ワ
清いまま新婚旅行に出かけたあたしたち。
新婚旅行が初夜なんて、ちょっと気恥ずかしい。
みんなはそんなものとっくに済ませてんじゃないのなんて言ったけれど。
そんなものって、あたしにとっては入江くんと気持ちを通じ合うだけでも本当に本当にものすっごく大変だったんだから。
付き合ってもいなかったのに、そんな、入江くんとそんなこと…そんな…。
「おい琴子」
腕を組んでちょっと怒った顔の入江くんがあたしを見下ろしていた。
これが昨夜初夜をようやく済ませた新郎の姿なの?
「おまえ、荷物まとめたのかよ」
「えーっと、あともう少し?」
そう言ってあたしは周りを見回してみたけど、あたしの周りにはまだお土産や服がたくさん散らばっていた。
「これがもう少しって荷物かよ」
呆れたように入江くんは言った。
「だって、随分と荷物が増えちゃって…」
「そりゃあれこれくだらないもんまで買ってるからだろ」
「そんなこと言ったって、お土産は必要よ」
「だから宅配にしろって言ったんだよ」
「だってお土産は手渡ししたいじゃない」
「バーカ、土産は一度家に配達されるんだよ。しかもおれたちが家に着く頃には届く」
「え、じゃあうちはお義母さんたちがいるからいいけど、二人っきりのところは留守のうちに届いちゃうってこと?」
「あのなぁ…配達日を指定できるだろ。家に着いた次の日にすれば問題ないだろうが」
「あ、そっかぁ」
「…おふくろたちが家にいるとは言い切れないけどな」
「え?何か言った、入江くん?」
「いや別に。それよりも…早く詰め込めっ」
「はいぃっ」
あたしは軍隊もびっくりの勢いで返事をして、広げたスーツケースにせっせと荷物を詰め始めた。
少し汚れてしまったワンピース。
入江くんが汗まみれで探してくれたんだよね。
これも捨てられないなぁ。
また思い出箱の中身が増えるね。
せっかく用意したのにご披露できなかったちょっとかわいい下着のセット。
朝に着替えてみたけど、入江くんは興味なかったみたい…。
昨日入江くんにぽいぽいっと脱がされてしまった、この唯一持ち込んだ中で一番シンプルすぎる下着も思い出になって捨てられないじゃない。
こんなの残して置いたらきっと変よね。うう、でも捨てられない。
「できたのかよ」
「うっ、ま、まだ」
あたしは詰め込みきれない荷物とともに既に半泣き。
「ったく」
そう言うと、入江くんはあたしのスーツケースの中身を全部取り出した。
「ああっ、せっかくここまで詰めたのにぃ」
「うるさいっ、詰め直さないと入るわけないだろっ」
そう言うと、素早くどんどん詰め込んでいく。
いつの間にか増えてしまったTシャツとかもくるくる丸めたり、適当に押し込んだあたしとは全然違う。
「入江くん、旅行、楽しかった?」
おまえはっ、おれが苦労してるのに、という視線を感じながら、あたしは返事を待っていた。
「まあ、おまえと同程度には」
「うーん、邪魔されてばっかりだったけどね」
全部の荷物を詰め終わってスーツケースの上に乗ってまでふたを閉めてくれた入江くんの背に後ろから抱きつくようにもたれて、あたしはふふふと笑った。
「もう明日には日本なんだね」
入江くんは「重い」と素っ気無く言ったけど、振り払ったりはしなかった。
「また、来たいなぁ」
「…時間だ、行くぞ」
「はぁい」
入江くんが詰めてくれたスーツケースを押しながら、あたしは名残惜しくて部屋を見渡した。
「おやじのマンションがあるから、また来ることはできる」
「うん」
それでも、あたしはずっと何度でも思い出すだろう。
「まあ、暇ができたら、だな」
「…うん。そのときにはみんなで来ようね」
「…来てるけどな」
「え?」
「…いや、何でもない」
「今度来る時は、何人かなぁ」
後ろでゆっくりと閉まったドアに背を向け、重いスーツケースとともに長く続く廊下を歩き出す。
こうやって、あたしたちは荷物を持って歩き出す。
時には重たくて泣きそうになるかもしれないけれど、入江くんと一緒なら大丈夫。
そう思える日にしてくれたこと。
入江くんが忘れてしまっても、あたしはきっと 忘れない 。
(2013/11/22)
* * *
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* * *
ヲ
久しぶりに会った入江くんは、少しやつれた感じがした。
ほとんど寝ないでゲームを完成させたんだっけ。
それなのに、あたしってば入江くんを疑って、会社にまで押しかけて、危うく本当にダメにするところだった。
それでもね、本当に会いたかったの。
ひとことでも直接声が聞けたならよかったの。
あんなふうに入江くんを困らせるつもりじゃなかったの。
いつだってあたしは失敗ばかりしてしまう。
それでも入江くんがそんなあたしでもいいって言ってくれたから、あたしは入江くんの隣に立っていられたの。
久しぶりのうっとりするようなキッスの後、入江くんは声もなく眠ってしまった。
あたしにもたれて眠ってしまった入江くんは、いつもよりずっとあどけない顔をして眠っているように感じる。
本当に疲れていたんだね。
あたしはもたれた入江くんの髪をなでる。
まだ少しぬれていたその髪をタオルで拭っても、入江くんは全く起きなかった。
あのオタッキー部と二週間一緒だったなんて、オタッキーさが入江くんに影響しなくてよかった。
