イタkiss祭り2014and10周年記念





たっている者は親でも使え




院内で迷子になった琴子を見つけた後、そのまま家に帰ることにした。
手術続きで疲れていた上に朝から八時間の長時間オペで頭もうまく回らない気がした。
暇そうな指導医は、連日助手でこき使われる下の者の苦労を忘れたかのようにふらふらと院内をさまよっていたりする。
この際指示だけ出したら後は任せても罰は当たらないだろう。
これが普通の指導医だったなら、俺もここまで失礼なことはしないだろうが、既婚未婚問わずのラブハンター(自称)らしいので、呆れてものも言えない。
実際何もコメントしないとしつこくコメントを求めるところが、なおうっとおしい。わざわざコメントしないことを知っているはずなんだが。
そんなことを考えながらロビーに行くと、琴子は知らない奴に話しかけられていた。

「あ、入江くん。この人ね、第二内科の病棟に行きたいんだって」

すぐそこに案内板があるんだが?

「それでね、あっちだったかこっちだったかわからなくなっちゃったんだって」

話しかけてきたという奴を見ると、明らかに腰が引けてきている。

「おまえは案内できるのか?さっきまで院内で迷子になっていたんだろ」
「えー、でも病棟ならわかるよ」
「おまえに案内してもらうより、案内板を見た方が確実だと思うが」
「もう、意地悪。えっと、あら?どこ行っちゃったのかな」

琴子が俺と話している間に先ほどの奴はさっさと退散したみたいだが?
なおも心配そうにきょろきょろと辺りを見回していたが、視界の中にはいないのを確認して言った。
「きっとわかったんだね」
「…そうだといいな」
「じゃ、帰ろ」
そう言って俺の腕に捕まってきた琴子は、先ほどまで涙でぐしゃぐしゃだった顔もご機嫌に変わっている。単純なやつ。
正直、早く家に帰って夕食よりも先にベッドに潜り込みたい。
疲れと眠さでぼんやりとしながら家に帰り着くと、能天気なおふくろが言った。
「あら、お帰りなさい。今日は夫婦仲良く帰宅なのね」
「あ、ただいま、お義母さん。夕飯の支度手伝いますね」
「あらいいのかしら」
おふくろはちらりとこちらを見た。
夕飯なんか後だ、後。
俺の無言のサインがわかったのか、おふくろはにんまりと笑って言った。
「…そうね、こっちはもうほとんど下ごしらえも済んでるから、お兄ちゃんのほうを手伝ってあげてね」
「はい」
そう言いながら琴子は首を傾げている。
いったい何を手伝うことがあるのだろうかという顔でこちらを見る。
「じゃあ、入江くん、着替え手伝うね」
足取りも軽く二階の自分たちの部屋へと上がっていく。
「あ、琴子ちゃん、ゆっくりでいいわよ!」
「は、は〜い」
ちっ、余計なことを。
「疲れた顔しちゃって。夕飯は後でも食べられるように適当に準備しておくから」
俺の無言をどう解釈したのかおふくろは楽しそうに言った。
「明日の琴子ちゃんの勤務は夕方だから、任せてちょうだい」
そこまで誰も頼んでない。
「ついでに言うと明日はごみの日よ〜」
そんな声を背中に聞きながら、琴子の待つ寝室へと向かう。

「入江くん、その上着かけておくね」
もちろん俺は上着だけじゃなく、シャツもズボンも脱いでいく。
「入江くん、もうお風呂に入るの?」
手術後にシャワーは浴びたけど?
「えっと、し、下着、今ここで…」
相変わらずわかっていないやつ。
上着をかけ終わった琴子をすとんとベッドに押し倒して、さっさと横になる。
「つ、疲れてるんだね」
「ああ。誰かさんはナンパされてても気づかないし」
「ええっ、入江くんナンパされたの?」
おまえだ、おまえっ。
「手術後で、おまけに寝不足で疲れてると、どうなるか、いい加減学習してるよな」
「というと」
琴子は学習能力がいまいちだ。
だからこそ毎回騙されるわけだが。
「お、お義母さん、て、手伝い…」
「いいんだよ、そっちは。ゆっくりと言ってただろ」
「そっち?そっちの意味なの?!」
「立っている者は親でも使えって事だから、問題ない」
まあ、今この場合はたつの意味が少々違うけどな。
「た、勃つ…?」
と言いながら琴子は俺のをちらりと見た。
「いやーん、入江くん、王子様じゃなくて狼〜」と言いながら、おいしく食べられたのだった。

