3.ずっとそばに
ずっとこのまま続いていくのだと思っていた。
* * *
入江くんが家に戻ってきてから、また同じような生活。
朝はコーヒーを入れてあげて、昼は大学で授業の合間にのぞきにいったり、時には夕食を手伝って入江くんに食べてもらったり。
おばさんがいろいろ教えてくれて、生意気な裕樹くんがいて、おじさんが笑顔でおいしいよって取り成してくれて、まずいともうまいとも言わずにただ黙々と食べる入江くんがいて。
このまま、あたしは大学を卒業してどうなるんだろう。
入江くんはお医者さまになるんだって。
おじさんにも内緒で医学部に移って、あの入江くんが一所懸命勉強している。何でもできると思っていたけど、お医者さまになるにはやっぱり難しいんだなって思う。
あたしは…やっぱり入江くんのそばにいたい。
入江くんがお医者さまになるのなら、あたしは入江くんを助ける看護婦さんに。
もちろんそんなに簡単になれないから、あたしはこうやって悩んでいる。
このまま入江くんのうちにいて、入江くんのそばにいるだけでいいんだろうか。
たとえ入江くんがあたしを好きになってくれなくても、このままそばにいていいんだろうか。
もしも入江くんが他の女の人を好きになったら?
まだわからない、先のことなんて。
そう、思っていた。
* * *
おじさんが珍しくあたしたちよりも早く帰宅していた日だった。
医学部に移ったことがおじさんにばれてしまったようだ。
会社の将来と入江くんの将来。
それは同じようでいて違うもの。
だって入江くんは、会社じゃなくて、お医者さまの道を選んだのだから。
入江くんの将来が、ようやく見え始めたそのとき、おじさんの具合が悪くなった。
急に胸を押さえて苦しがったおじさん。
心臓が悪いんだってことしかわからなかったけど、入江くんの指示通りに救急車を呼んだ。
救急車を呼ぶのは二回目だったから、動揺していたおばさんの代わりにあたしが電話をかけた。
大丈夫、あの時は入江くんがいなかった。
でも今回は入江くんがついてる。それに入江くんはお医者さまの卵なんだもん。天才な入江くんがいるんだもん、大丈夫。
あたしはそれだけをつぶやいて、救急車を見送った。
おじさんは何とか処置も無事に済んで、しばらく入院することに。
その間、入江くんが療養中のおじさんに代わって会社を動かすことになった。
このままおじさんの回復が遅れたら、入江くんはどうなるんだろう。
ううん、もちろんおじさんも心配。だけど…。
暗いリビングで一人座っていた入江くんは、何を思っていたんだろう。
回復しかけてはまた悪化したおじさんのこと?
思ったよりも業績が悪かった会社のこと?
やっと決めた将来のこと?
どれも手伝えないし、助けることもできない。
ただ、抱きしめて代わりに泣いてあげることしかできなかった。
ねえ、入江くん。
あたしはいつも何もできないけど、入江くんの代わりに泣くことはできるよ?
月明かりも遮るリビングで、入江くんの顔も見えなかったけど、そばにいること、わかってくれたかなぁ。
入江くんの温もりを抱きしめながら、あたしはただ祈っていた。
おじさんが早く回復しますように。
会社がうまくいって、入江くんが早く大学に戻れますように。
本当は今すぐお医者さまになって、おじさんもノンちゃんも治してあげられたらいいのに。
入江くんがどんなに天才でもそればっかりは無理だから。
そして、時々はこうやって入江くんがほんのちょっとだけでも心を許してくれるといいのに。
このままずっと、入江くんの背中を抱きしめていられたら、いいのに。
(2010/10/08)