イタkiss祭り2014and10周年記念





楽あれば苦あり




楽あれば苦あり。
でも最近のおれにとっては、楽なんてどこにもない。
苦あり苦あり苦あり、の連続だ。

斗南大病院を退院してから、外来でお墨付きをもらったというのに、時々この寒さで腹がしくしくする。聞いたところによると傷口は癒えるまでに一年近くかかるとも。嘘だろ…。
確かに完璧な手術で傷口はかなりきれい。
でもおれの心はブリザードから復帰したばかり。
傷口は見えても心の傷は見えないしな。
そもそも斗南大病院の名物夫婦に関わった者は、大なり小なりあれこれトラブルに見舞われるという。
いいこともあればとんでもないことも。
だから楽あれば苦あり、というところなのか。

もう二度と会わないだろうと思ったあの夫婦。
もちろんおれはあの主治医にくぎを刺されて斗南大病院方面には足を向けなかった。
もともと大学は斗南大ではなく、近場の大学で、偶然斗南大病院が通学路だったせいで行くことになったわけだ。
宅急便は使わず、ゆうパックとか佐川とか。
もちろん猫も愛でず。
我が家は愛犬で良かったと胸をなでおろしたくらいだ。
それなのに、どうして自分たちから寄ってくるかな…。

飲食店でバイトをしているおれは、仲良く入ってきたカップルに目を奪われた。
超イケメンのあの姿。そして、その腕にぶら下がるようにしてにこにこしているロングの姿。
「う、うわぁ」
注文用の端末機を放り投げるところだった。
一緒にシフトに入っていた他のやつに思わず「悪い、あの二人の注文と接客、お願い」と頼んだ。
始めはぶうぶう言っていたのだが、おれの顔色が急に悪くなったのを見て、これは何かあると目をキラキラさせて行ってくれることになった。これで後から根掘り葉掘り聞かれることは確実だが、この場合そんなことは言っていられない。
一見イケメンとその彼女という二人と何かあるのかと勘繰られながらも、おれはさりげなく二人を避けるようにして働き続けた。
二人が何を話しているのかも興味ないし、懐かし話もするつもりもないし、何よりも顔を合わせたくないのだ。
ようやくレジに向かう二人を見て、おれは心底ほっとした。
ところが、だ。
こういう時に限って誰もいねぇ!
よりによってレジで顔を合わせたら、一発でばれるじゃないか。
注文を受けて注文品を運ぶ方が危険性が少ないくらいだ。だって、大半の客はメニューと注文品しか見ていないからね。
やばい、やばい。
おれはおろおろしながら他の誰かを探すが、一向に誰も来ない。
お客様である彼らをこれ以上待たせるわけにはいかない。
俺はとっさに帽子と眼鏡を店長から奪い取った。眼鏡を突然奪われた店長は「おいっ」と視界が悪くなって怒っているが、それどころではない。
帽子はこれまた店長が趣味でかぶっているものだ。どちらかというとハゲを隠すためだと思う。それを深くかぶって眼鏡をかけ、マスクをして声を変えることに。
「お会計、に、二千九百三十六円です」
「あれ、そんなに?」
驚いたような声が上がった。
おれは恐る恐る彼女を見た。
「ったく、おまえは、未だに計算もできないのかよ」
相変わらず近くで見るとこれでもかという迫力のイケメン先生が呆れたように言う。
だ、だめだ。今ここで目を合わせては。
おれはそのままうつむいてお金を出してくれるのを待った。
「レジが苦手だっただけで、接客はちゃんとできてたわよ」
何の話だ。もしかして同じようなバイトをしていた時の話か?
「三千円お預かりします。六十四円のお釣りになります。ありがとうございました」
入院中も少し鈍かった彼女は、おれの変装に気付きそうになく、少しほっとしていた。
その時だった。
「傷口はどうかな」
ぼそりとつぶやかれた言葉に飛び上るほど驚いた。
そりゃ驚いたなんてものじゃない。
まさかばれているとは。いや、この人は鋭いからばれているかもと思っていた。彼女にさえばれなければよしと思っている。
それよりも、まさか話しかけられるとは。おまけにそれが身体を心配する言葉だとは。
「かなりきれいです」
小声でそう答えると、そのイケメンの顔をふっと緩ませて「寒いと響くだろうから、お大事に」と言って、出口へ向かう彼女を追いかけるようにして出ていった。
おれはレジを閉め、思わずその場にしゃがみ込んだ。
二度と会わないというのは、おれの中では暗黙の了解だと思っていた。
でも、こうしてさり気ない気遣いを受けてみると、それほどひどい先生でもないのか。いや、これは多分彼女がかかわっていないこと前提だな。