(2014/10/21)



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違いのわかる男




入江先生がぼくに向けて放ったコスモスの花は、花びらが名残惜しげにはらはらと散っていった。
その美しさをずっと留めたかったのだが仕方がない。
しかし、脳外科教授の秘書Tに「押し花にしたらどうですか」とアドバイスされた。
それはなかなかいいアイデアだ。
押し花なら花びらが取れてしまっても問題ないという。
ぼくは初心者でもあるので、いろいろ調べて押し花キットなるものを使うことにした。
ふむふむ。
ごく簡単にできるらしい。
これであのコスモスは美しく保存される。
そして出来上がった押し花は、栞にして普段読んでいる本に使うことにした。
初心者のぼくだったが、このコスモスの美しさはどうだろう。
こんなところでも能力を発揮させてしまう。

「大蛇森先生、昨年の八月ごろに発表された論文で、小児脳神経学についての興味深いものがあったらしいのですが、お持ちならぜひお貸し願いたいのですが」
「ああ、なかなか新しい試みだったようだね。しかし、その見解については少々疑問なこともあり…あ、いや、まずは読んでみるのがいいだろうね」
「ええ。読んだ後で大蛇森先生の見解をぜひ拝聴したいです」
「では早速研究室から持ってこよう。今から研究室に来るかね」
「いいんですか。お邪魔ではないでしょうか」
「何を言ってるんだね。君ならいつでも歓迎だよ。これを機会にもっと脳神経外科にも親しんでもらいたいものだよ」
「そのお言葉だけで…」
そしてぼくがさりげなく挟んだ栞を見て「このコスモスは…」と気づくだろう。
「そうだよ。君からのメッセージはきちんと受け取ったよ」
「ああ、ぼくが既婚者であるばっかりに、こんな形でしか大蛇森先生への尊敬の念をお伝えすることができなくて」
「何を言ってるんだ。これでも十分なくらいだよ。あのちんちくりんへのボランティアを終えたら、いつでも君が飛び込むための胸は空けておくから」
「…大蛇森先生…!」

「大蛇森先生?」
はっとして目の前の入江先生を見た。
今のは夢か幻か。
いや、これは正夢だ。
目の前にはぼくに論文の載っている冊子を貸してほしいと願う入江先生がいた。
「では今から研究室に来るかね」
「そうですね。お手を煩わせるのは申し訳ないのですが」
やはり正夢だ!
研究室へ向かうために踵を返したぼくの耳に耳障りな音が響いた。
何だ、今からいいところなのに。
入江先生のポケットから聞こえた院内携帯電話の音だった。
全く、昔もあのポケベルの音がわずらわしかったが、今は電話となって誤魔化しも効かない。
入江先生は「失礼します」と断ってから手短に会話を済ませるとぼくに言った。
「すみません、大蛇森先生。病棟から呼び出しが来てしまいました。研究室にお邪魔するのはまたの機会ということにしてください。冊子の方はもしかしたら注文したものが早く届けば大蛇森先生のお手を煩わせることはないと思います」
「…あ、ああ」
「それでは。呼び止めてすみませんでした」
それだけを言って、颯爽と入江先生は去っていった。
背の高い入江先生は翻った白衣とともに僕の心をも持っていってしまったようだった。
ぼくの胸ポケットには出来上がったばかりのコスモスの栞がある。
入江先生、ぼくだけはちゃんとわかっていますよ。
あなたのその心、このコスモスに託した想いを。
取り出して眺めているとため息が出てくる。
秋は何故こうも人寂しい想いにさせるのだろう。
その時だった。
ドン!とした衝撃を腰に受けたとともに「ごめんなさ〜い」と不快な声がした。
あろうことか手にしていた栞がすっ飛んでいった。
いててと腰をさすりながら振り向くと、案の定不快な声の持ち主はちんちくりんだった!
「な、何やってるんだね、君は」
「あれ、大蛇森先生。こんな廊下の真ん中で立ち止まらないでください。あー、忙しい」
傍若無人なちんちくりんは嵐のように去っていった。何て奴だ、全く!
立ち去った後には…大量のコスモス…?
これは入江先生が愛の証にばらまいていったのだろうか。

