、書斎をもう一つを増室。
そして各部屋の完璧な防音設備。
これだけでも家一軒建ちそうだった。
さすが社長の家。
親方は張り切って他の職人を采配する。
何より奥さんの希望でできるだけ早く完成してほしいそうだ。
しかしこれだけ二人の部屋と連呼する二人って…?
* * *
合宿で足を痛めた琴子を連れて帰る羽目になった。
何で俺が…と思わないでもなかったが、須藤さんはどうやら松本を送っていきたいらしく、キャプテンは面倒な琴子を俺に押し付けた。
見渡しても誰も琴子を連れて帰ってやろうと言う者はいない。
だいたい琴子自体が期待に満ちた目で俺を見ている。
他のやつらは俺の肩をぽんと叩き、「ま、入江が送っていくのが自然だよな」と慰めだか何だかわからない言い草で帰っていった。
琴子は遠慮がちに俺の腕に捕まって、ひょこひょこと歩きながら、それでもうれしそうにニコニコしている。
タクシーで行くという俺を遮り、駅から近いと言って俺に荷物を持たせて歩き出してはや30分。
いったいこの時間のどこが近いと言うんだ。
俺は不機嫌全開でくそ重い荷物を持ち、早く着かないかとイライラしていたのだ。
「ねぇ、松本さんさぁ、入江くんに告白したんだよね」
…あれが告白と呼べるならな。
「な、何て答えるの?」
途中で遮ったのはおまえだろ。
須藤さんと茂みで何やってたんだ。
「おまえに関係ないだろ」
そう言うと琴子は何も言えずに言葉につまった。
「おまえこそどうなんだよ。須藤さんとお楽しみだったくせによ」
茂みから二人が出てきたときは、須藤さんが琴子を押し倒していた。
…別にお楽しみだろうとそんなことどうでもいいけど。
琴子が違うと否定しまくっているうちに、どうやら相原家に着いたようだ。
見事に和風なつくり。
あのおじさんの趣味だからこんなもんだろう。
俺はここまで来るのに既に疲れていたから、玄関まで送った義務から解放されたらすぐに帰ろうと思っていた。
「え、ま、待って」
すかさず俺の腕をつかんで引き止める琴子。
ったく、うるさいやつ。
ガラッと戸が開いて、相原のおじさんに挨拶くらいはしておくかと思い直したそのときだった。
人相の違う初老の男が出てきた。
よく見れば表札も相原じゃない。
1週間前は確実に琴子と相原のおじさんがこの家にいたと言うならば、俺たちが合宿に行っている間に引っ越したということか。
琴子は焦ってふぐ吉にも電話をするが、臨時休業らしく誰も出ない。
俺はもうあきらめて表通りでタクシーを捕まえた。
なんとなく諦めとも思える気持ちを抱きながらタクシーに乗り込む。
結局こうなるんだよな、こいつといると。
家に連れて帰ればとりあえず今夜は琴子は野宿しないで済むだろう。
それどころかおふくろは大喜びするに違いない。
相原のおじさんはいったいどこに行ったんだろうか。
どうせ家に帰ればわかるだろう。
俺も予感したわけじゃないが、わからなくてもどうにかなるだろうと思っていた。
タクシーの中でも琴子は一人でしゃべる。
お父さんってばどこに行っちゃったのかしら。
一言くらい連絡してくれたっていいのに。
もう、黙って引越しするなんて…。
それとも…ハッ、まさか何かあったんじゃ…。
入江くんはあたしがお邪魔したら迷惑よね。
疲れもあって、琴子の言葉を聞き流してうとうとしてるうちに家に着いた。
「ああっ?!」
タクシーから降り立った俺と琴子は同時に声をあげた。
なんで工事してるんだ?!
自宅にかけられた工事中の覆いを見たとたんに、俺すらも路頭に迷うのかという考えが一瞬頭をよぎった。
呆然とした俺たちの横を通った大工から、建て増しの話を聞く。
建て増し?!
そこへ泣きながら裕樹が出てきた。
どうやら家族はここにいるらしい。
それだけでもほっとした。
それにしても合宿でいなかったこの1週間で、いったい何があったんだ?
「二人が帰ってくるのを待ってたのよ〜」
そう言いながらおふくろが出てきた。
今、二人って言ったか?言ったよな?
「もちろん琴子ちゃんちを建てるためよ」
後に続くおふくろの言葉は、俺の理解力をはるかに超えた。
何で俺がこいつと親の陰謀でくっつかなきゃいけないんだ?!