「緒方君、いい加減に返してもらえないか」
そう言えば店長の帽子と眼鏡を奪ったままだった。
ひたすら頭を下げて「ちょっとした事情で」と言葉を濁した。
その時だった。
騒々しい音と共に「織田さん!」と彼女に声をかけられた。
…緒方ですが。
「ひぃ、人違いです」
とっさにそう返す。いや、本当に織田じゃないし。
何で戻ってくるんだ!
その時、外からひんやりとした空気が漂ってきた。
そう言えば最近急に冷え込むようになった。
…なったけど、これは何となく違う。いや、気候のせいだと思いたい。
「あれ、織田さんじゃなかったですか?」
思いっきり声をかけて「いえ、織田、じゃないです」と訂正しておく。嘘は言ってない。
「ああ、すみません。あたし、看護師なんですけど、以前に入院していた方によく似ていたので」
いえ、それはおれです。…が、今はそれについて言いたくないです。
彼女の後ろから冷気をまとってイケメン先生が苦い顔で現れた。
「琴子、店の邪魔になるから」
「あ、そ、そうよね」
おれはここで胸がちくりと痛んだ。
「ごめんなさい」
ああ、罪悪感半端ない。
ええい、とおれは腹をくくって見送るために彼らと一緒に外に出た。
「いえ、またのお越しをお待ちしております。ありがとうございました、入江さん」
そう言って頭を下げると、彼女はあれ?という顔をした。そして、みるみるうちに顔を輝かせて「お元気で!小畑さん!」と元気良く帰っていった。
惜しい、が違う。
その横で、ため息をついたイケメン先生。
仕方ないという感じでおれをちらっと見て歩き出した。
店に戻ると皆が興味津々だった。今までの顛末をどうやって話したらいいだろうか。
おれは仕事の合間に事の顛末を話しながら心底ほっとしていた。
本当に命があってよかった。
これでもう会うこともないだろう。
ところが、おれの心の平安はたかだか一週間しかもたなかったとは、この時のおれもイケメン先生も思わなかっただろう。
吹き始めた北風が身に染みる秋の終わりだった。

(2014/12/16)



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良薬は口に苦し




盛大に風邪をひいて、さすがに薬が必要になった。
初日から数日は、その場にいた西垣先生が処方してくれた。
本当に効くのかと疑心暗鬼になったが、とりあえず熱は下がってくれたようだった。
二回目に処方をしてもらうなら、今度は入江先生だと思い、まだだるい身体を引きずるようにして病院に来たのがほんの数時間前のことだ。
今日はちょっと弱っているし、仕事をやむなく休んでいるので冴えわたるメスの輝きを見せることはできないが、これでもメスの魔術師と言われたこのぼくだ。回復したらこの素晴らしい腕前をぜひ披露しよう。
ちなみに医師は自分の病気について自分で薬を処方することはできない。自分の身体は自分が一番よくわかっているんじゃないかと思うんだが、ここは素直に入江先生にご高診いただこう。
だるい身体でやってきたというのに、なかなか入江先生は見つからない。
外科病棟で待ち伏せしても、一向に現れない。
まさかぼくを避けているとか?
いやいや、ぼくがここに来たことすら入江先生は知らずに院内を忙しく動き回っているに違いない。
医局で待ち伏せという手もあったのだが、この時間帯は病棟を回る事もあって、なかなか医局には戻ってこないだろうと思ってナースステーションで待ち伏せにしたのだ。
時折咳き込むので、看護師たちが大げさに「大丈夫ですか?家で休まれた方が。(作者注訳:風邪うつすなよ、迷惑だっつーの)」としつこいくらいに療養を勧める。
もちろんぼくもそうしたいのはやまやまだが、薬ももらわずに家に帰っては、ますます風邪が悪化してしまうではないか。
それにここで入江先生の顔を拝見できれば、風邪も吹っ飛ぶくらいの効果があるに違いないと待っているのだ。邪魔をするでない。全く看護師とやらは…。