「あの一輪だけではこの愛を伝える術が足りませんでした」
「何を言ってるんだね。あの至極の一輪で十分なんだよ」
「いえ、もっと熱くお伝えすればよかったです。ああ、仕事の呼び出しが…」
「構わないよ。その心だけもらっておくよ。ぼくは違いのわかる男だからね」
「ああ、何て心の広い方なんですか」
「モナムール、その美しい姿を見られるだけで今日はもう…」

「あの、すみません。片付けますので」
いつの間にか掃除のおばちゃんがいた。
「ああ、はいはい」
おばちゃんのために廊下を明け渡すことにした。
よく見れば、コスモスは無残に散らばっている。
何故廊下にここまでコスモスが散らばるのだろうか。
ああ、そう言えば先ほどちんちくりんが怪獣のように荒らしていったっけ。
あれ、そう言えば、入江先生からの愛の証が…。
ぼくはポケットを探ったがなかった。
先ほど手にして、それから…。
どこへ行ったんだ?
見回すと、廊下の少し先にそれらしきものが落ちている。
ああ、あったあったと思い、近寄ろうとしたとき。

ゴゴッ、ガガガガガッ。

「あらぁ、何か吸い込んじゃったわ」

ぼ、ぼくの栞が…!

「いやねぇ、引っかかっちゃって」

おばちゃんが吸い込んだ掃除機から取り出されたのは、渾身の作の栞だった…。
しかも折り目もついてぐしゃぐしゃに。
「ああ〜〜〜〜」
「あら、これ先生のだった?ごめんなさいね。この消火器の隙間から出てきたからわからなかったのよ」
おばちゃんは申し訳なさそうに栞を渡した。
いや、本当に悪いのはおばちゃんではない。
そもそもすっ飛ばしたぼくも悪い。
「ほら、ここにたくさんコスモスあるから持っていって。これでまた作れるわよ」
いや、それとこれとは価値が違う。
「ほらほら、遠慮しないで」
そう言ってコスモスを押し付けられた。
よりによって黄色。花言葉は…野生の美しさ。
野生なんてちんちくりんじゃあるまいし!しかも美しさ?けっ。
そもそもぼくがすっ飛ばした原因を作ったのは他でもないちんちくりんだ。
おのれどこまでも邪魔をするちんちくりんめ。
黄花コスモスの花びらをちぎっては投げ、ちぎっては投げた後、ぼくはぐしゃぐしゃになった栞を手にして憤然と立ち去るのだった。
その背後で「ちょっと、散らかさないでちょうだい」というおばちゃんの声を聞きながら。

(2014/10/22)



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都合のいい男




「やあ、今度のコンサート、楽しみだねぇ」

「うん、いいよ、君とならディナーもきっと楽しいだろうねぇ」

「そうそう、そこのランチがおいしくってね」

次から次へと花に群がる蝶のようにひらひらとあちこち飛びまくっている、自称ラブハンターの西垣先生。
どう見てもいいように使われているようにしか見えないけれど、本人が満足しているならそれでもいいかと、あえて誰も何も言わない。
もちろん賢いと自負のある彼ならばそんなことくらい承知の上かもしれないけれど。

「琴子ちゃん、だから僕にしておけばって…いてっ」

そんなセリフとともに視界から消えた。
後ろからさり気なく入江先生が西垣先生の膝裏を蹴ったせいで、膝かっくん状態だ。

「いーりーえー」
「ああ、すみません、見えませんでした」
「いつもいつもくだらない言い訳を」
「いつもいつもくだらない誘いをかけている人に言われたくありませんね」
「ちぇ、何だよ、ちょっとしたコミュニケーションの一つだろ」

