ハ
突然届いた封筒は、驚くと同時に少し安堵した。
おさまるところにおさまったこと。
「だから言っただろ。おまえと彼女は、一生一緒にいるような気がするって」
女の子に死ぬほどもてるのに、女の子に一切興味のなかった男。
冷静で、頭が良くて、顔も良くて、運動神経まで良くて、それでも少しだけ性格の悪い男。
冷血鉄仮面とまで言われていたのに、その仮面を強引に引っぺがした女の子。
明るくて、少しだけ頭は悪くて、ちょっと可愛い子。
うん、お似合いの二人だろ。
それにしても、式が十日後って、あまりにも急過ぎやしないか。
そう言えば一度電話があったらしい。
ちょうど出かけていて電話に出られなかったのだけれど。
どうやらこの話だったか。
いや、それにしても、どういう経過でこうなったのか。
一度じっくり聞いてみたいな。
最後に会ったのはいつだったか。
ああ、そうだ、成人式だったっけ。
相変わらずの記憶力で、おれたちはいろいろ驚かされたっけ。
彼女は変わらずに同居していて、一緒に来ていたよな。
久しぶりに見た彼女は、着物姿が良く似合っていた。
本当は可愛いと思っていたんだろ。
そんなことは全く顔にも出さなかったけれど、結局彼女も一緒につれて帰っちまったくせに。
あの時、一年も経たずして彼女と結婚するだなんて誰が想像しただろう。
一番結婚が似合わないと思っていたのに、誰よりも早く結婚するだなんて、誰が信じるだろう。
まだまだおれにはそんな相手なんて現れそうにないんだけれど。
いつもおまえには負けっぱなしだな。
ああ、そりゃ勝てるなんて思っていなかったけれど、結婚くらいは勝てると思っていたのに。
会ったなら、やっぱり「おめでとう」かな。
それとも「ほら、言ったとおりだろ」とでも?
そうだな、このことに関して言えば、おまえの予想は大きく外れて、おれの勝ちってとこかな。
これほど急なのに、何だか待ち遠しいよ。
おまえがどんな顔して彼女の隣に立つのか。
信じられないほどにやけた顔をしていたらからかってやろう。
それともやっぱりいつものポーカーフェイスかな。
でも気づいていなかっただろう。
高校の時だって、あの成人式の日だって、いつだっておまえはさりげなく彼女を見ていたじゃないか。
それとなくおれまで牽制したりしてさ。
彼女はいつだっておまえしか見ていなかったっていうのに。
本当は、彼女がおまえを落としたんじゃなくて、おまえが彼女を手放せなくなったんだろ。
だからきっと、彼女の熱に引かれて飛び込んだのは、溶かされた 鋼の心 のほう。
(2013/10/31)
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ヒ
一人じゃダメなの。
もう隣にいる幸せを知ってしまったから。
一生あたしはあなたのもの。
あなたと一緒なら、どこまでも行くわ。
知らせを受けた時は夜勤中で、当直の手術室ナースがとにかく来てくださいと。
夜勤ナースの中じゃあたしが最適だろうって、何が何だかわからないままあたしは駆けつけた。
入江先生が手術?琴子が何?