げほげほ。

「えー、大蛇森先生がいるの〜?」

この身体の辛いときに素っ頓狂な声が聞こえた。
あの声は聞いても聞いていないふりをしなくてはならない。

「しかも咳してるって〜?」

げほげほ。
咳は出てしまうんだ、仕方がないだろう。
患者に向かって咳してると迷惑そうに言うのか、君は。

「いつもは風邪をひいたスタッフに自己管理がなっていないって言うくせに」

今回は私のミスではない。教授のせいだ。
いや、聞こえない聞こえない。

「もう、早く帰ればいいのに」

聞こえな…。
げっほげっほげほげほげほ…。

頭が悪い癖に口だけは達者なちんちくりんめ〜〜〜〜。

馬鹿ね、休憩室にいるって言ったでしょ

「そうだ、聞こえてるぞ!」

ぼくは立ち上がって休憩室のカーテンを開けた。
そこにはぎょっとしたように立つちんちくりんではない看護師がいた。
よく見れば、ちんちくりんはちゃんとナースステーションにいるではないか。
こんなに離れていてあれだけ大きな声が聞こえるとは、何たることだ。
あの馬鹿声はもしかしたら宇宙の果てまで届くのだろうか。

「あ、入江くん!」

待ちかねていた人の訪れをちんちくりんの声で知った。
ふむ、こういう時には役に立つのか。
というか、こういう時しか役に立たないというべきか。歩く騒音だな。

「入江先生!」

そばに立っていた看護師がさらに驚いたように飛び退いたくらい、ぼくは入江先生に突進した。ここで逃してなるものか。

「…大蛇森先生、お休みだったはずでは」
「その通りです。今日は患者として入江先生にお願いしたくて」
げほげほ。
「まだ気管支炎が治っていないようですね」
「ええ。薬を処方してもらえますか」
「わかりました」
そう言って病棟のパソコンに向かう。
ああ、凛々しくて眩しいくらいだ。そのせいなのか、くらりと目がくらむ。
「熱は下がりましたか」
「ええ」
「咳がひどいんですね」
「痰もからんで…」
「この処方でどうでしょうか」
そう言って見せられたのはパソコンの画面だったが、つい入江先生の横顔に見とれてしまっていた。さっと見て慌てて返事をした。
「そ、そうですね。よろしいかと思います」
「では、処方しておきますね」
「ありがとうございます」
お礼を言うと、入江先生は次々と受け持ち患者の検査依頼や処方を入力していく。
その流れるような指使いはうっとりとするほど美しく、さすが優秀な外科医の指だ。
その指で撫でられたら…(うっとり)。(作者注:これ以上の想像と表現は作者の趣味の範疇を大きく逸脱してゲロゲロなので割愛します。希望される方がいましたら、渾身の力を込めて綴った文章をお届けいたしますが。)
「処方してもらったのなら早くお帰りになった方がよろしいんじゃないですか」
珍しくまともなことを言ったちんちくりんが仁王立ちしている。
言われなくとも帰るわ!
ぼくは憤然としてナースステーションを出ていき、薬局へと向かった。
既に外来は終わっているので、待合ロビーは閑散としている。
「大蛇森先生、処方薬の説明は…」
「入江先生が処方してくれたんだ、大丈夫だろう」
「…ああ、入江先生が…。その、お大事に…」
何やら歯切れの悪い薬局の主任に見送られて病院を出ると、外は晩秋を感じさせる冷え込みだった。
自宅に帰り着いて、咳き込む我が身を案じて早速薬を飲むことにした。
何やら見慣れない薬にも疑問を抱くことなく口に入れた。
漢方とはこれまたなかなかの選択じゃ…ブ、ブ―――――――――ッ!
げっほげっほげほげほ…。
み、水〜〜〜〜〜〜。
そばに置いていた水を一気に飲み、改めて処方薬を見る。
いや、これは入江先生が心を込めて処方してくれた薬だ。そもそも毒ではないし。
見慣れない漢方だったが、あいにくぼくは漢方にはさほど詳しくはない。
これを機に漢方に詳しくなるのもいいかもしれない。
いいかもしれないが、今までになく苦かった。
とんでもなく苦くて、初めて味わう苦さに涙目になって悶絶しながら処方薬を見る。