ぶつぶつ言いながらも結局は入江先生に従っている。どっちが上司だか。
琴子は琴子であの入江先生の奥さんだけれど、入江先生に対しての外敵にしか反応していない。自分への誘いはあまり気にしていないようだ。
もちろんあからさまにモーションをかけてくる西垣先生のような人にはきっぱり断っているけれど、曖昧に誘ってくる患者さんだとか、強引に誘ってくるような人だとか、道を聞かれるようなナンパに対しては全くの無防備だ。
その無防備さをかなりの確率で阻止しているのは、他でもない夫である入江先生だったりする。
一見するとその冷たい態度は、本当に夫婦かと疑いたくなるようなやり取りだった。
それでも、しばらく見ているとわかる。
この二人が真実夫婦であることが。
新婚でもあるまいし、未だに琴子の肌には定期的に所有のしるしがつけられている。いったい結婚何年経ってるの、と言いたくなる情熱ぶりだ。
世の中にいろんな夫婦がいるから、そういうプレーだと言われればもっと納得がいくかもしれない。
でもこの夫婦は全くの天然でイチャイチャしてるから、しばらく見てると気付くと思うの。
あの冷たいと言われる態度も見せかけだってことに。
あたしも最初はそうだと思ったのよね。でも、さりげないところでフォローする入江さんに、それに気づかない琴子。
そして、それに騙されていた啓太。
ああ、今じゃ啓太の件は地雷ね。
何せあの熱血啓太がいつの間にか既婚者で年上だとわかっていてはまり込んだ横恋慕。
熱血だからこそ、素っ気ない態度の入江さんに怒って奪おうとしたのだけれど。
男女の仲は端から見ていてはわからないくらい複雑怪奇ってことよね。
明らかに支配しているかのような入江さんが、実は琴子の行動一つ一つに振り回されているんだってこととか、素っ気ない態度は照れ隠しなのかと思いきや普通に面倒なだけで、実は人前でのキスだって平気だってこととか。
顔も頭も超一流で、外から見えない性格はともかく、第一印象では断トツでファンになったあたし。
いろいろお近づきになれて、その辛辣なまでの人間嫌いだった片鱗だとか、琴子に対する愛を見せつけられるにいたって、少しは考えたわけよ。
見た目だけに惹かれた最初とは違う愛に。
すでに友人になってしまった琴子に対するひどい態度は許せないし、他人に対しても時々ひどく冷たいものを感じることもある。自分に対してもすごく厳しい人よね。
でもそれは中途半端に優しくもできない、完璧主義な性格が災いしてのこと。
それを知ってからものすごーく尊敬と信頼を感じて惚れ直しちゃったのよね。
何か頼まれごとをされて、それがたとえあたしのメリットじゃなくて琴子に対する愛からくるものだとしても、入江さんのためならって思ってしまえるほど、あたしの心は深く入江さんを愛しちゃってるの。
入江さんの幸せのためならば、琴子を幸せにするのも厭わないほどよ。
琴子の幸せイコール入江さんの幸せってところかしらね。

「桔梗、これのフォロー頼む」
「はい喜んで」
直々に頼まれれば、それが少々難しいことだって引き受けてしまうわ。
琴子を早く帰らせるためだとしてもね。
まあ、実際琴子がやるよりはあたしがやった方が早いし正確ではあるのだけれど。
あたしっていいように入江さんに使われちゃって。それなのにそれすらも喜びだなんて。
ほんと、あたしって都合のいい女…え?性別は男だって?ん、もう、そんな細かいこといいじゃないの。
「え?南青山のレストラン?うんうん、わかったよ、ちゃんと予約するからね」
あら、ここにも。
誘う女に振り回されるなんて、この人も困った人よね。
あ、でもそれが僕の幸せとか言いそうだわね。
そう考えれば、意外と器の大きい男なのかしら。
「あ、入江のヤツ全部仕事押し付けていきやがった!」
気が付けば、いつもそんなこと言ってる。器、小さい?
「あたしたち、本当に都合のいい男ですよねぇ」
そうつぶやくと、西垣先生は胸を張って言った。
「何言ってるんだ。入江ほどあんな都合のいい男、いるわけないじゃないか」
「え、どういう意味です?」
「何でもできて仕事も早くて、困ったときは入江頼みだろ。琴子ちゃんのしでかしたことも全部尻拭い。大蛇森先生の標的からも逃れられて万々歳だね、僕は」
あの、それって自分は無能って言ってます?
しかも今回も仕事押し付けられてるんですよね。
いや、でも、この人も一応外科医の中ではまともで優秀のはず。
「わー、しまった、これ入江に聞こうと思っていたのに」
…やっぱり無能ですか?
「あいつはやっぱり都合のいい時だけいなくなる男だ!」
そんな叫びをバックに、あたしは入江先生に頼まれた仕事を黙々とこなすのだった。

(2014/10/24)



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天は二物を与えず




あ?今更それを話せって?

