イタズラなKissで10題



6.傷つけても


ある意味似たもの同志な俺たち。
琴子を挑発し続けるさまは、あの頃の俺のようだ。

アメリカから帰国したいとこの理加に対抗心を燃やす琴子。
親戚なんだから、この後も付き合っていかなきゃいけないわけだし、うまくやってくれればそれでいいと思っていた。
しかし、琴子のほうはそうはいかなかったようだ。ついでに言うと、理加のほうも。

理加はいとこであって、琴子と同じように同居していたとしても、同じようにアタックされても、多分俺はなんとも思わなかっただろう。
それは九州にいるいとこたちと同じ感覚だからだ。
血がつながっているという感覚は、ただそれだけでなんとなく通りすがりの人間ほど遠くはないが、それほど親しくはない友人という感じがする。ふとしたときに思い出すくらいだが、ただの友人ほど離れているわけではないという曖昧な関係。
理加の琴子に対する対抗心もわからないではない。
からかって反応を見る、それだけでも観察するには面白いかもしれない。そもそも親戚に琴子ほど反応が素直でおばかなやつはいない。俺や理加、裕樹や九州の連中も一筋縄ではいかない人間が多い。あのおふくろだって時々腹で何考えているかわからないときがある。

「きゃー琴子さん!」

琴子が風呂に入りに行って30分以上経ち、ついでに一緒に入ると言った理加の声が響いたのは、脱衣所のほうからだった。
何事かとリビングのソファから立ち上がった男たちだったが、場所が風呂場なだけに見にいっていいものか迷っている。
俺は何も考えずにそのまま脱衣所まで行った。
「お兄ちゃん、琴子ちゃんがっ」
脱衣所で、のぼせたらしい琴子が倒れていた。
そばで理加が一所懸命声をかけていたが、「揺らすな」と一言だけ言って脇にどかせた。
バスタオルを巻いた琴子が頭を打っていないか確認して、そのまま抱き上げて部屋まで運ぶことにした。運んでいる最中にバスタオルが外れてきたが構っていられない。
ベッドに寝かせると、おふくろがバスローブを持ってきた。
外れたバスタオルを取り去ると、バスローブに着替えさせた。着替えさせている間も目を開ける様子がない。
おふくろと理加も様子を見に来た。
皆で覗き込むが、琴子は少し唸っているだけだ。
さすがに心配になって声をかけると、ようやく琴子の目が開いた。
「入江…くん」
琴子の様子に安堵したのか、おふくろは氷まくらと水を用意すると言って理加と一緒に部屋を出て行った。
琴子は自分の状況を把握したのも束の間、いきなり言った。
「い、入江くんのファーストキスの相手って…理加ちゃん?」
倒れて起きたばかりのセリフじゃないだろ。
「…なんだよ、いきなり」
「ね、ねえ、そうなの?」
とりあえずそれに答えないといけないらしい。
「そう言えばそうだったな」
どうでもいいが、後にも先にもそれを抜かしたら琴子としかキスをしたことがない。
正直に答えたら、そのまま琴子は固まった。
そもそも俺がほかに付き合っていたやつがいたかもしれないなんてことも想像したことがないのだろう。
あったらどうするつもりなんだ。
いちいちショックを受けるのか?
くだらないと思いつつ、そういうところが琴子らしくて笑ってしまう。
琴子は固まったまま、再びバタンとベッドに倒れこんだ。
「おい、琴子」
仕方がないので先ほど受け取った脱衣所に残されていたパジャマを取りあげると、着替えさせることにした。
本当に面倒な女だな。
バスローブに手をかけたところで部屋のドアが開いた。
振り向くと、水と氷枕を持ったおふくろと目が合った。

