1.痛いほど好き
松本さんを見るたび、あたしはため息をついちゃう。
どうして彼女はあれほどの美人で、しかも頭までいいんだろう。
男なら、あたしよりも彼女を選んでもおかしくない。
あたしが好きだと言ってくれた男の子なんて、本当に数えるほどしかいなかった。
え、それが誰かって?
金ちゃんと…。
ま、まあ、そういう人もいたってことでいいじゃない。
ちょっと、失礼ね、いたわよ、ちょっと名前思い出せないだけ。
もう、いいけど。
理学部なんて、あたしには逆立ちしたって入れない。
そうそう、それに松本さんってば、テニスまでうまいらしくて、関東大会で準優勝したとか 。あ、もちろん入江くんは優勝だけどね。
あたしはというと…。
テニスなんてほとんど…え、そう、そうね、やったことないわ。
ええ、やったことないわよ。
どうせシロウトですよ。
それなのに入江くんにつられて体育会系の部に入っちゃって、それなのに入江くんはほとん ど出てこないって。
あたし、何のために入ったのよ。
須藤さんなんてラケット握ると性格まで変わっちゃうのよ。
もう、毎日ズタボロよ。
ボール追いかけさせられるのはまだましなほう。
うさぎとびでコートの中を周らされたり。いまどき古いわよね、うさぎとびなんて。
でも、そんな須藤さんにだって入江くんってば勝ってしまうのよ。
ラケットを握って走る入江くん。
汗がこう、キラキラって…。
そう、なぜか汗まで美しいのよ。
何だかいい匂いまでしてきそうじゃない。
一試合終わった入江くんに「はい、タオル」って、差し出したりなんかして。
うん、実際はあたしはコートの隅で腹筋してたりするんだけどね。
入江くんなんて、一試合終わったら、さもいい汗かいたって顔をしてすぐに帰っちゃうんだ から。ああ、でも須藤さん相手じゃ、いい汗って言うより、まだ運動し足りないって感じか な。
とにかく、家を出ちゃったら、入江くんと確実に会えるのは大学でだけなの。
それも理学部へ行かなければ、がんばって選択した英語の時間だけ。
お昼には食堂で会えるかな。
ん、金ちゃんいるから邪魔されるかもだけど。
テニス部に行けば、もしかしたら入江くん来るかもしれないし。
そりゃ来ないほうが多いかもしれないけど。
本当は、お父さんに言われたんだ。
望みがないならあきらめたほうがいいって。
そんなこと最初からわかってるけど。
一緒に暮らしてたって、ぜんぜん入江くん変わらないし。
意地悪なところとか。
もう忘れる。
だって、本当に望みなさそうなんだもん。
…キッス…かぁ。
あれだって、入江くんは意地悪のつもりだったみたいだし、蚊に刺されたと思って忘れる。
うん、心配しないで。
じゃあ、また明日ね。
新居に持ってきたダンボールの一つを開けてみた。
そこには、入江家での思い出が詰まってる。
入江くんに教えてもらったテスト。
入江くんみたいに満点じゃないけど、あたしにとってこの点数は多分二度と取れない。
入江くんと仕上げた夏休みの宿題。
大変だったけど、結構楽しかったなぁ。
入江くんと過ごした二人だけの夜だったもん。
入江くんとの写真。
クリスマスと卒業式。
おばさんに無理やりだったから、入江くん怒ってたけど。
見ているうちに涙がにじんできた。
どうしよう。
まだあたし、すごく好きみたい。
新しい恋、したいのに。
涙がどんどんあふれてくる。
まだ、好きなのに?
胸が入江くんでいっぱいになる。
あたしはダンボールのふたをそのまま閉めて、部屋の隅に追いやった。
まるで、そうすれば入江くんへの気持ちにふたができるみたいに。
(2010/09/28)