飲み会の席で言われた言葉に少しむっとしながらも、酔いも手伝って話すことになった。
いわゆるお前はイケメンだからそういう辛い恋の話なんかないだろうと言われたのがきっかけだったか。
イケメンだか何だか知らねぇけど、本物のイケメンを知っている俺としては、そんな自信持つこともできねぇよ。
男なら、辛い恋の一つや二つ、抱えていたってそう他人様にペラペラしゃべるもんじゃない。
そんなふうに言ったら、じゃあお前の辛い恋ってのはどうなんだ、と。
かさぶたから傷痕程度に回復されてきて、ようやく新しい恋に踏み出せそうなときにほじくるんじゃねぇよ。
そんなふうに言ったら、今後の参考にぜひときたもんだ。
この場に幹がいなくて助かったぜ。

言われなくても俺が少々暑苦しい男だっていうのは知ってるよ。
周りに冷めた奴がいると特に感じるからな。
辛い恋だって気づいてから、破局を迎えるまで短かったな。
何でかって?
それも言うのか。あまり気乗りしねぇな。
ああ、わかった、わかった。
相手が人妻だったからだよ。
…いや、まったく勝ち目なかったけどな。
相手?
いや、全然色っぽくもないし、身体もふつう。
だいたいそんなふうに見たことなかったよ。
今となっちゃそんな想像することすら恐ろしくてできねぇよ。
じゃあどこに惹かれたのかって?
うーん、難しいな。
ああ、うん、いいやつだよ。少なくとも一度はほれたくらいのやつだから。今じゃ一応いい友人ってことになってるな。
天真爛漫、傍若無人、かな。
へ?なんだよ、その四字熟語って?一言で表せって言ったからだろ。
…これでも年上だったんだよ。
だから、年上ってことを感じさせないやつだったんだよ。
美人じゃない。どちらかというと…。
ああ、くそっ、思い出したくない。
そいつの旦那は…ああ、そいつとかこいつ呼ばわりすんなとか言われたんだっけ。その相手の旦那は一見すると冷めた奴。
そこから救い出してやろうと思ってた。
俺には俺の夫婦像があって、あんなふうに厳しくて容赦のない愛なんて嘘だと思ってた。
それこそ精神的…DVだっけ。そんなもんだと思ってた。
だけど、馬鹿げたことにその旦那、嫉妬を知らなかったんだとよ。
知らないってあり得るか?だよな、普通の人間ならあり得ないよな。
確かに奴は何でも持ってて、顔はイケメン、頭は全国でもトップ。いや、マジで模試とか一位だったらしい。そっちの方があり得ねぇよな。でもって有名な社長の息子。
何が足りないって感じだろ。
そう、唯一なかったのは人間らしい感情だとよ。
ほら、冷めた奴だって言ったろ。冷めてるじゃなくて、知らなかっただけなんだ。
あれだけ頭のいい奴なのに。
天は二物を与えずって、本当だなってそのとき思ったよ。
そして、俺が一時でも惚れたと思った女は、そういう感情だけで生きてる女だったから。
ああ、先が読めたって?
だからあの夫婦は二人で一人なんだとさ。
つまんねぇオチだろ。
つまり俺は道化ものだったってわけ。
失恋も何も、最初から勝負にもなってねぇの。
二人がより仲良くなるなら、それはそれで役に立ったと思うことにしてる。
あまり、悲しむ顔は見たくないだろ。それが他人の女だってなんだって。
ああ、わかってるよ。
お人よしだって。
ちくしょう、あいつ、あんなふうに感情まで手に入れたら、誰も太刀打ちできねぇな。
天は二物を与えずって、嘘だと思うぜ。
ああ?さっきと言ってることが違うって?
いいんだよ、そんなこと。
酔ってねーよ!
酔ってねぇ…。