…今日はもう寝よう…。

何だかんだと言いつつその苦い薬を我慢して飲み続けた結果、さすが入江先生の処方というくらいの劇的な回復力を示したのだった。
しかし、いくら調べても薬本来の味とは異なるその苦さの原因はわからなかった。

(2014/12/20)



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類は友を呼ぶ




この間は急にインディーズの取材が入っちゃって、琴子たちとランチできなかった。
夕希ちゃんは大きくなっただろうなぁ。
琴子は…きっと相変わらずよね。
入江くんもきっとかっこいいままだろうね。
だいたい琴子があの入江くんを落とすとは思わなかった。
同じ家に住んだって、あの態度だったし。
同い年の女の子と一緒に生活してあれほど冷たくできるって、ある意味すごいわ。
あ、でも結局は結婚したんだから、無視できなかったってことだっけ。
あたしはさ、琴子が入江くんを想い続けるのちょっと反対だったんだ。
理美は心配しながらも応援していたようだけど、あたしはあんな入江くんに琴子はもったいないってちょっと思ってた。
だって顔はいいけど、性格最悪だったし。
入江くんって性格悪〜いって、何度も思った。
助かったことなんて、高校時代のあのテストの時だけよね。でもちゃんとヤマをはってくれたのも琴子のために違いないけど。あたしたちはおまけだね。
琴子は、結構かわいいと思うし、性格も結構いいよね。時々とんでもないことやらかしてくれるけど、それはそれで面白いし。
一所懸命な金ちゃんでもいいかなってちょっと思ってた。
でもあの根性でゲットしたんだから祝福しないとねって思っていたら、入江くんと喧嘩してうちに家出してきたこともあったっけ。
そりゃ留年は琴子も含めてあたしたちがバカだから仕方がないけどさー、相談に乗るでもなく思いっきり突き放す入江くんも冷たくてひどいって思った。
大学の時は、結婚してからも別にイチャイチャするわけでもないし、琴子が寄っていくととりあえずうっとおしいって顔するわよね。内心はどうだか知らないけどさ。
琴子はいつでも全力で入江くんを好きだって態度を見せるから、入江くんがつけあがってるんじゃないのって思ったりもした。
看護科に移った後も何だか琴子が悪いわけでもないのに二ヶ月近く無視されてたし。あれはないわー。
まあ、琴子が地味にもてることに今更気が付いたってやつ?
琴子の場合は相手も結構本気だからやばい。
琴子が入江くんにしか目を向けていなくてもアタックしてくる男って多いしね。
結局あの後も食堂で堂々と抱き合って仲直りして、派手なカップルだよね。
あの後は入江くんもちょっと考え直したようで、琴子に近づく男に牽制しまくり。それも笑える。あの入江くんがって。しかも琴子ってば全然気が付いてないの。
理美と会ったら面白い話聞けるかな〜。