でもさすが入江くんよね、あのどうしようもないオタッキー部のゲームを売れるゲームにまでするなんて。
あたしが一緒にいられなかったのに、オタッキー部が一緒にいただなんて、ちょっと腹も立つけど、入江くんの役に立ってくれたんだから今回は大目に見てあげるわ。
入江くんの身体の位置を直して、お布団に入れようとすると、少しだけあたしの手を握った。
それは無意識のようで、あたしの手だと気づいていないかもしれない。
それでもそっとその手を握り返すと、まるで安心したかのようにゆっくりと力が抜けた。
あたしの手を包んでしまえるくらい大きな手。
きっとずっとペンを握っていたりして、疲れただろうなぁ。
布団をかけて、あたしは寝顔を少し眺めた後、頬にキッスをした。
きっと入江くんはこんなに疲れて眠ってしまっても、明日の朝には早起きするんだろう。
あたしもさっさと寝ることにして、久しぶりに入江くんの隣に潜りこむ。
まだ結婚して間もないのに、いつの間にかあたしは、入江くんのその手を握り、その髪を撫で、その唇に触れることが当たり前になった。
それが少し恥ずかしいと同時にほっとする気持ち。
入江くんも同じように感じてくれていたら、うれしいなぁ。
(2013/11/25)
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ン
「あ、あの、まだ慣れなくて」
「知ってる」
「そ、その、そんなにじっと見られると…恥ずかしいんだけど」
「わかってる」
入江くんは構わずあたしの服を脱がしていく。
「ほ、本当に、あの、あたし、このままでいいのかな」
「何が」
「えーと、その、何か協力…とか?」
「…何の協力してくれるの」
「…なんだろう」
すっかり服を脱がし終えた入江くんはため息をついた。
あたしは入江くんのやる気を削げてしまったのかとうつむいた。
えーと、こういうのやっぱり興ざめ、よね。
い、いや、そんなやる気満々なわけじゃないんだけど、その、一応夫婦らしく…えっと…。
「何だか、ごめんね」
「いい、期待してないから」
「そ、そう」
薄暗くはなっているけど、寝室はまだ十分明かりがあるように思う。
こういうとき、真っ暗にするものなの?どうなの?
もっと理美やじんこに聞いておくんだった。
「入江くん…」
「もう、いい、黙って」
そう言って、入江くんの長い睫毛が伏せられた。
入江くんの唇であたしの口はふさがれ、黙るまでもなく黙らされた。
入江くんは、こんなあたしに呆れたりしないのかな。
もっと早く入江くんの気持ちを知っていたら、もっと普通の恋人同士になれていたかな。
それとも、やっぱり家族には内緒にしていたかな。
唇の隙間から吐息が漏れる。
それがあたしの声じゃないみたいで、いつも戸惑う。
恥ずかしいから、これ以上声を出さないようにしようと思うのに、うまくいかなくて困ってしまう。
でも入江くんは気にしていないのか、何も言わない。
触ってくれる手が気持ちよくて、あたしはそれだけでうっとりしてしまう。
入江くんに触ってもらえるようになったあたしの体は、相変わらず貧弱だけどそれも入江くんは気にしていないみたい。
あたしはほっとして入江くんの腕の中に包まれて、大事なものを触るようにされて、女でよかったと思った。
「…琴子」
入江くんの吐息を聞くと切なくて、胸の奥とか体の奥がきゅうっとなる。
声を聞くだけでこんなふうになること、入江くんは知らないだろうな。
それに耳元でささやかれると、それだけでぞくりとする。
そのまま耳を甘噛みされて、体が勝手にぴくりと反応する。
「や…」
それは何だかとても困るからやめてと言おうとしてるのに、言葉にならない。
まるでそれが合図だったかのように、入江くんの唇はあちこちを彷徨う。
そのたびにあたしは漏れ出そうになる声を堪えたり、敏感になった体が忙しく反応するのに戸惑ったりする。
まだあたしが初心者だからなのか、くすぐったいのか気持ちがいいのかよくわからないまま体が火照って熱くなるのを入江くんは待っている。
それは何だか罠をかけられたようで時々恥ずかしくなって抵抗したりもするのだけど、がっちりと抑えられた腕はそれを許してくれない。
「…あ…」
漏れ出た声は、微かな響きとなって、入江くんの耳に届く。
「気持ちいい?」
「そ…なこと…聞かな…で」
つんと指先で胸を弾かれて「や…ん」と入江くんの体を押して抵抗するけど、逆にその体の確かな感触にあたしは手を離せなくなった。
「俺は、気持ちいいよ」
「…ホント?」
思わず目を開けて入江くんを見る。
そっと見た顔は、この上なく色っぽく笑っていて、あたしはまたその顔にとろけそうになる。
「それなら、うれしい…」
あたしの声が届いたのかどうか、入江くんが笑う気配がした。
もう目を開けていられなくて、本当に笑っていたのかどうかわからなかったのだけど。
「…琴子…」
そのかすれた声が好き。
あたしの奥の何かを動かす気がする。
その手に、その声にあたしはいつも翻弄される。
あたしの体を慈しんでくれる入江くんの手が好き。
「ん…」
その体を抱きしめ、その体に抱きしめられて、あたしたちはお互いを確かめている。
声に出さない神聖な儀式のように。
(2013/11/28)
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