コード・ブルー?



『ああ、ねえ、見て、ドクターヘリが出動するわ』
『無事に帰ってこれますように』

『行くぞ!』
『ドクターヘリ、エンジンスタート!』

『何をぼんやりとしている、手を動かせ!』
『入江先生、こちら、意識レベルが…』

うーん、うーん、とうなりながら琴子は起きた。
がばりと簡易ベッドから起き上がると、汗をぬぐう。
「良かった、夢で」
思わずほっとした。
そこへアラームが鳴っていることにようやく気付いた。
この夢見の悪さはそれのせいかと思い、立ち上がる。
簡易ベッドの置いてあった休憩室から顔をのぞかせると、そこには同じく夜勤の先輩が「あ、今起こそうと思ってたのよ。ちょっと心拍乱れてるの。様子見に行ってくるから、後をお願い」と懐中電灯を片手に颯爽と行ってしまった。
アラームは今日入院したばかりの患者さんで、確かによくわからないが心拍がいつもと違う。本来ならこれは心室性頻拍で、などと心電図くらい読み解かなければならないはずだが、残念ながらいつもと違うということくらいしか琴子にはわからない。
でも、おかしい。
一向に静まらない。
これはもしかしてもしかすると。
ナースコールが鳴り響き、先輩が行った部屋の番号のコールに出ると案の定「すぐに記録して、先生にコール!」と先輩の声だった。
言われた通り記録のボタンを押しつつ、当直の先生を呼び出した。
そうやって明け方までバタバタとすると、あっという間に夜勤時間は過ぎていく。
日勤にやってきた桔梗幹に「大変だったのよ〜」と言う前に、思わず口をついて出たのは「どうしてこの病院、ドクターヘリないのかしら」だった。
もちろん言われた方も「はぁ?」だ。
「ほら、ドクターヘリがあったら、入江くん、ますますかっこよく活躍すると思うの」
「…ええ、はい、うん、そうね」
準備をしながらだった幹の返事は素っ気なく適当だ。
「ああん、モトちゃん、ドクターヘリの導入にもっと賛成してよ」
幹はそこでようやく琴子を見て答えた。
「いつ、この病院がドクターヘリを導入するって?」
「え?やだ、導入するように働きかけましょうよっていう話」
「それなら答えはノーよ!」
「えーなんで?世の中の役に立つことなのに」
「これ以上入江先生を働かせて過労死させる気?」
「そ、それは…。で、でもね」
「琴子がフライトナースになるって言うの?無理よ。限られた治療道具と状況判断、度胸はあるとしても一人で何もかもやるくらいの気概と技術がなければフライトナースは無理よ」
しばらく沈黙した後、琴子は幹をじっと見て言った。
「フライトナースって、何?」
その会話を 何とはなしに聞いていた周りのスタッフも思わずずっこける始末だった。

 * * *

「琴子ちゃんがフライトナースになったら、きっとかっこいいわよ」
「お義母さんだけです、そんなこと言ってくれるのは」
「これでお兄ちゃんと夢のランデブーね」
家に帰ってドクターヘリの話を義母の紀子に言ってみた琴子は、紀子の支持により、ますます叶わぬ夢を見る。
既に冬休みに入っていた義弟の裕樹がソファに座りながら、義姉である琴子と母の紀子の会話に顔をしかめた。
「助かるためにヘリ呼ぶのに、琴子が乗ってたらとんでもないことになりそうで、絶対ヤダね」
「…とんでもないことって何よ」
「いくらお兄ちゃんが優秀でも、琴子のドジによっていきなりヘリが落ちる羽目になるとか」
「やめてよー!そんなことには絶対させないわ」
「そうよ、お兄ちゃんなら琴子ちゃんの失敗を補ってなお助けられるくらいの技量を持てばいいのよ」
そこで裕樹と琴子は口には出さなかったが、琴子が失敗するのはありなんだと思ったのだった。
「だから、琴子ちゃん、この間のスペシャルドラマの『コード・ブルー』でも一緒に見ましょう」
だから、がどこに繋がるのかは不明だが、夜勤明けで全く眠気を感じていなかった琴子は、紀子と一緒に(裕樹も巻き込んで)ついドラマを見てしまったのだ。
しかも横から裕樹が「コード・ブルーの意味知ってるか」とか「コード・レッドとかコード・イエローとかもあるんだぜ」というようなうんちくを琴子に入れたので、琴子の頭の中にはコード・ブルーだのドラマだのドクターヘリだのとあれこれと詰め込まれたまま夜勤明けの眠りにつくことになったのだった。