「でね、入江くんが『ごゆっくり』って」
「へぇ〜〜〜〜〜〜」
あたしは理美の家でお茶をしながら、前回の琴子と理美の会話や入江くんの様子を聞ける機会に恵まれた。
「丸くなったと思わない?」
「思う思う」
あたしは感心して理美の話を聞いていた。
あの入江くんが、あたしたちに歓迎の言葉を口先だけだったとしても口にするなんて。
結婚する前のあたしたちへの評価なんて、絶対琴子のバカ友その1その2よね。
F組の三バカトリオとはよく言ったものよ。
「あの入江くんが理美の子どもに関心を持つとはね〜」
「そうなの。今何歳って聞くんだから、きっと歳を聞きながら自分と琴子の子どものことでも頭に浮かんだんじゃないの」
「で、子どもが生まれたらでれでれになったりして?」
「うわぁ、見てみたいけど、そんな入江くん見たくない気もする」
「理美、あの入江くんだって琴子との子どもなら欲しいって思うんでしょ」
「入江くんを落とした女だもんねぇ」
「で、琴子への態度はどうだった?少しはラブラブしてた?」
「もう、全然素っ気ないふりして、実は結構ラブラブでしょ。自覚ないだけで、どこでも変わらずの態度よね、あれ」
「ああ、入江くんって、羞恥心もあまりないって言ってったっけ」
「仕事場も同じだし、きっといろいろ迷惑かけてるわよ」
「あたし、琴子が看護師って絶対無理だって思ってたけど、本当になっちゃうんだもの」
それぞれの進路を選ぶにあたって、あたしは結構早くにインディーズとかを取材する立場の編集者になりたいって思った。
琴子は専業主婦でもよかったとは思うけど、どこまでも入江くんにくっついていたいって選んだ職業が看護師だった。結構難しかったのに、すごいよ。
あの子は中間テストでもものすごい努力であの掲示板に載ったんだった。元からバカじゃないのよね、多分。
「でも、あたしは、琴子が幸せそうでよかったと思ったわ」
理美がしみじみと言った。
そうよね、あたしたちの親友だしね。
あたしたちはバカでF組だったけど、幸せになる権利くらいはあると思うわ。
「あたしたちも頑張らないとね」
「そうそう、たとえ墓にF組って彫られようがね」
「やめてよぉ、それは」
「今度はじんこの番よ」
「そうねぇ」
そりゃ琴子ほど派手な結婚式はできないだろうけど、それなりに皆にお祝いしてもらって…。
幸せになれるかしらね、あたし。
「大丈夫でしょ、類は友を呼ぶっていうから」
「…それってそういう意味だっけ?」
「あれ?違った?」
理美はあたしと顔を見合わせて首を傾げる。
こりゃダメだ。
「やっぱりあたしたちF組だよね」
そうしてお互い吹き出して笑い転げながら、ああ、この場に琴子もいればよかったのにと思った。
きっと理美も同じこと思ってるよね。
離れても、会えなくても、お互いの幸せを願ってる。
類友で親友のあたしたち。

(2014/12/21)



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歴史に名を残す男




論文を書く。
書いても書いても納得しない。
これでどうだと仕上げた渾身の作ですら、あいつは軽々と越えていく。
悔しいことにどこまで頑張れば越せるのか、皆目見当もつかない。

手術をする。
かなりの腕前だと自負しているし、上司にも褒められる。
しかし、助手として呼ばれるのはあいつが一番多い。
簡単な手術なら任されるようになり、きれいに手早く手術を済ませたと思ったら、やつは新人外科医の手術時間最短記録を作っていた。

真理奈さんにアタックする。
なかなか真理奈さんはオッケーを出してくれない。
「入江先生だったら一発オッケーなのに」とまで言われる。
あいつは、既 婚 者 だ。

あああああ、いったいどこをどう頑張ればあいつをぎゃふん(死語)と言わせられるんだ。
研究を進めても、あいつはすぐに結論に達する。
ただの偶然だと揶揄すると、「こんな実験、条件を変えればすぐじゃないか」と言い放った。

くっそ―――、入江め。
とことんまで俺の邪魔をする気だな。
入江め、入江め、入江めー―――!

