イタkiss祭り2014and10周年記念





病は気から




病気って、気づいた途端に自覚して悪化することなんて、あるある。
熱が出ていないと思って仕事していたのに、三十八度以上なんて知ってしまったら、動けなくなっちゃうなんてことも。
あたしは滅多に風邪をひかないから、バカは風邪をひかないって何度言われたことか。
逆に夏に風邪をひけば、バカがひく夏の風邪とか言われたりして。
失礼しちゃうわよね。
だいたい風邪をひくなんて、自己管理ができていない証拠とまで言ったくせに、病棟内で倒れたドクターがいた。
言いたくないけど、大蛇森。
自分のことを棚に上げて、よく言うわよね。
これなら風邪もひかないあたしの方がずっとましじゃない。
大蛇森が倒れた後の病棟は、それはそれは随分と大騒ぎだったらしい。
うわごとで何やら孫悟空がとか、三蔵法師がとか言い出して、いよいよどうにかなったんじゃないかと噂になったようだ。
ちょうど大蛇森所蔵のお釈迦様の話も出た後のことだったし。
ちなみにそ頃あたしは…い、いえ、とても言えない。
とにかくその場にはいなくて、もう一度病棟に戻ってきた頃には不要と言われてそのまま帰宅したのだった。
タクシーに押し込められて、入江くんと二人一緒に帰り着くと、ようやくあたしの足腰も何とか立てるようになってきたけど、あんな短時間でヘロヘロにする入江くんって…。
というより、入江くんだからこそすぐに骨抜きにされるあたしがいけないんだろうか。
仕事も途中でモトちゃんに任せることになって、あたしはまたモトちゃんに頭が上がらないじゃないの。
それを言えば、モトちゃんには別の形でお礼するからいいんだって。
そりゃあたしからのお礼より、入江くんからのお礼の方がきっと何倍も喜ぶんだろうけど。
大蛇森は迷惑なことに一晩病棟でお世話になってから翌日研究室に引っ込んだんだって。
研究室にはお釈迦様が置いてあるというから、熱心に風邪が治るように拝んでいたんじゃないからしらね。
患者のために拝めばいいのに、本当にどこまでも自分大好きな奴よね。

それはともかく、ここのところ職員の間でも風邪が流行っているみたいで、まるで大蛇森がうつしたみたいだっていう噂。
いつのまにか忌まわしげに大蛇森ウイルスという名までついていた。
この大蛇森ウイルス、一度かかるとなかなかにしつこい。まさに大蛇森のようよね。
治ったかと思うとぶり返し、だから周りの人にもどんどんうつっていくという結構いや〜な感じ。
職員が風邪をひくと困るのが、患者さんにうつさないかっていうこと。
患者さんの中にはちょっとしたウイルスや菌で大変なことになってしまう人もいるからね。
モトちゃんいわく、一番最初に大蛇森ウイルスにかかったせいで、結構大変な目に遭っていた。
モトちゃんは一人暮らしだから、それこそ熱の出た身体を無理に動かして暗示をかけていたんだって。
『あたしは熱なんて出ていない。出ていないから測らない!』
それくらいの勢いであれこれと用事を済ませてからばたんきゅうと倒れこんだらしい。
智子が様子を見に行ったら、ベッドの上でうわごとを言っていたんだとか。
「ねえ、琴子さん、大蛇が〜ってうなされていたのよ」って智子から聞いたときはぞっとしたわよ。
あ〜、どこまでも最悪な大蛇森。
入江くんにまでうつらなくてよかったわ。ついでにあたしにもね。
でも、一つだけ、ちょっと嫌な夢は見たのよ。
夢の中で三蔵法師があたしのことをあれこれこき使うのよ。
しかもその三蔵法師ときたら、どこかで見たようなもみあげ。
三蔵法師ってつるっぱげじゃなかったっけ?
ただの勘違い?
どっちでもいいけど、もみあげがこうするすると伸びて…。
ああ、思い出しただけで寒気がしちゃう。
そう思っていたら、あたしってばその時ベッドの上で服を着ていなかったのよね。
それで少し震えていたら、入江くんがちゃんと着ないと風邪ひくぞって。
脱がせたのは誰よ…と思ったのだけど、それは言わずに黙ってうなずいた。
入江くんは眉根を寄せて変な夢みるなよとつぶやいた。
あたしはわけがわからずそのまままた寝てしまったけど、その後に見た夢はとても良かった気がする。
先ほどのもみあげ三蔵法師はどうやら偽物だったらしく、本物の見目麗しい三蔵法師様が救ってくれる夢。もちろん入江くんみたいに。
ありがとう、三蔵法師様!と、三蔵法師様に抱きつこうとしたあたしは、何故か猿だった。
えっと、もしかしてあたしが孫悟空だった?なんて。
しかもこの孫悟空、服着てない!
いや、猿って服着ないんだっけ?
猿回しの猿は何か着てたわよね?
…目覚めると、やっぱりあたしは服を着ていなかった。
自分の服や下着を探していたら、くしゃみが一つ。
嫌だ、さすがのあたしも大蛇森ウイルスに感染したのかしら。
そんなつぶやきを聞いていたのか聞いていないのか、もう一度入江くんの手でお布団の中に引き込まれた。
「病は気からって言うだろ。そんな変なウイルス、かかるのはあの人くらいだよ」
「そ、そうよねぇ」
入江くんに言われたら、大蛇森ウイルスも怖くなくなった。
むしろ入江くんウイルスに侵されているであろうあたし。一生かかっていてもいい。
それに、ぬくもりに包まれているうちにポカポカとしてきて、あたしはまたうとうとしてきた。
今度は、入江くんの夢がいいなぁ。

