サ
いろんな人を好きになったけど、もうこれでお終い。
だって、あなたはあたしの最愛の人。
「ねぇ、入江くん」
寝室で本を読む入江くんに声をかけてもあまり返事はない。
でも返事をしないだけで聞いているとわかる。
「入江くんは、今まで好きな女の子っていた?」
初恋だなんだと理美やじんこと話をしていたら、いろいろ懐かしくなった。
でも、結局は思い出と言えるくらいの淡いものばかりだった。
そんなときに理美とじんこが言った。
入江くんの他の恋って聞いたことある?
何言ってるのよ、あたしが最初で最後よと豪語してみたものの、そんな自信はこれっぽっちもない。
ただ言えるのは、入江くんは恋心に関して言えば、相当鈍い気がするってこと。
今まで入江くんが恋だと気づいていなかっただけなんじゃないかって。
あたしにだっていつから好きだったか、なんて言ってくれないから、勝手に最初からって自分で思い込んでるけど。
「…さあ」
無表情でそう言う。
どっちなの。あったの、なかったの?
固唾を呑むあたしに入江くんはこちらを見てくっと笑った。
「いたらどうするんだ」
えーと、それは、その、どんな子だったか見てみるけど、でもその子にやきもち妬いちゃいそうだからやっぱり見ないかも。
知りたいけど、知りたくない。
そりゃ入江くんだってそういう人の一人や二人いるかもしれないけど。
「いたとしてもそういう感情に気がつかないから探すのは無理だな」
なあんだ、やっぱりそうなんだ。
あたしはほっとして布団に潜った。
これで安心して眠れそう。
「で、おまえは随分とたくさんいたようだけど?」
「そ、それはその、一時の過ちよ。偽物の恋なのよ」
「ふーん」
「過去も現在も未来もどーんと入江くんのものよ」
「そりゃ大層な宣言で」
「でも、最後の恋にはしないの」
「…は?」
一瞬入江くんがぽかんとした。
「違うの、あのね、だって、入江くんとなら…」
続きの言葉を最後まで言う前に、唇を塞がれた。
くぐもった声は入江くんの中に吐き出される。
何度でも恋をしたいから、 最後の恋 にはしない。
(2013/10/09)
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シ
普通は、幸せにしますとか、幸せになろうとか言うもんじゃないの?
無事に想いも通じ合って、何故か結婚もして、届けも済ませて、晴れて正真正銘入江琴子となったあたし。
でも、ふと気づいたの。
入江くんと想いが通じ合ってからも、結婚してからも、入江くんの口から幸せって言葉、出てない気がする。
どうしてかしら。
あたしは入江くんといるだけでこんなにも幸せいっぱいなのに。
あ、それとも照れて言えないとか?
それとも、まさか、幸せじゃない、なんて…こと…。
「おい、琴子」
入江くんが呼んでいることにも気づかず、あたしは一人でぶつぶつと入江くんの幸福論にまで思考が及んでいた。
「俺が、なんだって?」
入江くんが怪訝そうな顔であたしを見ている。
幸せいっぱいっていう顔じゃないわよね。
こう、帰ってきたら、奥さんをもらったって言う幸福感に満たされて、ハニー、今帰ったよ〜みたいな恥ずかしいことも平気で言えちゃうようになったり。
抱きしめて君が先に食べたい、だなんて…きゃーーーー。
(作者注:あくまで琴子の考える新婚の図、です)
「えーっと、ちょっとね」
入江くんは何も用事はないのかとため息をついてまた本を片手に部屋を出て行こうとする。
「あ、待って、入江くん」
「なんだよ」
「あの、ね、その、入江くんはあたしと結婚して幸せ?」
入江くんはしばらく考えている。
何で考える必要があるの?ここは即答でしょ!
「あの、入江くん?」
「幸せとかよくわからない」
「何で?!」
「とりあえず、おまえがいれば面白い、かな」
「お、面白い…」
新婚なのに、夫から返ってきた言葉は、面白い。
どうなのよ、新妻として。
「あ、じゃあね、あたしといれば幸せ感じるとか」
「…ああ、そうだな、よく結婚したよな、と思う」
「それって」
それは後悔してるの?どうなの?あたしといて幸せ感じるどころか、何か思うところがあるの?
