イタズラなKissで10題



10.声にならない声




「本当に入江くんって、すごい」

ああ、バカだな。
本当にすごいのは、おまえだってこと。
あの彼に手術を受けさせる決心をしたのは、俺はやっぱり琴子だと思っている。

「ノンちゃんたらね、あたしにずっと手を握っててほしいって言ってたでしょ。両親も離婚されてたし、あたしここのところずっとお世話してたじゃない。だから、お母さんみたいに感じてたのかなぁ」

そんなわけあるか。

「ほら、入院してたきのこと覚えてる?天使みたいですっごくかわいかったわよねぇ。…それがどうしてあんな悪魔になっちゃったのか…。顔だけなら今だって黙ってれば天使みたいに綺麗なのに」

琴子はぶつぶつと続けながら、鏡に向かっている。
俺はいつもの通りベッドに座って、本を片手に琴子が早くこちらに来ないかと待ちわびている。
大きな手術を終えた後は、真っ直ぐ家に帰ってこられることはなかなか難しい。
それでも、今日みたいに患者が安定した状態なら、たとえ遅くなろうとも問題なく帰ってこられる。
本当に疲れてしまえば、琴子など待たずに先に眠ってしまうことだってある。
それでも、程よい疲労感と達成感を感じた後は、琴子を待っている理由があるというのに、未だ琴子はわかっていない。

「ねえ、入江くん。ノンちゃんだって元気になれば性格ももう少し変わって、きっとノンちゃんにぴったりの彼女ができるよね」
「…ああ、そうかもな」

にこにこしてベッドへ寄ってきた。
多分琴子は気付いていない。
彼が再会したのが、変わらぬ琴子でどれだけうれしかったのかを。
あのときの、変わらぬ琴子のまま目の前に現れて、彼はきっと驚いたことだろう。
時を過ごす中で、変わらないというのは難しい。
それをやってのける女。
もちろん、変わらないといけない部分もあるだろう。
俺なんかは琴子の影響で随分変わったと思うし、実際そう言われる。
いい方向に変わるのもこれまた難しい。
いろんな人間の人生を変えていく女。
そして、おそらく、彼にとって琴子は人生を変えた女。
そんな女に惚れない男はいない。
自慢したいような、隠しておきたいような、複雑な気分だ。

「もしノンちゃんが琴子を好きだと言ったら?」
「えー、ノンちゃんが?そんなのあたしをからかうために決まってるわよ。いっつもあたしのことからかってバカにしてるんだから」
「ふーん、ま、いいけど」
「それに」

琴子は俺の顔を覗き込んだ。

「あたしは入江くんの奥さんだもん」
「…当たり前だろ」

本を置いて琴子をベッドに引っ張り上げる。
そのまま抱え込んでキスをして、うっとりとした顔を眺める。
パジャマのボタンをはずし、胸を掌で包み込むと、もっと深いキスをねだるように唇が開く。
変わらぬ琴子。
それでも、ベッドの上では、俺のためだけに変わる琴子。
舌を絡ませ、吐息が漏れるのを愉しむ。
唾液で濡れた唇を離し、胸の頂を啄ばみ吸い上げて、その唇から漏れ出た声に猛らせる。
秘められた部分から溢れ出す水は下着を濡らし、早く触ってほしいと言わんばかりだ。
くいっと押すと、初な仕草とは裏腹なぐちっと世にも卑猥な音が響く。

「やあっ…」

羞恥に耐えるようなその素振りは変わらないのに、すっかり慣らされた部分は指をも簡単に吸い込まれるようだ。
どうしたらその口からもっと欲しがる言葉が出るのか、知らないわけじゃないが、今日は俺のほうが我慢できそうにない。
手術を終えた日は、いつになく性急で、その温もりを欲して止まない。
白い肌に印をつける所作さえもどかしく、一気に潤いの中に己を沈みこませる。

「あっ…」

たったその一声で、体の熱を奪われる。
声もなく、ただ揺すられる体の中に、これほどの熱があるのかと驚くほどだ。

「ん…んっ…」

まるで声を出したら負けであるかのように、手の甲で自分の唇をふさぐ琴子。
抽挿される場所はあまりにも滑らかで、ただ快感を紡ぎだすために作られているかのように錯覚さえする。

「はぁ、ねぇ…もう…あっ」

我慢を強いられているかのように顔をゆがめ、羞恥に耐えられないといった感じで、唇にあった手で今度は目をふさぐ。
このまま終わらせるには少し惜しいと思い、動きを止めてささやきかける。

「見ろ」
「やっ」
「俺を、見ろ」
「あ…だって…ねぇ、だ…め」

紅潮した頬を挟んで、やんわりとふさいだ手を外させ、キスをする。
何かの呪文にかかったようにぼんやりと目を開け、至近距離で見つめ合う。
再び身体を揺すりあげると、目が潤み、離れた舌先から糸が引く。
白い肌が再び熱を帯び、赤く染まる。
自分の熱も相まって、じんわりと汗が出てくる。
琴子から微かに香る匂いに、いつも気を狂わされる思いだ。
どうしてこんなにもこいつの匂いは俺を狂わせるのだろう。
どんな香水よりもくらりとくるその芳香は、こうして体を絡ませたときにしか感じない。

「ああん、ああっ…」

繰り返し、ただ喘ぐだけなのに、誰の声よりも心地いい。

「琴子…」

溺れるのは、ただこの体だけ。
込み上げてくる快感に抗うこともできないのはどうやら一緒のようで、二人して声にならない声を上げて果てた。

「入江くん…手術のあった日って、疲れてるんじゃないの…?」

へぇ、気付いてたんだ。

「心地よく眠るための儀式ってところだろ」
「ああ、終わった後は…眠い…ふあああ…んん…眠くなるよね…」

途中あくびをしながらそう言った琴子は、既に眠たそうに目を閉じた。
物足りない気もするが、とりあえずこのままこの眠りに誘われることにしようか。

「…おやすみ」

丸裸の肩に布団を引き上げて、俺たちは眠りにつく。
今夜は夢も見ずに眠るだろう。
でもそれは、この温もりがなければ成立しない。
多分彼は、いつかそんな人と巡り会えるのを待ちわびているだろうが、残念ながら琴子のような女は簡単には見つからないと思うけどね。

(2010/11/21)