7.好きだから
琴子と結婚してから、ずっと気になっていたことがあった。
いや、それ以前、琴子が同居してから毎年12月になると出かけていくその目的に、少なからず心のどこかで痛みを覚えていた。
両親の揃っているこの家に来たことに何も感じなかったんだろうか。
それすらも感じさせないほどの気遣いをしていたんだろうか。
結婚して他のやつらの話も聞くとよくわかる。おふくろが、琴子を自分の娘のようにかわいがる人間でよかった、と。
秋田に着いてから、時々理解不能な方言とともに、琴子を丸ごと分身したような村人が俺の周りに現れては消えていった。
人が訪れることですら娯楽の田舎の生活は、確かに東京のような人だらけの人間からすればわずらわしいのかもしれない。
でも所詮ここで住むわけじゃないし、盛大なる歓迎とともにそれなりに過ごしていた。
何時に着くかわからない俺たちを待っていられるその気の長さ。
電車の時間ごとにああやって待ち構えていたのかと思うと、その歓迎振りに恐れ入る。それも早朝からだというから、恐るべき時間の無駄さだ。
おふくろは電車の時間までは連絡しなかったというから、きっと村議会かなんかで早朝から待つことにしたのだろう。早朝に着くわけがないというのを誰一人提案しなかったんだろうか。
琴子のお義母さんの写真を見せてもらえば、これまた琴子そっくりで、話を聞けばやることなすことそっくりだったというから、血は争えないということか。
こうして遠く、琴子のルーツを知った気さえする。
もしも昔の俺なら、こんな風に楽しむ余裕さえ持てなかっただろう。
知らない人々に囲まれ、見世物のようになり、あれこれ口々に噂されて話しかけられることなど、もしかしたら一生なかったかもしれない。
わずらわしいこんな出来事すら笑って済ませられる自分の気の変わりように驚いたくらいだ。
お義母さんのことでからかわれ、琴子は勢いで隣の寝間に行ってしまった。
少し経ってから見ると、既に布団の中で寝息を立てていて、俺はそっと襖を閉めた。
お義父さんがそっと俺に聞いた。
「琴子は」
「寝てますよ。朝早かったですからね」
「そうか」
お義父さんは残っている徳利を持ち上げて、俺に酒を勧めた。
「直樹くん、疲れただろう」
「…そうですね」
思わず笑みが出た。あの歓迎振りを思い出すと、おふくろの派手なはしゃぎようもかわいいものかもしれない。
「しかし、おれのときよりも更に上を行く歓迎振りだったな。いや、直樹くんだったらわからないでもないが」
「そうなんですか」
「思い出したくもないが…あれも懐かしい思い出だな」
「あんなふうにステージまで作って、着いたことを村中宣伝カーで宣伝しながら走るやつもですか」
「あはは、そうだった、そうだった。あれには参った。今回は二度目だったし、直樹くんがいたからまだマシだったよ」
「いろいろとおふくろに慣らされていたせいですかね。…それに、琴子といると同じような目にあったりもしますしね。大分慣れました」
「…いつもすまないね。それにしても、立派だったよ。
いや、あの人らも悪気はないんだ。ただ直樹くんが琴子のだんなとしては立派で、どうにかして歓迎してやらねばと思う気持ちが結果的にああなるんだと思うんだ。それも迷惑な話だろうがね」
「…わかってますよ、お義父さん」
「うん、そうだろう。直樹くんは賢いから」
そうやって酒を酌み交わしながら、お義父さんと今は亡きお義母さんの話をするのは、不思議な気分だった。
どんな人だったのか、どんな風に琴子を育てていたのか、生きていたら今頃はこんな風だったんじゃないかとか、お酒と疲れで目が充血していたお義父さんの目が潤む頃、俺は琴子が寝ている寝間にそっと入った。
のんきに寝ているその寝顔を、琴子のお義母さんはどんな想いで見つめていたのだろうと想いを馳せる。
どれほど琴子の成長を見たかっただろう。
そして、それほどそっくりなお義母さんに、会いたかったと思う。
寝ている琴子の髪に触れながら、俺はそのお義母さんのおめがねに適うだろうかと問いかける。
琴子なら、大丈夫と力強く太鼓判を押してくれるだろうか。
「直樹くん、お風呂お先に」
襖の向こうからそっと呼びかける声が聞こえた。
「…はい」
琴子の額にキスをして、俺はまたそっと部屋を出て行った。
* * *
翌日は、朝から子どもたちにラケット戦士コトリンのゲームにつき合わされ、昼近くなる頃には近所のじいさんばあさん方が、まだ医学生である俺に診察してくれとやってきて、今回の目的である墓参りに行くことができたのは、結局午後も3時を回る頃のことだった。
琴子はずっと村の人たちにつき合わされている俺に悪いと思ったのか、おじさんたちにも怒って遠ざけようとしていたが、あの陽気な人たちがあからさまに肩を落として去っていく姿を見たら、まるで琴子のようで、もう少しくらいなら付き合ってやってもいいと答えたのだった。
墓参りに誘ったら、これまた先ほどの落胆した姿が嘘のように喜んで付いてきた。この辺も琴子とさほど変わらない。
お調子者で、世話好きで、でもどこかピントがずれていて、あきれても、わずらわしくても、それでも付き合ってやれるのは、琴子と血がつながっているせいかもしれない。
お義母さんの墓の前で、手を合わせて挨拶をする。
挨拶が遅れたこと、琴子を産んでくれたことに感謝をして、これからも琴子と一緒に人生を過ごさせてほしいことなど、今まで誰の墓の前でもこれほど真剣に手を合わせたことなどなかった。
にぎやかな親戚たちに囲まれて、ふと思う。
こうやって血は繋がっていくのだと。
もしも俺たちに子どもが出来なかったとしても、どこかで血は繋がっていくのかもしれない。
それはとても当たり前のようでいて、実はとても幸運なことなんじゃないかと。
琴子が好きだから、同じように愛しく思える人たちに囲まれて、どうやら今夜も東京に帰れそうにないなと、琴子と目を見合わせて笑うのだった。
(2010/11/10)