(2014/12/02)



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夢のある女




その夢は誰にも話せずにいた。少なくとも今までの友人たちには。
時々、なぜ医師にならなかったのだろうと後悔することもある。
現実問題として、学力だとか経済力だとかを考慮して、結果的には看護科に進んだ。
もちろん病気の人の世話をすることも好きで、看護師という職業を選んでよかったと思うことの方が多い。
でも、あたしの長年の夢は一つ叶えられずに終わりそうで残念だけれど。

「異動希望、ね」
「はい」
「あなたは病棟に向いていると思うけれど」
「ええ。病棟も好きです。でも、いつかはあの部署に移りたいと思っているんです」
「申し訳ないけれど、今度の人事異動では希望だけ出しておきますが、ちょっと間に合わないと思うわ」
「いいんです。いつか考慮していただけたら」
「わかりました。でも、そこまでしてあの部署に?」
「…ええ。趣味なんです」
「………趣味、ですか」

心なしか、清水主任の顔が青ざめていたけれど、趣味とは言いすぎたかしら。
でも、一度打診のあったオペ室では、あたしの夢は果たせないことを思い知らされてしまうばかりだし。もちろん見るのはとても楽しいとは思うけれど。
はあ、仕方がない。
今日はお魚でも買ってこのもやもやを解消することにしましょう。
「モトちゃん、今日は良かったらお刺身にしようと思うの。よかったら来ない?」
「あら、いいわねぇ。…って、さばくのは一匹だけにしてちょうだいよ。この前みたいに大量にさばかれても食べきれないわ」
「そうね、でも活きのいいものを今から魚屋さんに頼んでとっておいてもらわなくちゃ」
そうしてせっかくブリを頼んでおいたのに、帰り間際にモトちゃんは言った。
「…ごめんなさい、これは残業決定だわ」
何か入江先生の地雷を踏んだらしく、西垣先生と共に仕事を片付ける羽目になったらしい。
仕方がないわね。お刺身はやめて煮物にして差し入れてあげましょう。
調子が悪いと消えたという琴子さんが戻ってきたときには、もうまともに歩いていられない状態だった。
入江先生に抱えられて、このままタクシーで家に帰るという。
…入江先生って、知れば知るほど面白い人。
琴子さんに対するあの心の狭さというか独占欲は、本当に度を越しているのに、それでも谷に突き落とすがごとく突き放したりするのよね。
琴子さんは根性の人だから、到底上ってこれなさそうな崖だろうといつの間にか上ってきている人。琴子さん以外はきっと無理よね。
そして、あのメスさばきは、きっと奇跡のメスと言われるようになるに違いないわ。
ああ、あたしもマイメスであれこれ切り刻んでみたかったわ…。
そう、あたしの夢は、あのきらめくメスで内臓を切り分けてみたかったの。
もちろんそこまで猟奇的なものじゃなくて、あくまで医療行為の一環としてよ。
この夢を語ったのは、看護科の時が初めてだったの。
それまではおとなしそうとか、血を見たら倒れるんじゃないかとか言われたこともあったわ。
でも友だちが転んで膝から出血したのを手当した時に気付いたの。これはあたしの天職だと。
血って、なんてきれいな色をしているのかしらって、うっとりしたわ。
人に言わせれば体の外に出た血ほど汚い色と汚染物だと言うけれど、いきなりそこで傷口を広げることもできないし、ましてや中身の臓器を見たり触ったりすることができるわけじゃないし。それに確かに人の血は感染物であるのは確かだし。
仕方がないので、お肉やお魚をさばいてストレスを解消する日々。
そして今のところの希望は、外来の採血センターで一日中採血をしていられたらということ。そのための異動希望を清水主任に出したのだった。
採血さえ臨床技師に仕事を奪われそうだけれど、まだまだ需要は多いはず。
献血センターとか、透析室とかもあるし。
看護師に専門課程がたくさんできてきたように、いつかマイメスを持てる日が来るようにならないかしら。

