ア
今日がいったい何度目の誕生日だろうと、もしかしたら気にしていないかもしれない。
いつか指にはめてもらった指輪をはめながら、もう何度おねだりしたかわからない言葉をも う一度つぶやいてみる。
「ねえ、今日はあたしの誕生日なんだよ」
だから、言葉にしてほしい。
年に一度だけの大事な言葉を。
「…ああ、おめでとう」
起き抜けにさも、ああ、そうだったなという感じで面倒そうに言った。
もっと、こう、なんていうか、妻を積極的に祝おうという心持がないものかしら。
毎年のことながら、あたしは自分の誕生日なのにちょっとだけ不満になる。
みんなが言うようなモノなんていらない。
忙しければ一緒にいなくても我慢する。
何だかんだと言ったって、優しい人だから、結局はあたしの言うことも聞いてくれるのもわ かってる。
どれだけ譲歩してくれるかはその時々だけど。
滅多に言ってくれないその言葉をこの日だけは聞きたいなんて、可愛いものじゃない?
夜遅く、もう日付も変わろうかというときに、寝ぼけた耳にささやかれた。
「 」
(2013/09/28)
イ
今日も彼は意地悪だ。
昨日の誕生日はきれいにスルーされた。
おばさまがあたしのためにと用意してくれた誕生パーティも何故かいなくて。
高校生なのに、いったいどこにいたのよっておばさまが怒る。
「もう、お兄ちゃんはどうしてそうなのよっ」
「いいんです、おばさま。で、で、でも、本当に昨日はどこに行ってたの。だ、だって、夜遅くまで…。ハッ、まさか、彼女のところとか…?」
「そうだったらどうするんだよ」
「ええっ!ええっと…」
毎日繰り返されるやり取り。
本当はそれすらも夢のようだった。
話をするどころか目が合うことさえなかった。
きっとあたしの存在すらも気づいてもらえないだろうと思っていた。
あたしを見て。
あたしの話を聞いて。
ずっとそう願っていた。
同じ家に住むようになったというのに、あたしの話の半分も聞いてもらえない。
でも、それは贅沢な願いかもしれない。
好きで、好きで、どうしようもなくて、忘れられなくて。
あたしはこうして彼の背中を追いかけて、話しかけて、何とかしてこっちを振り向いてもらおうとしている。
「琴子ちゃんの誕生パーティよ。あなたは家族として出る義務があるでしょ」
「あいつとは家族じゃないし、俺がそれに出る義務はない」
決死の思いで頼みごとをすると、返事はいつもこんな感じ。
それなのに、ほんの気紛れにこちらを見てくれるときがある。
ほんの一瞬こちらを見た瞳があたしを捕らえる。
どんなに冷たくされても嫌いになれないのは、きっとそんな瞬間があるから。
「でも、ちょっとくらいあたしを祝ってあげようかなーなんて」
「思わない」
けんもほろろな答えにあたしはまたへこむ。
へこんだ後で何だか怒りがふつふつと沸いてくる。
「もう、本当に意地悪っ」
すると、彼はにやりと笑って言った。
「その意地悪な男が好きなんだろ」
こういうときだけ、彼はあたしを見る。
ねえ、何で?
あたし、バカだから告白されてる気になっちゃうよ。
望みはないって何度もわかってるのに、また諦められなくなる。
あたしはただ顔を赤らめながら何も言えなくなる。
だって、どうしてそういう時だけ見てくれるの?
そういうときだけ話を聞いてくれるの?