廊下には泣いている琴子。
どうやら先ほどまで取り乱して大変だったらしい。
それがあたしの顔を見た途端またもやパニック。
泣きながらの琴子の話でようやく事情がわかったけれど、相変わらず困った娘《こ》ね。
自分のせいだと責めるの容易いけれど、まだ入江さんがどうかなったわけじゃないんだし。
手術が終わり、西垣先生に詰め寄る琴子を止める暇もなかった。
入江さんが死んだらあたしも死ぬって。
入江さんがたとえ動けなくなっても、たとえ意識が戻らなくっても、たとえ一生寝たきりでも、入江さんの世話をして生きるんですって。
あたしはそれを聞いたとき、琴子を止めるのも忘れてちょっと感動したの。
そりゃ入江さんだから、あたしだってお世話はしたいわ。
でもこれから先の人生、どうなるかわからない。
それでもあたしは確信した。きっと本当に言葉通り一生を入江さんに捧げるんだろうって。
ああ、本当に、あの娘にとって、入江さんはあの娘の全てなのねって。
もしも入江さんに何かあったら、あの娘がどうにかなっちゃいそうだわって。
もちろん、入江さんは骨折だけで命に別状もなければ、寝たきりになることも意識が戻らないなんてこともなかったんだけれど。
その後の騒動はともかく、ちょっといい話でしょ。
今までの世界は、たとえて言うなら色のない世界。
あいつが現れてからの毎日は、極彩色。
知ってしまったら、知らない前には戻れない。
一生を捧ぐ。
一緒に羽ばたき、一緒に前を見て、一緒に羽を休める 比翼の鳥 のように。
(2013/11/01)
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フ
「入江くんなら何でも治せるかもよ。
いろんな治療法を勉強したり、研究したり、きっと凄いお医者様になって、みんなに感謝されて…」
あんな言葉一つで医者に興味を持っただなんて、誰にも言えなかった。
理工学部では見つけられなかった俺の将来。
それなら、医学部ならば見つかるのか。
そのときにはまだ確信はなかった。
あいつにだけ打ち明けたのは、多分何かの気まぐれ。
言ったあいつ自身も覚えていない言葉に対する返事。
親にもまだ言えなかった医者になるという決意を、誰かに知ってもらいたかったのかもしれない。
真剣に医者を目指しているやつ、親の病院を継ごうとするやつ、もちろん医学部にだっていろんなやつがいた。
医学部にうつって初めてその責任の重さに身震いすると同時に何かをやれそうな気がした。
そして、大学を離れて改めて気づいたこと。
いつの間にか、これほどまでに医者になってみたかったのだと。
誰にでも選べるものじゃないとわかっていたし、確かに甘くない。
資金も年数も学問もいろいろな問題で途中でやめていくやつもいる。
いろんな病気はどんどん発見されるし、治療法は進歩する。
器械も薬もぼやぼやしていたら置いていかれる。
離れている間にも新しい治療法は考え出され、新しい薬は研究されている。
これほど勉強したいと思ったのは初めてだった。
授業を聞かなくてもわかったのは高校まで。
教科書を読めばたいていのことは理解できた。
大学でも試験勉強らしきものはしたことがなかった。
だから、新しい知識を入れることになる医学の道が楽しかったのかもしれない。
知らなかったことを知ること。
あいつは、大学に行けば何か見つかるかもしれないといっていた。
何かを見つける場所だとも。
その通りだったかもしれない。
あいつは俺にとって運命の女だったのかもしれない。
その先に破滅があるならば、仕方がないと思える女。
その先の運命も共に。
ちょっと間抜けでおせっかいな ファム-ファタル 。
(2013/11/02)
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ヘ
『はじめまして 入江くん …』
手に取ってもらえなかったかわいそうな手紙。
一晩ずっと考えて、思いをつづった手紙。
どうしても捨てる気になれなかったの。
封を開けることもできなくて、もう一度渡すこともできなくて、あたしはその手紙を部屋に置いていた…はずだった。
「見たのね、ひどいっ」
「俺に書いたんだろ」
部屋に置いていたはずの手紙を、入江くんはいつ見たんだろう。
内容を知っているということは、入江くんは中を読んだということよね。
それなら、その手紙はどこに…?
あたしはそれからしばらく部屋の中を探し回ったけれど、手紙はどこにもなかった。
もう捨てられちゃったかな。
読んでもらえただけでもよかったのかな。
あたしの三年間の想いを知ってもらえただけでよかったのかも。
でもあたし、少しだけ気になっていることがある。
「…ねえ、入江くん」
「…なんだよ」
「あのね、手紙読んだのよね」
「…だから?」
(2013/11/03)
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ホ
自分の指を舐めてみた。
味は、ない。
そんなものに味はないと知っていた。
何かを摘んだ指ならば、甘かったり辛かったり。
でもそれは指の味ではなく、料理や菓子の味。
それなのに試してみる気になったのは何故だろう。
同じシャンプーを使っているのに違う匂い。
ふわりと香るのは、明らかに自分とは違う香り。
それが男と女の違いだと知ったのは、いつの頃だろうか。
何もつけていない唇。
何もない肌。
味わうたびに自分とは違う何かを思い知る。
鼻をくすぐる髪。
汗ばんだ肌までも。
何故こんなに違うのかいまだ不思議だ。
好意一つでここまで違うのか。
どこもかしこも味わってみたい気にさせる。
「入江くん?」
琴子が振り返ると手からするりと髪が逃げた。
唇を味わい、そのまま首筋を舌で舐めると観念したように吐息が吐かれた。
その香りも肌も吐息さえ、俺にとってはどれも ほのかに甘い 。
(2013/11/05)
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