「あ、あら、ごめんなさいね、邪魔して」
「は?」
「いーのよ、いーのよ、続けてちょうだい」
「おい、おふくろっ」

再びそっとドアが閉められて、水も氷枕も持ったまま行ってしまった。
今頃下でうきうきしながら大きなひとりごとを言っているに違いない。
ため息を一つつくと、そのまま先ほどの続きでバスローブを脱がせてパジャマを着せることにした。
いくら俺でも気絶してる相手に何かするわけがない。
少し腹立たしくて、わざと乱暴に琴子に布団をかぶせ、書斎に行くことにした。

 * * *

それからも二人は何かと張り合い、周りはいい迷惑だ。
理加がこの家にいるのはほんの数週間だというのに、琴子は常にいらいらしているし、理加もその分張り合っている感じだ。
おやじは「あれだね、琴子ちゃんとママは仲良かったから嫁姑問題もなかったけど、世間じゃあそういうのたくさんあるみたいだし、これも一種のそういうもんじゃないのかね」と笑っている。
おやじは朝から卵をかぶっても笑っている。それは俺に真似できないと思う。
目の前で理加を突き飛ばす琴子を見た時は、派手にやったなという感じだ。琴子が突き飛ばすというのにも驚いた。
二人の張り合いにどれだけ無関心を装うとも、結局琴子を年長の分諭して泣かせるし、妹のような理加には甘くなる。
大方争いの原因はわかるものの、膝を怪我した理加を家に連れて帰ったのは琴子にとってショックだったようで、その晩は飲んだくれて帰ってきた。
一人で勝手に悲劇を想像して落ち込むのは勝手だが、どれだけ琴子が酒臭くても同じベッドの隣で寝る俺の行為には気がつかないらしい。
嫌いな女の、しかも酒臭いやつの隣で黙って寝る男がどれだけいるだろうか。

そんなことのあった日曜日、庭でバーベキューをすることになった。
少し落ち着いたかに見えた二人だったが、ビールを取りに行った二人が何か言い合っていると、目撃した裕樹が心配して俺に報告に来た。
「…仕方がないな」
そう言って立ち上がると、裕樹はほっとしたように言った。
「琴子はバカだから、理加と言い合ってもきっと負けるよ。べ、別に泣いたって関係ないけどさ、また飲んだくれても迷惑だろ」
俺は裕樹を振り返った。
「…負けても大丈夫だよ」
確かに言い負かされるかもしれない。
それでも琴子が琴子である限りは、負けたって、泣いたって心配はない。

「もし直樹があたしのほうがいいって言ったら、あたしに直樹を返してもらうね」
家の裏手に回ると、理加のそんな声が聞こえた。
「い、いいわよ、聞きなさいよ。入江くんのことがそんなに好きなら」
「そうする」
理加は琴子の後ろに来た俺を見て言った。
「直樹、聞いたでしょ」
「だいたいね」
理加が俺を好きだというのは知っていたが、それはそれだけのことで特別どうということはなかった。
いとこであり、妹のようであり、かわいくないわけじゃない。
アメリカに行ってそばにいられなかったのは、ハンデかもしれない。
ただ、琴子はそのハンデすらも許さない。
琴子なら、たとえ小五だろうと、両親と離れようとも、好きな人と離れない、らしいから。
そして、俺を思う好きの重さには理加もかなわない、と。
その剣幕に押されて、俺も理加も言い切って走り去る琴子を黙って見送った。
琴子は、ハンデなんてものともしない。
あれだけはっきり振られてもめげなかったし、同居したという点が大きかったとしても、突き進むそのパワーに俺はどれだけ目を奪われたことか。
「あーいうとこ」
「えっ」
「あいつのあーいうとこが決め手だったかな」
理加は黙って俺を見る。
「本当に何にもできないやつで、おまえとは大違いなんだけど、あいつのあのパワー好きなんだ」
「理加よりも好き?」
「ああ、理加よりも」
理加にそう答えながら、泣いているだろう琴子のことを考えている俺がいる。
はっきりと言った俺にそれ以上気持ちをぶつけることもない理加は、理加なりに傷ついているのだろうとわかっているが、大事ないとこを傷つけても譲れないものがある。
「そっか」
琴子なら、きっとどんな手を使ってもアメリカに行かなかっただろう。
それは想像でしかないが、素直に理加も俺もそう思った。
そういう思い切りの良さを真似できない。常識にとらわれた俺たちには無理な話だろう。