彼は本当に イジワル 。
(2013/09/29)
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* * *
ウ
人はウソをつく。
ちょっとした誤魔化しや、身を守るためだったり、欲のためだったり。
生活をしていく上で少しばかりのウソは、ある意味潤滑剤とも言える。
バカ正直に生きることがどれほど難しいかは、生まれ落ちてすぐに悟らされることになる。
「入江くんって、ウソ、つかないよね」
そんなわけないだろ。
そう言うつもりだった。
「ううん。もしかしたらウソついてるのかもしれないけど、ばれなきゃそれはもうウソじゃなくてホントかもね」
そういう琴子もウソがつけない。
ウソをつくのだが、あまりにも反応がバカ正直すぎてウソになる前にばれる。
ばれなければいい。
そう思っていたこともあった。
あの婚約騒動のとき、自分の気持ちを隠したまま何とかなると思っていた。
ウソをつくわけじゃなくて、正直に自分の気持ちを言わないだけだと思っていた。
それは間違いではないが、確実にウソと同様の効果をもたらす。
何も言わずにそのまま過ぎ去ってしまえば、ウソはホントになったかもしれない。
「おまえはウソが下手だな」
「そんなつもりは…。でも、何でばれるのかしら」
こっそりとそうつぶやく。
おかしくなって吹き出すと、琴子は「あー、またそうやってバカにする」とふくれた。
「いや、ウソはつかないほうがいい」
ウソをつき続けていると、どこかおかしくなる。
ウソかホントかわからなくなり、どれもがウソでも平気になってしまう気がする。
もしもあの時、気持ちに目を背けていたら、琴子は隣にいなかっただろう。
「バカ正直に生きるほうが、ずっと難しいんだ」
「うん、そうだね」
「で、おまえの前期のテスト結果はどうなったんだ」
「え…。えっと、あれは…その…」
「見せてみろ」
「えー、いやー、そ、そう、まだもらって…」
「へー、まだもらってないとか」
「あ、あたし、そう言えばまだレポートが終わってないんだった〜」
そう言いながら寝室から出て行こうとする。
「点数が悪くてレポートで点をやると言われたか」
「だって、あの教授ってば……あ…」
勢い込んで返す言葉でウソがばれる。
「手伝わないからな」
「そ、そんなこと言わずにお願い〜〜〜〜〜」
「だって、まだもらってないんだろ、結果。それじゃあ、俺には無理だな」
「う…それは…」
「あー、残念だな。じゃ、俺はこの本読むから」
そう言って琴子を残し、寝室を出る。
「あー、待って、入江くん!ごめんなさい、ウソなの〜〜〜〜。もらってないなんて、ウソなの〜。だからお願い、手伝ってよ〜〜〜」
部屋の中から琴子の叫び声が聞こえたが、あえて無視してリビングに下りていく。
ウソの苦手な琴子。
その正直さにどれだけ救われたか彼女は知らない。
その正直さが愛しくて、その正直な心根を曇らせたくなくて、いつの間にかウソをつくことをやめた。
だから、 ウソは、苦手 。
(2013/09/29)
エ
春から入江くんが神戸へ行って、あたしたちは離れ離れになった。
あたしたちはまともなお付き合いもしないまま一気に結婚してしまったので、恋人たちが通るだろう一通りの危機を結婚という枠の中でほとんど乗り越えてしまった。
正直言えば、もっと普通のデートもしてみたかったし、ドキドキしながらキスの回数を数えたり、初めてのお泊りとか、もっと堪能したかった。
「なーに言っちゃってくれてんのよ。全部済ませたでしょうが。
デートはともかく、あんたってば途中までキスの回数数えてたんでしょ。
付き合う前のお泊りもしちゃってるし。あ、手は出されてなかったんだっけ。
人目もはばからずいちゃいちゃしまくってるじゃないの」
あたしのひとり言を勝手に聞きつけて、モトちゃんは言った。
「そんなにいちゃいちゃしてない」
一応反論してみる。
だって、入江くんってば、抱きつけにいけば抱きしめ返すどころか凄く迷惑そうにはがされるし、腕を組もうにも絶えず本とか持ってて振り払われるし。
「自覚ないって素敵」
呆れたというようにモトちゃんは肩をすくめた。
「でも、でも、そばにいるだけで幸せだったのよ〜〜〜〜。
こんなに離れてちゃ、触れないし、声も聞けない」
「正直、あんたならついて行くかもって思ってたわ」
「うん、入江くんも神戸の資料揃えててくれたみたい」
「その点はあたし、あんたのこと偉いって思ったわ」
「えへへ…だって、入江くんも研修医一年目でしょ、迷惑かけられないし。あたしはもう一度看護学校の編入試験なんて無理だったし」
「そりゃ教えてもらうべき入江さんが手一杯じゃあね。看護学部への編入だって、入江さんの特訓があってこそでしょ」