「智子〜、仕事終わりで悪いけど、例の患者さんの点滴頼める?なかなか入らないのよね〜」
「いいわよ」

点滴セットを受け取りながら、あたしはなおも夢を見る。
看護師もちょっとした傷口ならメスで切って膿を出してもいいとか、一針二針縫ってもいいとかいうふうにならないかしら。
それよりもどうにかしてもう一度医大に入り直してメスの持てる外科医になった方がいいかしらとか。

「はい、山田次郎さん点滴ですよ」
「お願いします」

手早く準備をすると、患者さんは腕を出す。
その細く見えにくい血管にこの針を刺す瞬間がたまらないわ〜、うふふふふ。

「小倉さんは本当に注射が上手いから助かるなぁ」
「そうですか」

それはもう楽しくて楽しくて…。
あたしの笑いをどう解釈したのか、患者さんはにこにこと笑った。
自分の成果に勝利のテープを貼ったあたしは、他の人にも点滴を頼まれ、満面の笑みで振り返ったのだった。

(2014/12/03)



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余裕のある男




お兄ちゃんは頭がいい。
顔も俳優なんて真っ青なくらいかっこいい。誰もが振り向くくらいだ。
ついでに運動神経もいい。ちょっと出場したテニス大会で優勝できたくらい。
器用で何でもできる。実は料理だってレシピみただけでプロ並だ。
正直性格は時々ん?と思うときもあるけど、割とまともだと思う。
そんなお兄ちゃんの嫁となった琴子は、頭が悪い。
運動神経もよい、とは言えないくらいそこそこ。なのに時々驚くほど素早いときもある。
不器用で、本当に板前の娘かと思うほどの壮絶な料理を披露してくれる。
性格は概ねお人よし。割と人受けはいい。あの性格だけで諸々をカバーしてる感じだ。
そんな嫁を持つお兄ちゃんは、琴子と知り合ったその日から、いろいろなことに巻き込まれてきた。
時には僕でさえ巻き込まれ、あれこれ大変なこともあった。
あの冷静沈着なお兄ちゃんさえも青ざめさせることや焦らせることもあった。
そのたびにIQ200の頭脳と器用さを生かして乗り越えてきている。
アンドロイドとまで言われていた性格は少しずつ丸くなり、あの琴子に感化されて感情的に処理することも増えた。
そんなお兄ちゃんを僕はいつも尊敬している。
歳が離れていて、更に出来のいいお兄ちゃんは、いつも僕の目標だった。
身近にこれほど手本にふさわしい人間はいなかっただろう。
もしもお兄ちゃんがいなかったら、僕はきっとママの言いなりでとんでもない息子に育っていたかもと思うのだ。
それなりに反抗期も迎えたし、地雷になるような幼少時を過ごすこともなく済ませたのだ。
お兄ちゃんの厳しいまでのストイックな性格は、結局はあの幼少時の経験によるものだということがわかった時、僕は少々愕然としたのだ。
あんな経験をして、それでもちゃんとしているお兄ちゃんってすごいって。
裕福と言える家に生まれ育って、あれほどの容姿と頭脳を持っていて、あれほどの衝撃を受けたら、不良になってぐれて家出するくらい仕方がないと思うくらい。
あれほどの衝撃…。
僕も結婚式で初めて知った。まさか三歳まで女として育てられていたなんて。
容姿端麗なお兄ちゃんだから、もちろん幼少時も滅茶苦茶かわいかった。
美少女で、モデルなんかしていたらあっという間に人気者だろうというくらい。
でも無理があるんだよね、元は男なんだからさ。
僕だって男という自覚がなかったらわかんないけどさ、途中で女じゃなくて男なんだって親以外の人間に言われたらショックだと思うんだ。
琴子の友人には男なのに女だと言い張る人間もいるけど、だいたいは男だ、女だ、なんてことは一番最初のアイデンティティじゃないのかな。
そこからぐれずに(ある意味ぐれたも同然だったみたいだけど)ちゃんとしてきたお兄ちゃんをますます尊敬したんだ。