昨夜の記憶は途中まで。
頭いてー。
リハビリ室から売店に移動しようとして廊下を歩いていたら、目の前に大蛇森先生。
ちょっとだけ苦手なんだよなー。
足を進めるのを躊躇していたら、あの女がやってきた。
「ごめんなさ〜い」
あろうことか大蛇森先生に体当たりしてこっちへ向かってきた。何で普通に廊下を歩けないんだろう。
思わず廊下の端に寄り、やり過ごそうとした。
「あら、啓太」
「あ、ああ」
内心捕まったと思いつつ、一応挨拶はかわす。
「何よぉ、その態度。今度秋子ちゃんからいろいろ聞いちゃお」
「おっまえなー(あー、いてて、頭いてー)」
「顔色悪いわよ。あー、まさか飲みすぎたの?」
いつでも元気印。そりゃ琴子のいいところだけどよ。
琴子はバンバンと俺の肩を叩いた。その拍子に俺の頭は廊下にぶつけられる。
ただでさえ痛い頭が物理的に痛めつけられる。
「じゃあねー」
俺は痛む頭を抱えて怒鳴った。
「琴子、てめぇ〜〜〜〜」
怒鳴った時にはすでに遥か彼方の廊下。
一つだけ言えることは、あいつと付き合えるのは俺じゃ無理だってこと。
あれだけ迷惑な女は、もっとしっかり管理してもらわないとな。
あの天才様ですら制御できないとは、おそろしい女だぜ。
天は二物を与えずって、本当かもしれねぇな。

(2014/10/25)



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とんでもない女




病院からママが上機嫌で帰ってきた。
「琴子ちゃんと会ってね〜」
とても楽しそうだけど、決して病院へは患者として行ったわけではないことをここに記しておく。
「あの人が変態で上司の大蛇森先生だったのね」
ふうっとため息をついてさりげなく言った。いや、変態って、その上司が?
そう言えば一度聞いたことがある。琴子がお兄ちゃんを狙う変態がいると。
琴子も十分変態の域に入るかと思っていたけど、それに輪をかけて気持ち悪いもみあげを大事にしている男性医師なんだと。
お兄ちゃんは正直弟の僕から見てもかなりのイケメンで、頭も天才的で、なんでも器用にこなすスーパーマンだ。
男でもお兄ちゃんに入れ込んだり…するかもな。
忘れていたけど、琴子の同僚のあのおかま。あ、あれはおかまだからお兄ちゃんを好きになってもおかしくはないのかな。
なんだかわからなくなってきた。
「今日もいいショットが撮れたわ〜」
そう言ってママはデジカメのデータを嬉々としてパソコンに移している。もちろんデータは二重三重に管理して、抜かりはない。
以前はパソコンも苦手だったはずなのに、いつの間にか写真の加工もDVDの編集もプロ顔負けになってきた。
おもちゃ会社だけでなく、写真屋もできそうなくらいだ。
病院に何しに行っているのかと言えば、医師と看護師をしている兄夫婦の仕事を観察し、見守って、いい場面があればすかさず記念に写真なり動画なり撮ってくるのが日課だ。
その合間に家事も社長夫人としての気配りもボランティアも町内活動もこなしているから、うちの家の中で一番のスーパーマンは実はママじゃないだろうか。
あ…ママと呼ぶのは家の中だけで、外ではちゃんと母とかおふくろとか呼び変えるようになった。お兄ちゃんみたいにスマートにおふくろ呼びに切り替えられなくて、いきなり母さんとは呼べなかった。
まるでマザコンみたいだと愚痴っていたら、好美は気にしないという。琴子とは違っていい彼女だと思う。
その琴子はいまだにお兄ちゃんのことを『入江くん』呼びだ。これにはお兄ちゃんも諦めてそのままにしている。
でも僕が思うに、お兄ちゃんも結局結婚前からの気持ちを引きずっていて、そう呼ばれるのを喜んでいるみたいだ。
結婚して何年経ってるんだか。
少なくとも、兄夫婦に比重が偏っている限り、僕と好美は安泰だ。
あんなふうに追いかけられるのはたまったものじゃないからね。