「だから、ちゃんと卒業して、国家試験に受かって入江くんのところへ行くの」
「あー、そのためにはまず実習をクリアしてもらわないとねー」
「秋が終わるまでは実習も詰まってて、神戸に行けないのよねぇ。まだ入江くんの誕生日も結婚記念日もあるのに」
「それ過ぎたら、今度は卒業試験と卒業論文と国家試験よ」
「ううっ、わかってるけど、あたし本当に大丈夫かな」
「あんたさっきちゃんと卒業して試験受かってって言ったばかりでしょ」
「入江くんが足りないの〜」
「夏に補充したばかりでしょ」
「遠距離恋愛って辛いわ〜」
ほら、流行のシンデレラエクスプレスとか、やってみたっていいんじゃないかって思ってるの。
(作者注:当時JRのシンデレラエクスプレスという言葉が流行ってました。)
「ちょっと待って。それはちょっと違うんじゃなぁい?」
「違うって何が」
「いや、そもそも恋愛、じゃないし」
「美しい恋愛じゃない」
「だって、結婚してるでしょ」
「結婚してるわよ」
「だから、それは遠距離恋愛じゃなくって」
「じゃなくて?」
「ただの単身赴任よね」
「た、単身赴任…」
「そう、単身赴任。文字通り一人で違う地に赴任すること」
「…そう、なのかしら」
「そうなのよ」
な、なんか、イメージが…。
みるみるうちにあたしの中のイメージは、駅のホームで別れを惜しむ恋人たちから、サラリーマンのおじさんが一人さみしく家を出る図に切り替わる。
イメージの中で入江くんが鞄を持って「じゃあ」と玄関のドアを出て行く。
「ちっがーう、ナンカチガウ!!」
あたしは頭を振って叫んだ。
「だって、だって、入江くんは一人で泣く泣く神戸に…」
「…泣いたかどうかは知らないけど、少なくとも恋人たちじゃなくて夫婦であるのは確かだわね」
「週末ごとに別れを惜しんで…」
「前回入江さんから電話がかかってきたのは」
「に、二週間も前だけど」
でも、でも、でも、とあたしは頬に手を当てていやいやと首を振り続ける。
そんなあたしを見て、モトちゃんは気の毒そうに「はいはい、恋人気分でもいいわよ、二週間も電話のない恋人だけど」と言った。
でも、あたしからは毎日電話してるもん。ほとんど留守番電話くん相手だけど。
「違う、違うのっ」
あたしは言い訳するように叫んだ。
あくまで気分は、 遠距離恋愛 。
(2013/10/01)
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オ
それは、小さな願い。
「えーと、映画に行って、公園を散歩したり、一緒に食事したり…」
琴子のつぶやきに二人はこそこそと話し出す。
「琴子って、時々ものすごく乙女よね」
理美が横目琴子を見た。
「女子高生って言うより、女子中学生?」
同じように笑ってじんこが言う。
「いーや、今時中学生だってキッスくらいするし、下手をするとその先まで」
「だよねー」
二人でうんうんとうなずきあっていると、横では琴子が理想のデートについてまだ語っていた。
「まあ、全部入江くん相手だと思うと、実現不可能ってところが悲しいわね」
「同居しててもあの態度じゃねー」
「そもそも一緒に食事って何?毎日一緒に食事してるんじゃないの?」
「だよねー」
じんこが同意すると、琴子はようやく二人を見た。
「この間、十五夜のときに月がきれいだったでしょ」
はっとして二人は琴子の言葉にうなずいた。
「ああいう月のきれいな晩に入江くんと二人で眺めたいなぁ」
うっとりしゃべる琴子を見ながら理美はうなった。
「一緒に住んでるんだから、ちょっと誘えば見られるんじゃないの?」
「そこは入江くんだから」
「天才入江は月を眺めるなんて情緒はないのかもね」
「うーん、琴子って、月にも何か祈ってそう」
「誕生日のときも長く願い事してたよね」
「あ、その前の七夕の時は星に願ってた」
「それを言うなら初詣のときも」
思いついたように理美が言った。
そして二人はため息をつきながら同時に言った。
「でもまだ叶いそうにないわねぇ」
「それでね、『月よりもおまえのほうがきれいだ』なーんて」
ぶっとじんこが吹き出した。
「言うと思う?あの入江くんが」
「言ったら世の中ひっくり返るんじゃない」
声を低めて理美も笑う。
「いつか、そんな日が来るといいなぁ」
夢見るように琴子はつぶやく。
いつかそんな未来が訪れる日まで。
まさか二人は世の中がひっくり返るほどの奇跡が訪れる日が来るとは知らない。
もちろん本人さえも。
そんな、 乙女の祈り 。
(2013/10/01)
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