 * * * * *

ピピっ、ガー。
『首都高速、○○区内○○行き追い越し車線にて十数台による玉突き事故発生。重傷者三名、軽傷者多数いる模様。高速上及び下り口付近の渋滞により救急車の到着が遅れる模様です。ドクターヘリの派遣を要請します』
「了解しました。ドクターヘリ、出動します」
受話器を置くと入江直樹医師が振り返り、準備を済ませたフライトナースの琴子に「行くぞ」と声をかけた。
「はい!」
物品を確認しながら鞄を背負い、いざ駆け出そうとしたとき、閉め忘れた鞄の開け口からぽろぽろと物が零れ落ちた。
「あわわわわ…」
仕方なくそれを拾い上げながら琴子は入江医師の後を追って駆け出すことにした。
ヘリポートではドクターヘリと書かれた白赤青のすっきりとしたヘリがすでにエンジンをかけて待機していた。
既に走ってヘリに乗り込んだ入江医師の後から息も荒く乗り込んだ琴子の手には、先ほど鞄から落として拾った物品がしっかりと握られていた。
「遅い!」
ぎろりと睨まれて、琴子は首をすくめながら「すみません!」ととりあえず鞄の中に手に持っていた物品を突っ込んだ。
急いでシートベルトとヘッドセットをつけると、ドクターヘリは途端に浮き上がった。
いつ乗ってもこの瞬間は緊張するなと思いながら視界を確認すると、遠くまで見渡せる晴天で風もそよぐくらいのものだ。
ちょうどサービスエリアも近い場所にヘリの着陸場所が設けられていて、皆がヘリを見上げているのがわかる。
ゆっくりと確実にヘリが着陸してから、入江医師と琴子が降り立ち、一目散に事故車両の場所へと駆けていく。
先ほどぶちまけた鞄はしっかりとチャックが閉められ、今度は中身をぶちまけることはなかった。
「うう、フライトナースは体力勝負」
結構重い鞄を背負って走るのは容易ではない。一人での移動は常に駆け足だ。
入江医師はその長い足を思う存分スライドさせてはるか先を走っていく。
重傷者はすでに事故車両の横に救出されているが、ひどく身体を打ったのか、打撲痕に出血、意識もはっきりとしないくらいの容体だった。
早速入江医師が聴診器で胸の音を聴くと、少し顔をしかめて言った。
「エコー」
「はい」
「…胸腔内出血。穿刺針とトロッカー挿入、血管確保、輸液」
「はい」
「搬送準備」
「こちらお願いします!」
「次、30代男性、意識レベル300、頭部外傷。こちらを先に搬送してCT」
「はい」
次々と手際よく負傷者をさばき、救急車で搬送する者などをトリアージしながら二人は現場を後にした。
病院に帰着後も一緒に搬送した頭部外傷の患者をCT室へ搬送しながら次の指示を下す。
「さすが入江先生」
思わずうっとりしながらその手際を眺めていると、「さぼってんじゃねぇよ」と鋭いデコピンが琴子の額に入った。
「いったー!入江先生、パワハラですよ、パワハラ」
「仕事できないやつはいらないだろ」

