赤い後輩



世間が騒がしくなる今日この頃、今年もこの季節かと思うわけだ。
街中にはコウモリにお化けカボチャ、色とりどりのお菓子とくればわかるよね。
そう、ハロウィンだよ。
え?去年もそんなこと言ってたって?
まあそんな細かいことはスルーしてもらおうか。
とにかく、ハロウィンは毎年やってくる。
いつから日本に馴染んでいるかなんてもうどうでもいい、という感じだよね。

「じゃあ、今年は去年使わなかったものを着るんですか」
「せっかく買ったのに皆に披露せずに終わったからね」
「もったいない精神ですよね」
「…ま、もったいないのは確かだけどさ、何かそう言われちゃうとなんだかなー」
「でも大丈夫なんですか。去年は確か…」
「去年が何だって?」
「いえ、いろいろとあって、確かスタンプが溜まりそうって言ってませんでしたっけ」
何でそれ知ってるんだよ。
病院長にスタンプカードを渡され、これがいっぱいになったら減給らしく、今のところスタンプ7個。何故か前回は突然のポイント倍デーだったんだよね。
「さすがに病院長もスタンプカードのことなんて忘れてるよ」
「そうですかねぇ」
桔梗君は少し思案気に僕の顔を見た。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ〜」
僕はご機嫌に歌うようにしてナースステーションを出た。
出てすぐ、非常階段の方からひそひそ声が。
好奇心に駆られこっそりのぞくと、そこには階段の上から人を見下ろすようにして腕組して立っている入江の姿があった。もちろん背中は壁に密着させてね。
階段の踊り場には困り顔の紳士の姿があったが、これはきっと依頼だろうと僕は目星をつけた。
「引き受けてくださるんですか」
「…三千万だ」
出たよ、三千万。
僕なんて三千万稼ぐのにどれだけかかるのやら。あ、医者といっても勤務医なんてそんなもんだから。手術なんて病院の儲けであって医者の儲けじゃないから。
それをあいつは一瞬で。
そりゃあいつの腕はきっと素晴らしいんだろうよ。
あの手この手でありとあらゆる手管を駆使して依頼者の希望を叶えるんだ。三千万くらい取るだろうよ。
三千万か〜。
でも考えてみれば今どきハロウィンジャンボ(宝くじ)一等前後賞ですら五億なんだからたいしたことないか。
考えてみたら、三千万って結構お得なのかもしれないよな。
そんなことを考えていたら、どうやら依頼人との会話は終わったらしい。
「宝くじも買ったことがない人が何言ってるんだか」
なんで宝くじのこと考えてたってわかるんだよ。
相変わらずお前はエスパーか!
階段を上って入江の所に行こうとしたら、厳しい顔つきで「それ以上動くな」と止められた。密かにチャキっと音がしてるし。何の音だよ、物騒な何かか。
見下ろされてると落ち着かないんだけど。
人を後ろにも立たせないが、人の上にも立たないってか?
気を取り直して聞いてみた。
「なあ、いつも思うんだけど、その三千万は何に使ってるんだ?」
「……」
「ちぇ、だんまりかよ。何とかタウンの社長みたいにどーんと宇宙旅行でもしてこればいいのに」
「必要ない」
「あ、そうか、おまえの場合コネでNASA(アメリカ航空宇宙局)にも行けるし、宇宙だってちょっと頑張れば行けるもんな」
「そんなわけないでしょう」
「え、だって、確か衛星の軌道修正で…」
「何の話ですか」
「いや、確か、宇宙船に乗って」
あ、あれ、あれは幻か?
(作者注:ブログ「日々草子」by水玉さま『宇宙へ飛んだ後輩』参照)
いいや、あったよな、うん。
あれか、いつものおとぼけ。
けむに巻いて僕だけがいつも置いてきぼりという。
「ああ、いいよ、いいよ。内緒の指令だっけ」
入江はそれ以上何も言わずに立ち去った。
ほらね、やっぱり人に知られたくないことになるとすっとぼけるんだよ。
だいたいわかってきたぞ、僕も。
僕は一人で納得して戻ることにした。