琴子は、家の裏、誰も来ないような壁際で泣きじゃくっていた。
もう俺と別れなければならないのかと勝手に解釈をして。
あの後の理加と俺の会話を聞いていたら、そんなことは微塵も思わなかっただろうに。
バカらしいと言えばそれまでだが、俺のためなら別れる決心までするといういじらしさは、先ほどの勢いからは想像できないだろう。
そんな決心をされても困るので、琴子にキスをする。決心さえ鈍るような。
「決心できた?」
唇が離れて抱きついてきた琴子にそう聞いた。
「で、できない」
…そうでなくちゃ琴子じゃない。
ありったけの俺の想いをそのキスに託したのだから。
「俺がいつおまえに疑われるような態度とった?俺はそんな覚え一度もないぞ」
相変らず琴子は俺の愛情を疑っているようだ。
「俺はおまえを選んでんだから、もっと自信持てよ」
「う…うん、うん」
力強くうなずいて、琴子はようやく落ち着いたようだった。
琴子の好きの重さは、多分誰よりも重い。
それは、俺を好きだと言ってくる人間の誰よりも重いのかもしれない。
前はその重さが苦痛で仕方がなかった。
その重さのありがたみもわからなかった。
それでも、琴子と過ごすうちに、それが当たり前になってしまった自分がいた。
他のヤツにしたら、そんな重さなどごめんだと言うのかもしれない。
それが当たり前で、そんな重ささえも愛しいと思える俺は、もしかしたら琴子と変わらないくらいの重みを持っているのかもしれないと思うこともある。
それを口に出して言うと、また琴子が調子に乗りそうなので、口にしかけてやめにした。
…いつか、口にすることがあるのだろうか。
ま、当分は言わないでおこう、と俺は意地悪く思うのだった。

 * * *

理加の両親が帰国して、この家を出る日が来た。
玄関先で、理加はあの日の再現を俺ではなく琴子にやらかして去っていった。
あれから、琴子に対して嫌味は言うが決して嫌っている様子ではなく、傍目には楽しそうに見えた。
そう、俺たちは似ている。
つまり、理加が琴子を嫌いになれるはずはない。
そもそも、アメリカ帰りで挨拶代わりとはいえ、嫌いなやつにキスなんてしないだろう。
理加が帰って涙を拭いた琴子が、
「…理加ちゃんにキスされちゃった」
と頬を染めた。
琴子の常識の中には、挨拶のキスはないからな。
そして、俺はと言うと、そう言った琴子に少しだけむっとした。
それがくだらない独占欲だとわかっていたが、そんな琴子に強引にキスをした。
それなのに、琴子は俺を押しのけて言った。
「ちょ、っと、入江くん、理加ちゃんにキスされたとき、どう思った?!」
「…おまえはどう思ったんだよ」
「え、どう思ったって、べ、別に…」
完全な意地悪だとわかっていたが、言わずにいられなかった。
「ああ、そう、俺とのキスも別にどうも思わない?」
「え、ちょ、そんなこと…」
涙目になった琴子に気をよくした俺に、理加の言葉が甦る。

「直樹、Kissだけじゃ伝わらないこともあるよ」

ああ、そうだな。
それでも俺は、琴子にキスをせずにはいられない。
「入江くんとのキスは、特別なの。…知ってるくせに」
俺はその答えに満足して微笑み、もう一度その何か言いたげな唇にキスをする。
それは他の誰かを傷つけても手に入れたかったものだから。

(2010/10/30)