「えーと、じゃあ、あたしといると面白いっていうなら、あたしがいなければ面白くないってことよね」
「ああ」
ふーっ、そこはクリア。
「そりゃ、あたしといれば刺激的な毎日をお約束するとは言ったけど、できれば幸せだなーって感じてほしいって言うか」
ぷっと入江くんが笑った。
「…何で笑うの。最近入江くん、わけのわかんないところでよく笑うよね」
「…いや、俺にもこんなことで笑えるんだってことがわかった」
…よくわかんないけど。
笑えるってことは、笑う角には福来るって言うし、曲がり角程度で笑っちゃうってことよね。
ま、まあいいか。入江くんが幸せそうに笑うんなら。
あたしは今にもまた吹き出しそうな入江くんを見ながら、とりあえずそれで納得することにした。
「ったく、『かど』の意味違うし」
「へ?」
「おまえが幸せにしてくれるんだろ」
「い、入江くんを?」
「おまえは俺といれば幸せで、俺もおまえといれば幸せになれるんだろ」
「そ、そういうことになる…わよね」
「それなら何も問題ないな」
「う、うん」
何だかうまく丸め込まれたような気がするけど…。
とりあえず幸せだからいいか。
何だかんだと言っても シアワセな二人 、多分。
(2013/10/10)
作者注:
当然ですが、正確には『笑う門には福来る』です。
いつも笑い声がする家には幸運が訪れる、くらいの意味ですが。
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ス
まさに一目ぼれ。
壇上のあの人を見た瞬間わかったの。
あたしの運命の人だって。
それからのあたしは、あの人を見るためだけに学校に行ってるようなものだった。
あたしはバカだから一番下のF組。あの人は秀才のA組。
この差はどうがんばっても今は埋められない。
でも見てらっしゃい。来年はもっとがんばって絶対A組には入れるようにするんだから。
そして、同じクラスになって、授業受けているあの人を見て、同じ行事で思い出を作って、時には一緒に作業したり、一緒に勉強できたりなんかしたらいいな。
それから、同じクラスなら球技大会だって体育祭だって思いきって大声で応援することもできるわよね。
「あ、相原さん、ここはどうだったかな」
「あ、ここはね」
…なんてわからない問題を教えあうの。
「琴子、琴子」
はっと気づくと、あたしは球技大会の最中に頭に当たったボールで一瞬気を失っていた。
「えーと」
「ちょっと、大丈夫?普通ボールは頭で受けないわよ」
「あれ、い、入江くんは?」
「は?」
「…夢かぁ」
「もしかしてA組の入江?あの天才の?」
「な、何でもないの」
そう、まだ理美にもじんこにもはっきりとは言ってない。
あたしがA組の入江直樹くんを好きだってこと。
そして、密かにA組入りを狙っているんだってこと。
「で、琴子、入江が何だって?」
理美はにやーっと笑って言った。
「ま、F組のあたしたちには縁がない人よね」
「そうそう。あたしたちF組はさ、こういう球技大会とかじゃないとトップに立てないんだから」
「そ、そうよね」
あたしは話がそれたことに少しほっとする。
もう少しだけ、もう少しだけ黙っていよう。
この恋を胸でゆっくり育てるの。
A組のあの人は、あたしの スキな人 。
(2013/10/12)
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セ
気がつくと、いつも繰り広げられている光景。
ここは病院内食堂。もしくは廊下。もしくはロビー。
できればここがどこかだか覚えていてくれるか、思い出してくれると助かるんだけど。
あるいはあえて考えていないのか、どうでもいいのか。
元からおバカと評判の高い彼女ならともかく、天才と名高い人でもこんなことはあるのねぇ。
「ねえ、あれ、いつからやってるの」
お手洗いから戻ってきた真理奈が尋ねてきた。
視線の先は先ほどから口論しているバカップル。
そう、多分口論のはずなのだ、セリフだけ聞いていれば。
「そうねえ。かれこれ10分は」
「何で入江さんがそれに付き合ってるの」
「さあ。コミュニケーションの一つじゃない」
「それにしても、何も食堂の入口でやらなくても」
「時と場所を選ばない人たちよね」
「普通入江さんが止めるでしょ」
「どうやら当直とか泊まりだとかで、二日は顔合わせてないとか」
「たった二日?」