「で、それが何か」
桔梗君は冷たく言い放った。
入江は宇宙旅行に自由に行けるのではという話を振ったところだった。
「いや、普通の一般人が宇宙旅行に行くまでにまだまだだよねぇ」
「そうですね」
「なんだっけイリュージョンのプリンセスなんちゃらという人は行ったんだっけ?」
「誰ですか、それ」
「え?知らない?イリュージョンで世界有数の金持ちとか政治筋ににごひいきにされるくらいのイリュージョニスト。元は大脱出とかで鍵のかかった棺桶…じゃなかった箱に入って湖とかに沈められて箱が大爆発を起こす前に脱出してとかいうやつなんだけど」
「はあ、そんなことする人いるんですか」
「毎回本当に脱出できるか、どうやって抜け出してるのか、テレビで生放送してたりしてたんだけど、事故も多くてさ、ドキドキハラハラだったよ」
「車とか消すやつではなくて?」
「知ってるんじゃないか!もう、説明して損しちゃったよ」
「プリンセスはロシア戦闘機に乗ってつかの間の無重力状態を経験して宇宙旅行の音速テストを行っただけだ」
後ろからウィキばりの知識ご披露ありがとう。
もちろん本当に宇宙に行ったらしい後輩の話だ。きっと戦闘機に乗って云々なんて鼻で笑っちゃうレベルなんだろう。それこそプリンセスなんちゃらも真っ青なくらいのコネとお金持ってそうだし。
「で、今度はどこ行くの?」
こっそり聞いてみると、後輩は今度こそふんと鼻で笑った。

それから数日後、僕は旅行の準備をして空港にいた。
何故か入江の親父さんに頼まれて。
なんで僕が必要なのかも聞かされてはいないけど、何か重要な役割があるらしい。
でも秋晴れに恵まれていい日旅立ちだよな。
航空券を黙って渡されたんだけど、これ、行き先は中国?
「あ、入江〜」
ようやく現れた入江は僕を一瞥しただけで会員だけが入れるラウンジに行ってしまった。え、僕も入りたいんだけど。
入江のお供で行くんだからさ〜。
と思ったら、入口でぴしゃりとシャットアウト。
「えーと、やっぱダメかな」
「お客様、申し訳ありません。こちらは上級会員さまだけが入室できるラウンジとなっております」
「あ、ああ、そう。知り合いがいるんだけど、ダメかな」
「申し訳ありません」
ゴールドどころかブラックカードを持っている入江は、こんなラウンジもスルーパス。
僕なんていつも移動はエコノミーか、ちょっと欲張ってビジネスだもんな。
だって出張代だってそんなに出ないし、しがない勤務医だし。
ぶつぶつ文句だけは言ってみたけど、仕方がないので一般ラウンジで搭乗を待つことに。
やがて搭乗してあっという間に中国某所に着いて、更に移動して。
何だか物々しい警備をしている場所を通り抜け…。
ねえ、今なんか僕の説明にイリュージョンがどうとか言ってなかったっけ?
いや、中国語、だよね?
あれ?違う?ここどこ?
ここ、どこ―――――!
中国のような中国じゃないような。どちらかというとなんかあれだ。テレビでしか見たことがないような場所だよ、ここ。
しかも書いてある言語がどう見ても、ほら、あれだ、北だか南だかの将軍様がいるような…。
まさか、まさかね。
いや、でも、今まで入江と一緒にいて冗談だったことがあるだろうか。
つかつかと厳しい顔をした御仁が近づいてきて、早く着替えろと言う。
何だかよくわからないけど、入江の親父さんに言われて衣装を持ってきていたから、それにせっせと着替えることにした。
なんでハロウィンの衣装がいるかなと思ったんだけど、今からハロウィンの衣装着て歓迎パーティとか?
「はやくげいをみせろ」
げ、芸?ゲイ?いや、桔梗君はここにいないけど。僕もバリバリのノーマルだし。
何だか喚かれている。
というかもう何語だかわかんないし。
「おまえができるのはなんだ」
「えーと、手術?」
「それはなんだ」
「だから、僕はドクターなわけ。オペレイション、わかる?」
その言葉を聞いてごにょごにょと厳しい顔つきの通訳らしき人が偉そうな人と話し合っている。
「では、そのオペレイションをみせろ」
「見せろと言われても、患者がいないとね。それにこんな場所では手術なんてできないでしょ。道具もないし、助手もいないし、麻酔もできないし」
またもや喚いている。
話が違うって?
それより入江は?
入江の助手のつもりだったから、大してお金も持ってないし、不安だなぁ。
不安をいっぱいにして立っていたら、急に両側から腕を抱えられ、いきなりロープでぐるぐる巻きにされた。手首にはご丁寧に手錠まで。
拘束?拘束されちゃったの?
更にそのまま連れていかれ、何やら四角い箱に閉じ込められた。
え、ちょっと、何、監禁?
箱の外からジャラジャラと鎖の音がする。
その音に僕の顔は青ざめる。
え、まさか、例の大脱出、とか?
そう言えばイリュージョンがどうとかいってたような…。
ガッチャンと南京錠みたいな鍵をかけた音がした。
そんなことしたら出られないじゃないか!
そのまま箱ごと移動するような音がする。
ちょっと待って、プレイバック!
無理!無理無理無理無理!無理だから!
僕はイリュージョニストじゃないし。宇宙旅行なんていらないから!
許してください〜。
い、入江!助けろ!いや、助けてください!
どこかにいるんだろ?な?
白い約束もすっ飛ばし、赤い衝撃だよ!僕が血まみれになってもいいのか?
絶体絶命!
輝く星に寿命があるように、僕にもそれなりに寿命があるんだよ!
まださよならしたくないよー!
その時、どぼんと無情にも水に放り込まれたような音がした。
湖の決心が試される時が来た…。


