重雄の一世一代の決心
「う、うわあああ!」
目の前で崩れていく家。
一世一代渾身の新築が今脆くも崩れ去ったのだ。
頭は真っ白、もう何も考えられない。
「家が…わしの家が…」
「お父さん!しっかりして!」
「うをおおお」
「絶対違法建築よ!」
それはちょっと違う、とおバカな娘の叫びに脳内ツッコミをしながら、夜は更けていく。
そうだ、このまま呆けている場合ではない。
「違法じゃなくて、手抜きだな、こりゃ」
「お父さんがケチって値切ったんじゃないの?」
「何を言う!わしだってなぁ…!」
思わず驚く近所の人々を前に、年甲斐もなく娘と言い合いをしてしまった。
まさか震度1で家が崩れるとは誰も思わないだろう。
わしだって思わない。目の前にしてみなければ。
しかし、何を言ってももう遅い。
「琴子…今夜は…店に泊まるか」
「しょ、しょうがないわよね…」
「そ、それじゃあ、あたしたちはこれで…」
「琴子、気を落とさずにね。明日、また学校で」
「琴子!何ならわしの所に泊まってもええんやで」
何を言ってるんだ、あの若者は。
年頃の娘を若い男の下に泊まらせるバカがどこにいるんだ。
「ことこー!気いをしっかりもてやー!わしが、わしがついてるぞー!…あ、ちょ、離さんかい!」
ろくでもないことを言った若者は、琴子の友だちに引きずられて帰っていった。
「あー、えー、お騒がせしまして、すみません」
近所の人たちが口々に心配してくれる声を聞き、慌てて頭を下げる。
琴子は恥ずかしそうに近所の人たちに「ちょっと大工の手違いで…」と頓珍漢な説明をしている。
その間に崩れた家の隙間から大事なものを取り出すことにして、悦子の位牌や財布なんかを持ち出した。
琴子はわけのわからないものを引っ張り出しているが、明日からどうやって学校に行くつもりだ。
「琴子、まずは制服とカバン、教科書とかだろう。定期とか、もっと大事なものがあるだろう」
「あ、そうか」
どうも琴子は抜けてるというか、悦子に似て落ち着きがねえというか…。
幸い制服なんかはすぐに取り出せる場所にあり、ホコリさえ払えば問題ないようだ。
私立の高校というのはいろいろ高いからな。
* * *
琴子はいろいろぶつくさ言いながら学校へ出かけた。
家がなくなったとなりゃあ、そりゃ心配だろうが仕方がない。
朝から近所の人にテレビカメラが来ていたと知らされて、派手に知られてしまったのを気に病んでいるようだ。
さて、どうしたもんか。
とりあえずはあの手抜き工事をした建築会社に文句を言うとして、なんとかして金だけでも返してくれないだろうか。
今日は店を休むとして、明日からの住む場所も考えなければ。
…と、また電話だ。
朝から店の電話には、ニュースを見て心配した人たちからかかってくる。
まあ、話のタネとばかりに取材みたいな電話もあったが、お客さんからの電話もあるのでうかつに電話を無視するわけにいかない。
ところが、今度の電話は懐かしい友からの電話だった。
「イリちゃん…?」
それは出身地、佐賀での同級生、入江重樹だった。
同じく東京に出てきた同級生の一人として何度か飲みに行ったり、悦子のことで見舞いに来てくれたり、店にも来てくれたりしたが、イリちゃんも忙しいのかしばらくご無沙汰だった。
「え?ご自宅に?そ、そりゃありがたいが…そんな迷惑は…」
イリちゃんはおもちゃメーカーの社長をやっている立派な人だ。
おまけに温厚で怒ったところをほとんど見たことがない。
こちらに出てきてからも何かと貧乏なわしを助けてくれたり、奥さんは美人で気風のいい人だ。
店を持った時も奥さんと一緒に一番に駆けつけてくれたりもした。
一度、琴子が生まれてから自宅に遊びに行ったこともあるが、こりゃまた世田谷の素晴らしいお宅だった。
確かにあのお宅なら部屋の一つや二つ余っていそうではあるが、どうしたもんだろう。
しかし、このまま店にいては営業もできないし、店には修行中の若いもんもいるし、琴子に何かあっても困るしな。
おまけにとりあえずはホテルとかに泊まっても、ずっととなるとお金がなぁ…。
家も探さないと。
それにもう一つ、イリちゃんは弁護士を紹介してくれるらしい。
崩壊した家の責任をとってもらえるように交渉してくれるそうだ。
「…なるべく早く新しい家を探すから、お願いできるかい、イリちゃん」
迷惑だろうとは思ったが、その好意に甘えてほんのひと時お世話になることにした。
何よりも琴子の学校までの距離も店までも近い。
夜も遅いし、今までもあれこれ心配だったんだが、これで少しは安心できるってなもんだ。
料理下手な琴子の飯も奥さんが用意してくれるそうだ。
そうそう、確かイリちゃんの奥さんは料理がうまかった。
あれ?何か一つ忘れてる気がするが、なんだったかな。
この時、まさか一生入江家にお世話になるとは思っていなかった。
入江家に行って思い出したんだ。
同い年の男の子がいたことを。
そして、同じ学校に通っているなどとは全く知らなかったし、まさかその男の子に琴子が一目ぼれして、前日にラブレターまで渡していたとは。まあ、速攻でフラれていたらしいんだけどな。
でもその後、いろいろあって…。
建築業者には責任取らせることもできて、こりゃイリちゃんのおかげさま様だった。
もう一度家を建てて出たものの、また入江家に戻ることになったり、今度こそ戻ることはないだろうと思ったのに、出る寸前で取りやめになったり。
ああ、本当にいろいろあった。
その男の子、直樹君と琴子が結婚するなどと誰が想像できただろう。
しかも琴子とは全く正反対の頭のいい子だ。
フラれたはずの琴子がプロポーズされて帰ってきて、その二週間後には結婚って…。
お、奥さん、早すぎたよ…。
ああ、本当に人生とはわからないもんだ。
あの時の決心が、一世一代のものだと誰が想像できただろう。
「お父さん、『一斉一大』って、人生何回言ってんの」
「い、いや、そりゃこういう時はちょっとくらい黙って…。それより、おまえ、またそれは絶対読み方も意味も違ってんだろ」
「え?何言ってんの、お父さん」
「はー、本当にお前というやつは…。いいのかね、直樹君、こんな娘で」
「そんなことくらいでやめるようなら、琴子を選んでませんから」
「え、ヤダ、もう、入江くんったら」
まあ、これはこれでよかったってことに。
おっといけねぇ。
涙でせっかくのきれいな娘の姿が見られねぇってことになっちまったら、悦子に土産話できないもんな。
なあ、悦子、やるときはやる男だよ、わしは。
(2023/11/24)