そんなある日、琴子は大事な用があるんですと張り切って出かけた。
少し前から挙動不審なのはわかっていたけど、どうせお兄ちゃん絡みなんだろう。琴子の勘違いと早とちりが九十パーセントといったところだろう。
同じように察したママは、その日暇だった僕に、尾行をしてほしそうな顔をした。
絶対嫌だと突っぱねて逃げると、ものすごく残念そうだった。ママもその日は抜けられない用事があったらしい。
それでも、ママの心配をよそに兄夫婦は揃って帰宅した。
僕が帰ってきたときはすでに寝室におこもり中で、二階に行くのをためらわれるほどだ。
お兄ちゃんはもっと淡白な人だと思っていたのに、結婚してからははがらりと変わった。
あのお兄ちゃんをあれだけ変えるのは、琴子以外ありえなかった。
…と思うのは今になって思うことで、本当はずっと何で琴子なんだろうと思っていた。
お兄ちゃんが琴子を好きなんだと気付いたあの清里で、僕はありえないと思いつつ、仕方がないかと思っていた。琴子だから。
お兄ちゃんの周りにはもっときれいな人も頭のいい人もいた。
それこそ婚約者になろうとしていた人はほぼ完璧だっただろう。
もちろん僕だって何で好美なんだろうって思うこともあったから、同じ理由だろうと想像はつく。
たとえ相手が粗忽で無謀でバカで不器用でも、好きになってしまったら関係なくなるのか?
いや、やっぱり無謀でバカだと思うし、粗忽で不器用だと思うのは変わらない。
お兄ちゃんは琴子に対して時々力一杯怒鳴っているし、お世辞も言わない。
それは本当にすごいと思う。
琴子は全身全霊でお兄ちゃんのことを好きなはずだし、それだけ自信もあるんだろうけど、喧嘩しても結局お兄ちゃんに丸め込まれている琴子を見ると、これは相手が悪いと思うだけだ。
僕はとてもそこまで好美に対して強気には出られない。
琴子はいいやつではある。いろいろと迷惑もかけられるけど、人間としては好きな部類だ。
家族としてなら、何とか迷惑さも目をつぶってやれる。
でも正直それだけだ。
「お兄ちゃんは、何で琴子がいいんだろう」
ぼんやりとそうつぶやいたら、それを聞きつけたママが言った。
「お兄ちゃんって、喜怒哀楽がほとんどなかったでしょう。ずっと冷めてて、怒鳴ることもなければ悲しんだり楽しんだりもほとんどなかった気がするの」
「そうかな」
「でも、琴子ちゃんと一緒にいたら、きっとそういう人間らしい感情を保っていられるんでしょう。そうでなければ医者になろうなんて思うもんですか」
ああ、そうかも。確かに昔のお兄ちゃんなら、医者なんて選択肢出てこなかったかも。
「あの直樹が、患者さんの気持ちを慮ったり、小児科に行こうだなんて思いもしなかったわ」
「それはノンちゃんのことがあったからでしょ」
「それよ、それ。ノンちゃんの病気を治せるかも、治したいって気持ちも、結局琴子ちゃんがきっかけでしょう。そんな人生の一大決心のきっかけになった女の子、無視できるわけないわよねぇ」
そのノンちゃんでさえ、冗談交じりに言っていた。
琴子さんほどすげぇ女、もう一人くらいどこかにいるかな、って。
お兄ちゃんには即答でそれは難しいって言われたんだって。
まあわかるよ。
あんなとんでもない女が二人もいたら、大変だもんな。
でも、ノンちゃん、それ間違ってるよ。
琴子みたいなとんでもない女を基準にするなんて。
「…何だかんだと言っても、結局琴子っていろいろ得してるよなぁ」
早く寝静まらないかと二階を見上げてぼんやりとつぶやいたら、ママは笑って言った。
「それが人徳でしょう。人徳のないお兄ちゃんにはピッタリじゃない」
いや、ママ、それはちょっとひどいよ。いくらお兄ちゃんでも人徳くらいあるよ。
それに逆を言えば、そんな琴子を手に入れたんだから、それも徳ってもんじゃない?
でも、こんなふうにリビングで待機状態にならないようにしてくれると、僕としてはありがたいんだけどなぁ。

(2014/10/27)



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