僕は不意に目が覚めた。
目の前に見たそこは白い天井。
えーと、ここどこだっけ。
もしかして、死んじゃったかと思ったけど、生きてるっぽい。
「いつまで寝てるんですか」
扉が開いたかと思うと、仁王立ちした入江がいた。
「良かった、ここ、日本なんだね」
「…さあ、どうだか」
「え、違うの?」
僕は起き上がって周りを見渡した。
やっぱり日本だよね。
「あなたは失敗したんです」
「うん、だって大脱出なんて無理だからさ、仕方がないよね」
「無理?無理なら何故ついて来たんです」
「だって、入江の親父さんに頼まれたからさー」
「あなたはできもしないことを簡単に引き受けるんですね」
「依頼内容なんて聞いてないよ〜」
「いつどんな時でも引き受けたからには成功をもって取り組んでいただかないと。失敗なんて論外です。ありえない」
「そうは言っても」
「あなたのために成功報酬を三千万にしてもらったというのに」
「え、あの三千万がそうだったの?言ってよ、それ」
というか、何で勝手に契約してるんだよ。
「じゃあ、入江の報酬じゃないんだ」
「何故三千万ぽっちでこんな国まで来て仕事を引き受けなければならないんですか」
三千万ぽっちって言ったよ、この人。
ああ、そうだよね、安いよね。入江にしたら今回の報酬は安い部類なんだろうね、海外だし。何千万ドルとかそういう単位で仕事引き受けてるんだろうなぁ。
でも僕の命がけが三千万か…。
何だか複雑だなー。
「もし日本じゃないなら、今すぐ帰ろう。仕事もあるし」
入江は「帰れません」と言い放った。
「え?」
「この国で人気の芸人ベストテンを当てないと帰れまテン」
今帰れまテンとか言った?
「えーと、どういうことかな、それ」
「あなたは脱出イリュージョンを失敗したんです。後がないと思ってください。この国を出るには人気の芸人を当てなければ帰れませんよ」
「それくらいなら、うん、できそうだ」
「もちろん芸人の物まね付きです」
「…どういうことかな」
「あなたはベストテンに入ると思われる芸人の芸を披露していくんです。幸いここのトップの人は日本の芸能活動に非常に興味があるようですから、受ければ帰ってこられるでしょう」
「受けなかったら…?」
入江はふっと唇の端を上げて笑った。
僕は死に物狂いで芸を披露すると誓ったのだった。