「そう、二日。しかもあたしはちゃんと二人が顔を合わせた日も覚えてるんだけど、別に二日間全く顔を合わせていないわけじゃないのよ」
「そりゃそうよね、職場一緒なんだから」
「ただ会話してないってだけで」
「夫婦だからもっと穏やかに会話できないもんかしらね」
「いや、その前にいったい何をそんなに興奮して話す必要があるのかしらね」
あたしはため息をついて食後のお茶をすする。
食堂の入口で繰り広げられているのは、バカップル入江夫妻のやり取りだ。
いわく、ずっと顔を見てなかっただの、顔はちゃんと合わせていただの、口もきいていないだの、今日も家に帰れないのかだの、どんどんプライベートのほうにまで話が進んでいく。
いいのよ、夫婦なんだから。
家に帰っていないとなれば心配でしょうよ。
ええ、入江さんみたいな夫を持てばいろいろ心配になるのもわかるわよ。
でもね、ここはみんなが食事をするところで、しかもそこは入口なわけよ。
「そろそろかしらねぇ」
あたしは時計を見ると再び入口に目を向けた。
「あ、そろそろ終わりそうね」
真理奈が鏡越しに同じく入口を見る。
「…あ、終わった」
それまで機関銃のように話しかけていた琴子は、何かひとことささやかれただけで天にも昇りそうな顔を見せて入江さんに抱きついている。
意地悪そうで、冷たそうな態度の入江さんが一瞬見せるあの笑み。
満足そうな笑みを浮かべて琴子を掌でころころ転がしてる感じ。
いるわよ、この病院内にも職場結婚の人なんて。
でもみんながそんな風にいちゃついているかって言うと、答えはノーよね。
「あの入江さんの笑みを向けられる幸せをわかってるのかしらね」
「わかっていなかろうがどうでもいいけど、正直目の毒よね」
あたしはため息をついた。
ほとんどの人間は独身なのよ。ええ、職場の傾向として既婚者は少ないわけよ。
それをあそこまで所構わずいちゃついてくれると、もう慣れっこになったとしてもいたたまれないわ。
誰が何と言おうと 世界は二人のために 。
(2013/10/13)
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ソ
損か得か。
そんなことをよく考えた。
自分に得することか、そうでないかはいつの間にか判断材料になっていた。
自分が損をしてまで人の世話を焼く必要はあるのか。
損をしないなら、放っておいてもいいと思ったし、冷血だと言われても全く構わなかった。
ところが全く常識破りの女が現れた。
夏休みの宿題を夜中にこっそり黙って取りに来るくらいのずるさがあるかと思えば、思うこと全てが顔に出て、何をしても裏目に出たり、自分のこともままならないのに人の世話を焼こうとする。
何故そんなにも一所懸命になれるのか不思議だった。
一所懸命にやればいつか報われると思っているかのように。
いつか騙されて痛い目に遭うのではないかと思っていた。
駆け引きは下手で、最後は泣き落とし。
だって、でもと繰り返し、嫌いな女の典型でもある。
それでも唯一つ知っているのは、その裏にずるい策略がないこと。
泣き落としは、本当に泣いているのだということ。
男の顔色を窺うような余裕もなく、ここで泣けば有効だというような判断もなく、ただ泣く。
言い訳できるような知恵も足りず、それでも言い訳しようと妙に粘ること。
最後は強引に話を治める。
何を考えているかわからない笑顔ではなく、本当に何も考えていないのだと知った。
こんなにも無防備で、この先どうやって無事に生きていくのだろうと少しだけ案じた。
怒って笑って、その顔に全てを出して、誰にでも向かっていく。
そこには損か得かなどと考える余地はない。
終わってみて初めて損だと気づくし、得だったと喜ぶ。
そんな女に何かを説いたところで聞くはずもない。
言った言葉は都合よく解釈されるし、妙に前向き。
当然挫折もするが、またいつの間にか立ち直る。
ある意味尊敬する。とても真似できない。
放っておこうと背を向けても、強引に前を向かせる。
関わりあいたくないのに、関わってくる。
試練だと思えばこれでもかと押し付けてくる。
俺に対する挑戦か。そうに違いない。
わざわざ立ち向かうのは趣味じゃないが、負けるのは腑に落ちない。
特に不戦敗なんて真っ平ごめんだ。
損か得かなんて甘い考えなど捨てるしかない。
そんなあいつは、 損得勘定 抜きの女。
(2013/10/15)
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