おふくろはにやりと笑った。
「親の陰謀?」
ゾクリとした。
こういうときのおふくろは、一色家の人間だとつくづく思う。
普段能天気なくせに、だ。
「ほーほっほっほ…」
高笑いをした後、おふくろは言った。
「キスしたくせに」
…なんで、それを…。
俺と琴子、ついでに裕樹までもが固まったまま、おふくろの言葉をただ聞いていた。
「知らないとでも思ってるの」
あまりに不意を突かれて、言いわけの言葉すら浮かばなかった。
「そ、それは…」
思いっきり否定してやりたい。
…が、できなかった。
俺の頭の中にはザマーミロのセリフとともに、琴子にキスした記憶が残っている。
いや、そんな色っぽいもんじゃなかった。
そう言ったとしても、このおふくろに通じるはずがない。
もちろん琴子はその記憶を後生大事にしているだろうから、当然否定するわけもない。
裕樹は俺が否定するのを待っている。
…確かに、キスはした。
誰かこの記憶、全部どこかへ持っていってくれ。
俺の願いが通じるはずもなく、おふくろは嬉々として建て増し中の部屋を案内し始めたのだった。
確か夜中におふくろたちが設計図を見ていたことがあった。
あれは破り捨てておいたはずだったが。
「あら、コピーくらいとってたわよ」
わが母親ながら抜かりがない…。
二人の寝室だとかわけのわからない設定とともに、おふくろはすでに俺の人生の先までも予定を立てている。
誰の人生だ?!俺のだ!
「何言ってんの、キスしておいて」
「………」
まるでそれが印籠のようにキスキスとおふくろの口から出るたびに、俺はまざまざと卒業式の夜を思い出す。
暗がりでみた琴子の目の真ん丸さだとか、そのときに感じたイラついた気持ち。
唇を離した後の真っ赤な顔だとか。
「あ〜、早く赤ちゃん欲しいわね」
「キスしたくらいで赤ん坊ができるのかよ」
自分で言いながら、親に向かって言うセリフとはとても思えない。
「じゃ、早く赤ちゃんのできるようなことしてちょうだい」
「………」
息子に向かって何言ってんだ、この人は…。
開いた口もふさがらないうちに、ふぐ吉を貸切にして祝賀会だと言う。
…ああ、そりゃ臨時休業だよな。
俺はそれ以上余計なことは何も言うまいと心に決めてふぐ吉へ。
* * *
「お嬢さん、かわいいですね」
「でしょ、でしょう〜〜〜」
奥さんと親方がそんな話をしてるうちに、女の子はきょろきょろとしていた。
誰かを探している感じだ。
背の高いやけのツラのいい兄ちゃんを見つけたところで、声をかけようとしてやめた。
なんで声かけねーんだ?
おれがそんな風に見ていたのを知って、女の子はおれを見て恥ずかしそうに笑った。
ちょっとかわいい。
…と思ったら、その後ろで女の子に気づいたらしい兄ちゃん。
いや、おれを見てる。
女の子がおれに笑いかけて、おれが笑い返したのが気に入らなかったのか?
ふんとばかりに睨み返してきた。
ああ、そうだった、この兄ちゃんの嫁さんになる子だったっけ。
悪かった。
おれが悪かったから、そんなににらむなよ。
ちょっと笑いかけただけじゃねーか。
なんだよ、えらくヤキモチ焼きの兄ちゃんだな、オイ。
おれの視線の先に気づいた女の子は、顔を赤らめて兄ちゃんを見ている。
ああ、はいはい、お似合い、お似合い。
おれはとっとと仕事に戻ることにした。
* * *
「なんやとおおおおおぉぉ…!!!」
ふぐ吉に行くと、うるさいやつがもう一人いた。
金之助は琴子のファーストキスを俺が奪ったとうるさく喚き散らした。
ファーストキスがどうした。
たかがキスじゃないか。
おふくろもこいつもどうしてこんなにうるさいんだ。
かえって琴子が静かなのが不気味なくらいだった。
そういえばこいつはあの後もそれほど騒ぎ立てなかった。
…言えるわけないか、ザマアミロだもんな。
金之助は包丁を振り回し、まだわめく。
ああ、うるせぇ。
俺は金之助に向かって言ってやった。
「かわいかったな、こいつ。仰天した顔しちゃってさ」
ふん、ざまあみろ。
不意に琴子と目が合った。
あのときのように顔を真っ赤にして俺を見ている。
こうしてると普通の女なのに。
「…なんだよ」
「ま…またよろしくね」
よろしくはしてやらねーよ、迷惑だから。
俺は心の中でそう言いながら、また琴子のいる生活を想像した。
…にぎやかなのと迷惑を絶対履き違えてるぞ、こいつ。
俺は明日からの生活を思い、ため息をついた。
そして、ふと渡辺の言葉を思い出した。
…渡辺、この再同居が続くなら、
おまえの勘もあながち間違ってなかったのかもな。
再同居記念日−Fin−(2008/10/17)