「で、どうしてちょっとした旅行で一ヶ月もかかるんですか」
「えーと、ちょっとした手違いで、帰れなくて」
「いい御身分ですね。一ヶ月も」
僕は病院長の嫌味を先ほどからずっと受けている。
仕方がない。ようやく帰れたときには、出発した日から一ヶ月も経っていたのだった。
ふん、と院長は手を出した。
「へ?」
「早く出して!」
まさかスタンプカード?
僕は白衣の底にくしゃくしゃになっていたスタンプカードを取り出した。よく持ってたよ。
なんだかんだとあれからおとなしくしていたせいかスタンプは7個で止まっていた。
院長はカードを広げ、ものすごく力を込めてぽんぽんぽんと押していく。
あ、そんなに押さなくても。
「おやおや、もういっぱいになってしまいましたね」
スタンプカードは見事10個溜まり、ボーナスも減給に。
おもむろに引き出しからさらに立派なスタンプカードを院長は取り出した。
わお、グレードアップしてる。ゴールドだよ。
ちらりと見えた引き出しには、プラチナとかブラックとかあるっぽい。
まるで入江のクレジットカードのようだ。
というかそんなにスタンプいらないから!
「今度はスタンプ一個につきそれぞれ懲罰がかかります」
更にぽんぽんと全部で5個も一気にスタンプを押されてカードを渡された。
えーと、今新しいカードに2個押されたから…。
「スタンプ一個目は有給無し」
「…はあ」
「スタンプ二個目は当直二倍」
「げ」
スタンプをよく見ると、昼休憩なしだの、残業三時間確定だの、いろいろ書いてある。
ちょ、それって労働基準法違反になるんでは?
「懲罰だけで雇い続けてる優しさを感謝してほしいですね。どこの医者が一ヶ月も勝手に旅行して、いけしゃあしゃあと帰ってきて、元の通りに仕事させてくれとどの面下げて言えるんですか。本来なら解雇ものですよ。
入江先生ほどの腕前ならわからないでもないですが」
そう言えば入江、入江はどうしてるんだ。
院長室を出てゴールドのスタンプカードを携えて歩いていくと、琴子ちゃんが例のごとく当直室へ。
しかもよく見るとデラックスと書いてあるよ。そんな当直室があるんだ!院長専用かな。
あ、でも琴子ちゃんが入っていったということは誰でも使えるのかな。
へー、今度使ってみよう。
そんなふうに思っていたら、もちろん入江がやってきた。
どうせこの後、琴子ちゃんと愛の斗南〜とかやるんだろ。
「よく帰ってこれましたね」
その顔は、全く帰ってくることを想定していなかった顔だな。
へへん、残念だな、帰ってこれたんだよ。時間はかかったけど。
「ああ、例のお方が飽きたから始末してしまおうと言っていたところだったから、命拾いしましたね」
「マジかよ!」
あっぶねー!よかった、命あって。帰ってこられて。
僕が安堵している傍ら、入江は颯爽と通り過ぎ、デラックス当直室へ消えていった。
途端に聞こえてくる琴子ちゃんのうっとりした声。
「ああ!愛のイリュージョン!あたしを真っ赤に染めて」
真っ赤…。どこを…?
「だっふんだ〜」
いや、それはないよ、琴子ちゃん。
「そんなの関係ない」
いや、まあそうだけどさ。古いよ、ギャグが。
琴子ちゃんの今まさに受け手なくせに受けようがないギャグを聞きながら、僕は長く苦しかった某国での苦悩の日々を切々と思い出したのだった。

(2018/10/31)