雄叫びを上げたところで周りを見渡すと、医員が遠巻きにして僕を見ていた。
「船津君、まあ、そんなに気張ったところで仕方がないよ」
「仕方がないとはどういうことです」
僕の肩をポンと叩いたのは、一応入江の上司でもある西垣先生だ。
女好きなのが玉に瑕。
「あいつは規格外。異端児の変態。反するに僕らは凡人よりは出来のいい秀才」
「秀才は天才に勝てないと?」
「何もしなくても勝てるのが天才」
「…なるほど」
女好きではあるが、頭は悪くないようだ。
「あいつの場合は99パーセントのひらめきと1パーセントの努力ってやつだよ」
「それでも琴子さんには苦労してますよね」
「それはあいつの変態趣味」
「意味がわかりませんが」
「ん?わからない?あいつは琴子ちゃんにしか勃たない変態」
「僕も多分真理奈さん以外ダメだと思いますが」
「…う、うーん、ここにもいたか」
気を取り直したのか、改めて言い募る。めげない人だ。そこは尊敬する。
「では話を変えよう。琴子ちゃんに振り回されるのがあいつの喜びで、唯一あいつが予測できない事態にワクワクして興奮する変態だってこと」
「言い得て妙だとは思いますが、僕も真理奈さんのためならどんな努力でも無理難題でも聞き届けるつもりでいます」
「おやおや、ここにも新たなる変態が」
「失礼な。真理奈さんを想うこの心が変態ならば、それでもいいです」
「ああ、でも、入江と一つ違う点は…」
「な、何ですっ?」
西垣先生に詰め寄ると、「いやー、困るなぁ」とのらりくらりとかわす。
「つまり、あいつには倍返しという恐ろしい最終兵器が」
「…倍返しは古いのではないかと」
「あ、そう?つまり入江と琴子ちゃんの関係はいつでも『いいじゃないの〜』『だめよ〜だめだめ』的なお約束な仲だということだね」
「流行語を使ったところで意味が分かりませんが」
「ダメよダメよもスキのうちぐらいの無意味なやり取りを続けるバカップルというのを無限に繰り広げるということだよ。しかも公衆の面前でもね」
「確かにあまり人目を気にしないとは思っていましたが」
「船津君と違うのは、イヤよイヤよというところかな。つまり、ダメよダメよよりもハードルが高いという点においてだね」
「わかりました!」
「お、おい、何がわかったって…?」
「つまり、身も心も真理奈さんを僕にめろめろにすればってことですね」
僕はこぶしを握って真理奈さんの元へ向かった。
「…違うと思うけど、ま、いいか」
何が違うのか。どう違うのか。その意味さえ深く考えずに。

「真理奈さん!僕はもっと勉強して…」
昼休憩を終えて食堂から病棟へ戻る途中の真理奈さんを廊下で捕まえた。
「あー、はいはい」
真理奈さんは相変わらず素っ気ない態度で返事をする。
それが本当に素っ気ないかどうか位はわかるつもりだ。
真理奈さんはいわゆるツンデレというやつに違いない。
口では何だかんだと言うが、結局は僕の話も聞いてくれるのだから。
「歴史に名を残すくらい研究して、真理奈さんの身も心もめろめろにしてみせますよ!」
決まった!
「…研究って」
「入江夫妻のようにイチャラブというやつでしたっけ。それができるくらいに真理奈さんに尽くします!そして、足腰が立たなくなるくらいめろめろにしてみせますから!」
真理奈さんは途端に顔を真っ赤にさせてうつむくと、渾身の力を込めて僕の頬を張った。

「当分口きかないで!」

廊下は静まり返り、いつもはしない真理奈さんの靴音だけが響いていた。
張られた頬に手を当てて、それでも僕はにやけていた。
真理奈さんは口をきくなと言ったが顔を見せるなとは言っていない。(それは同じ仕事場で、船津が医師だから)
そして、あの真っ赤になった顔は最大にかわいかったのだ。
必ずや、あの入江を出し抜いて、真理奈さんに最高の愛を捧げます!