琴子が来るまでのお兄ちゃんは、僕から見たら完璧超人。
だから、結果的には琴子がお兄ちゃんを人間らしくしたってことなんだけど、それは悪くない変化だったと思う。
お兄ちゃんが泣いたところも大声で笑うところも見たことはなかったし、本気で怒ったところも両親と親子喧嘩しているところも見たことはなかったんだ。
だから、琴子を好きになった後のお兄ちゃんは、驚くほどの変化だ。
素っ気ないのにどこか優しい。意外なほどに。
僕もまだ表面しか見ていなかったけど、本当はお兄ちゃんはこんなにも情熱的で誰かに執着したり愛を注げる人だったんだなって。
それを少しうらやましく思っていた。
それでも自分の気持ちは漏れ出るものはともかく、琴子に対してはずっと『琴子が』お兄ちゃんを好きなんだっていう態度。
本当はお兄ちゃんだって琴子のこと好きなんだって知っているけど、琴子はバカだから表面上のことしか頭にない。
もちろん琴子だって本能的にお兄ちゃんが自分を好きだってことくらい知ってはいると思うけど、いつだってうわべの言葉だけに捕らわれて、ずっと片想いしているかのようだ。
それに満足しているお兄ちゃんて、意地悪だなってよく思う。
余裕があると言うのか、琴子が自分以外の誰かを好きになるはずがないって思っているのかも。まあ正解ではあるけど。
でも僕は知っている。
実はお兄ちゃんだって相当嫉妬深くて、弟の僕が琴子とちょっと親しげにしていても独占欲が働くようだ。
結構琴子バカで、琴子の周りの男はみんな琴子のこと好きになるって思っているようだ。
これが案外バカに出来なくてびっくりした覚えはあるけど。
琴子はお兄ちゃんしか好きじゃないから、結構ちょろくて落としやすそうに見えるのかも。
しかも外でのお兄ちゃんは冷たく感じる時が多いから、周りが勘違いするんだ。あえてそうしているのかなって思うときもあるけど。
琴子のことをよく知る前に釘を刺して回るって、どうかと思う。それほどもてないと思うんだけど。
むしろお兄ちゃんの周りの女どもを排除するのに琴子はいつも苦労している。
琴子と目が合った男、琴子に親しげに口をきいた男、琴子に触ろうとする男。
看護師っていう職業していたら、結構無理なんじゃないかって思うんだけど、お兄ちゃんは排除する気満々だ。

「そんなこと言ったって、夢の中の話だもん」
「誰かさんのこと考えていると、今夜もその気持ち悪い夢を見るかもしれないぜ」
「それだけはイヤ――――!もうどんな夢だったか忘れちゃったのに、あのもみあげだけは覚えてるんだもの」
「…もみあげ、ね」

お兄ちゃんはふんとばかりに琴子の夢の話を一蹴した。
夢の中の話だよね?
そして、気持ち悪いもみあげ(誰もそこまで言ってない)と言えば、僕は一人しか思いつかない。
そして、その一人はどちらかというとお兄ちゃんに気があるように見えたんだけど。
でもそのもみあげの男が出てくる夢をきっとお兄ちゃんは喜ばない。そりゃ琴子だって喜んでいないけど。
…ああ、これじゃ余裕のある男じゃなくて、余裕のない男だよね、これ。
僕はお兄ちゃんを教師にしてここまで来た。
こればかりはちょっと反面教師にしようと思う。
自分の恋人はもう少しおおらかに見守ろうって。
確かにお兄ちゃんと話しているときの好美は頬を染めたりしていてちょっと気になるけど、実は僕に似てるからというのを知ってから、それはそれでいいかと思えるようになったし、お兄ちゃんは琴子以外誰も好きじゃないって知ってるし。
うん、これで嫉妬したらやってられないよね。
そんなことを僕は最近悟ったのだった。
願わくば、僕は余裕のある大人の男になりたい。

(2014/12/11)



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