『コード・ホワイト』

「ホ、ホワイト?そんなのあったっけ」
琴子は首をかしげる。
「こんな時に?いったいどこの誰が?」
救命病棟は混乱の中でさらに混乱が起きようとしていた。

『コード・レッド』

「今度はレッド?」
「レッドって、レッドって…何かやばそう。あ、あたしレッドだった」
琴子は意味もなく右往左往する。

『コード・グリーン』

「え、ちょっと待って」
「グ、グリーン?なんか戦隊っぽい」
意味もわからないまま、琴子は一人くすっと笑った。
「そんなこと言ってる場合?」
それをとがめる他のスタッフの言葉に琴子は「すみません」と素直に謝った。

『コード・イエロー』

「無理!果てしなく無理!今はとにかく無理!」
「断ってくださいよ〜〜〜、それどころじゃないでしょ」
他のスタッフの悲鳴のような言葉。
「なんかカレー食べたくなってきた」
琴子一人ふふふと笑いがこみあげる。
一体なんで琴子一人笑っていられる余裕があるのか、他のスタッフが不気味そうに琴子を横目で見た。…が、そんなことに構っていられないので、不謹慎な笑いも誰も注意はしない。
「どうなってんのよ、この病院!」
「不審者はどこよ!」
「なんでテロが?」
「火事はどこー!」
「今手一杯だって言ってんでしょ!誰よ、搬入決めた奴!」
大混乱の病院の中で、琴子は一人ふふふと笑いながら「レッド、グリーン、イエロー、変身、なんちゃって。そう言えば戦隊ものって、後半になると何故か金色のお助け隠れキャラが出てくるのよね」とつぶやいたのを聞いていた者がいたのか、琴子に死んだ目で伝えた。
「あるわよ、コード・ゴールド」
「ええっ、あるの?」
「ええ」
「すごーい、まさに戦隊。救命戦隊、コードレンジャーって感じね」
「…何をのん気な。ゴールドなんてかかったら、入江先生大忙しよ」
「ええ、これ以上に?それは困る!」
「何が困るのよ」
「だって、だって、デートもできないじゃない」

『コード・ブルー』

「入江くんのコード、ブルーなのよね。入江くん、また忙しくなっちゃう」
「本気で言ってんの、琴子」
「あたしのコード、レッドだもん」
「…はい?」
他のスタッフの疑問に琴子は首からぶら下げた身分証明のカード…ではなく、紐を引っ張って見せた。
「…あんたねぇ」
スタッフは呆れて声を揃えて荒げた。
「そっちのコードじゃない!」

 * * * * *

琴子はそんなぁと起き上がると、そこは入江家の琴子と直樹夫妻の寝室だった。
「あれ?あ、夢か」
琴子はぼさぼさの髪をかき上げながら一人笑う。
「夢か〜。そりゃそうだよね。あたしがドクターヘリのフライトナースなんて」
そして琴子はため息をつく。
「かっこよかったな〜、入江くん。それにしても…」
琴子は夢覚めてもなお疑問が残った。
「で、コード・ブルーって、何よ?」
もちろんその疑問を解決するために直樹に聞くという安易な方法を取ったがために、戦隊云々話を披露するどころではなく、なし崩しにベッドから起き上がれなくなる代償を払ったうえ、結局のところコードなんちゃらの数が多すぎて混乱して、憶えられないまま今に至るという…。

(2018/12/30)

※作者補足※
知ってるかもしれませんが
コード・ブルー:緊急招集(主に負傷者多数受け入れなどで全スタッフの助力が必要)
コード・ホワイト:不審者出現(ブラックというコードの場合もあり)
コード・レッド:火事発生
コード・グリーン:テロの発生、発生により負傷者が予測されるとき
コード・イエロー:患者の緊急搬入依頼(ブラウンというコードの場合もあるが、病院内で何らかの支障があった場合のコードのときもあり)
コード・ゴールド:臓器移植提供者の発生
コード・パープル:爆弾などの脅迫があった場合
コード・オレンジ:避難指示