「きゃああーー、そこどいて〜〜〜〜〜」

どべしゃっと後ろからストレッチャーにひかれた僕は、廊下にうつぶせに倒れながら気味の悪い笑い声を発していたという。

「どうしよう、船津君がおかしくなった!どうしよう、入江くん」
「…元からおかしいからちょうどいいんじゃないか」
「そ、そっか」

ちょっと待て。
それとこれとは違う、このバカ嫁め…。
院内安全委員会に訴えてやる…。
ま、真理奈さぁん…、我が女神…。

(2014/12/23)



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ろくでもない男




世の中の全てを呪ってやる〜という恨み節を聞かされる羽目になったのは、僕のサガだろうか。
やれやれと思いながらシャンパンを注いであげる。僕ってなんて気の利く男。
件のお嬢さんを口説いたのは僕であって、最後まで責任を持つのも僕の役目。だからそのことに文句はない。
文句はないけどさ、一緒に過ごした時間の半分以上が入江夫妻への恨み節って、どんな拷問。
僕も揃ってあれこれ言おうものなら「西垣先生とは違いますからっ」と一蹴された。
うん、なんだかね、僕には文句を言う権利もないみたいだ。
そもそも入江の奴が琴子ちゃんをないがしろにするのが良くない。
いや、そう見せかけてものすごく大事にしているというのは、知ってる人は知ってる。
でもこのお嬢さんには、勝算ありと見えたんだろうな。
クリスマス前のこの微妙な時期に来て、猛攻撃を仕掛けたらしいんだ。
そりゃもう入江は無視するわ、知らないふりどころかこの子の存在すら危うくなるほどで。
そりゃもちろん僕は見かねてアドバイスしたさ。
彼女が傷ついたら慰めてやってさ。
だからこそこうやって一緒に食事なんかしてるわけだけども。

事の起こりはちょっと前の大蛇森ウイルス騒動の時かな。
大蛇森先生が盛大に風邪をひいたせいで、職員の間でも風邪が流行ったのだ。
あ、もちろん僕はずっとマスクと手洗いうがいを欠かさず、そのしつこいとも評される風邪にはかからなかったんだけどね。
その風邪にかかった人で欠員ができて、あれこれスタッフも勤務体制変更を余儀なくされたのだ。まあ仕方がないことだということで、皆は従ったわけだ。
入江はそれこそロボットの用に働かされていたっけ。何せあいつ、疲れたとかできないとか言わないから。本当にアンドロイドかと思ったね。
琴子ちゃんはそんな入江を心配して、特製弁当なるすごいものを差し入れたりしていたんだけど、あれ食べる入江が本当にロボットだと思う。いや、ロボットでも故障しかねない。
その特製弁当を見かけた件のお嬢さん、私は手作り得意ですってな感じで弁当を作ってきたわけだ。
もちろん入江に向けてのアピールだったんだけども、一切入江は無視だったね。
もちろんあからさまに入江に食べろと持ってきたわけじゃなくて、医局の皆さんにと遠回しなアピールだったんだ。
あ、このお嬢さんは医局員の一人で、外科医局秘書だったりする。
医局付きで勤めるお嬢さんは、容姿端麗で気の利く医局員の嫁候補だったりもするんだけど、医局で働いているから医師の手の早さも噂もあれこれ知ってるから、純朴な病院の息子出身の医師を狙っていたりもする。裏では既婚医師との不倫を二股なんてツワモノも多いけど。
彼女は何故か入江をターゲットにしちゃったらしいんだな、これが。
やめておけっていう忠告は多分山ほど聞かされたんだと思う。
僕が誘いをかけた時は、やれるものなら頑張ってみればというアドバイスが効いたのか、時には一緒に食事をしてくれるようになったのだ。
そうそう、入江が本当にこのお嬢さんに堕ちてくれたならそれも面白いかと。
まあ、十中八九ないと見たけどね。
あの手この手で入江にアピールする作戦を横目で見ながら、僕はそろそろやばいかなというラインで一応忠告した。
琴子ちゃんにだけは直接手を下しちゃだめだよと。
琴子ちゃんが泣くのなんて見たくもないどころか、桔梗君とか周りにはかばう体制満々の面々が控えていて、もしも琴子ちゃんに被害が及ぶようなことがあったらどうなることやら。
入江大魔王に勝てるものなんて、この病院にいないんじゃないかと思う。
僕が関わっていてもいなくても、どうせとばっちり来るんだし。
なのに、琴子ちゃんに言っちゃったらしいんだよな。
「医局では私がお世話しますので」
確かにあれこれ用事があるから、お世話と言えなくもない。
様子を見に来る琴子ちゃんへの牽制で言ったんだろうけど、来ないなら来ないで入江の機嫌がね、うん。
うっとおしい、来るなと言いつつ、来ないと呼びつけて洗濯物とか持って帰らせたり、何と言うかツンデレにもほどがあると言うのか。
結婚してる先輩なんかはにやにやして見守っているわけだけども、新人研修医なんかは奥さんに冷たくありませんかなんて心配していたりする。
ああ、こうやって琴子ちゃんへの同情と愛情を勘違いする輩を生産する入江って、究極のツンデレだよな。
勘違いした人々の前で熱烈キッスをわざわざして見せて撃沈させたりだとか、それ何て言う暇つぶし?みたいな。
そういう態度を理解しきれていなかったお嬢さんは、まだ人生経験足りなかったんだろうね。
世の中にはツンデレっていうジャンルが認知されるようにはなってきたけども、実際目にすると、女に対して「ひどい」という言葉しか思い浮かばないものなんだよ。
僕なら女の子には優しくするのが常套だと思うんだけどさ。
それがいいっていう入江に熱を上げてる女、多いよね。僕がやったら即無視なくせに。
あれやこれや策を弄した彼女が最終的に手に入れたものと言えば、必要最低限どころか無視されかかった医局秘書の出来上がりという何とも悲しい結果に。
入江は何でもできる。
人に頼るより自分でやった方が確実に速いし間違いがない。
どれだけ忙しくても雑用だろうと結局は頼まなくてもできてしまうのが難点だ。
つまり、医局秘書何てお呼びじゃない、ということが態度で示されると、医局秘書の意義というか存在価値が…。
たいていの医局員は彼女がいないと手続き一つまともにこなせないような奴ばかりなので、彼女の仕事は十分にあるし、プライドも保てる。
人のプライドを粉々にして、おまえはお呼びじゃない、と暗に突き放すこのやり方、入江って怖いよなぁ。
琴子ちゃんなんて人一倍できない子なんだから、このやり方やっていたら絶対に落ち込んでしまうんじゃないかと思うんだけども、そこで終わらないのが琴子ちゃんのすごいところ。
そう、琴子ちゃんは根性の塊なんだ。
入江に突き放されようが、そんなことあたりまえって顔をして突き進んでいく。
時々斜め上な解釈も多くてそれはそれで入江も苦労してるとは思うけど。
お嬢さんはそんな二人を知らないんだろう。
この目の前の彼女はシャンパンを片手にうーと唸りながら、きっと心の中ではどうして?とか入江に手を出すんじゃなかった、みたいなことを考えているのだろう。
「僕にしておけば?」
半分期待してそう言えば、「イヤ」と即答。
いわく、僕と付き合えば何だか負け組みたいな気分なんだと。おいおい。
じゃあ今日の食事はいったいどんな気分で来たのかねぇ。
「なによ、なによ。みんなして琴子さんの何がいいって言うのよぉ」
「うーん、それがわからないうちは、入江は落とせないと思うけどね」
あ、しまった、と思う間もなく「ほんとろくでもない男!」と力強くシャンパングラスをテーブルにたたきつけた。
それが入江のことだったのか、僕のことだったのか。
ま、どっちでもいいけど。
僕ははいはいとシャンパンをさらに注ぎ足すのだった。

(2014/12/27)



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