キ 君と二人傘の下
いつの間に、僕は女と待ち合わせをするようになったんだろう。
文句を言いつつ、それでも時間きっちりに、遅れないようにこうして待ち合わせ場所に来てしまう。
待っているのなんてみっともないと思いつつ、雨の中待たせるのはかわいそうだと思ってしまう。
だから早く来たとしても、ちょっとした僕の親切だと思えばいい。
…なのに、何であいつはよりによって遅れてくるんだ?
イライラしながら待った挙句、時間は既に過ぎていることを確認する。
時計の針はゆっくりと動いていた気がしたのに、待ち合わせ時間を過ぎるとあっという間に早く動いている気がする。
あいつは待ち合わせに遅れても、きっと来る気がする。
だからこそ待っているわけだけど。
…なんで傘を持っていないんだろう。
制服姿で走っている。
僕を見つけて一瞬うれしそうな顔をして、それからすぐに申し訳なさそうな顔をした。
すぐに顔に出るのは琴子とよく似ている。
僕は多分不機嫌な顔で傘を持って立っている。
本当に、こんなことなら雨を避けられる場所で待ち合わせをしておけば良かった。
雨が降ると言われた今日、朝から傘を持たずに行くのは無謀だろう。
しかも今は雨にぬれて走っていて、しかもスカートは少し汚れている。
多分、多分だけど、急ぎすぎてどこかで転んだんだろう。
それを心配してやるべきか、雨にぬれたことを心配してやるべきか、それとも、遅刻したことを言ってやるべきか。
…やっぱり、何で遅刻したのか聞くべきだろうな。
「ゆ、裕樹…くん、ご、ごめんね」
息を切らして、僕の前に着いた途端にそう言った。
仕方がないので傘を差し出して「…いったいどうしたんだ」と聞いてみた。
「遅刻しちゃった。約束、守れなくてごめんね」
「もうそれはいいよ。何で遅刻したんだよ。それに傘はどうしたんだ」
僕の質問に少しだけ困ったような笑顔を見せて言った。
「うん。学校で、傘を忘れちゃった子がいて、傘を買おうって話になったんだけど、ほしかった傘が高くて、その子が持っているお金じゃ足りなかったの。あ、もちろんあたしも貸してあげるって言ったんだけど…それでも足りなかったの」
「それは、いいけど、何でそれが…。
…まさか、おまえそいつに傘貸したのか」
「うん。だって、私のほうが待ち合わせ場所近かったし」
「じゃあ、遅刻した理由は」
「それは、途中でちょっと」
「どうせ途中で転んだんだろ」
「えへへ…」
はにかんだまま、それ以上は言わなかったけど、多分何かお人よしなことをやらかしたんだろう。…ばかなやつ。
「こんなにべたべたじゃ、ちょっとお店に入れないね」
「ったく、よく考えて行動しろよな。だいたい傘なんて500円も出せば買えるやつだってあるだろ」
「そうみたいだね」
「じゃあおまえがそれ買えばよかっただろ」
「だって、それじゃ今日裕樹君と映画見る約束果たせない」
「…だからってそんなにべたべたになったら意味ないだろ。風邪ひくし」
「ああ、そっか。あたしって、ばかだな」
笑いながら、少しだけ泣きそうな顔をする。
今ようやく気づいて反省している顔だ。そして、このまま家に帰らないといけないかと覚悟している残念な顔。
「…映画は…来週もまだやってるだろ」
僕が小さく言った言葉に、彼女はうれしそうに目を見張った。
「早く帰って着替えないと風邪ひくだろ」
そう言って、傘の下に入れたまま歩き出す。
ああ、こんなこと予定になかったのに。
「うん。ありがとう、裕樹君」
「…とりあえず、帰るぞ」
並んで、制服姿で街を歩くなんて、少し前の僕だったら考えもしなかった。
しかも、こんなにドジで、お人よしで、お人よし過ぎてバカなんじゃないかとまで思う女と。
おまけに相合傘をしているなんて。
…でも、不思議と嫌な気分じゃない。
隣を歩いている彼女は、時々僕をこっそり見上げては、また慌てて下を向く。
気がついたら自分の鞄がぬれていたけど、それも仕方がない。
「家に帰るなら、あたし、傘を買ったほうがいいよね。
だって裕樹くんもぬれちゃうし」
心配そうに彼女は言った。
気がつくと、駅は目の前だ。
確かに傘は売ってる。
「必要ないだろ」
僕はそう言って歩き続ける。
「僕の傘があるし」
彼女はびっくりした顔で僕を見た。
「…なんだよ」
「う、ううん」
「家まで送っていけば、傘なんて買わずに済むだろ。
今お小遣い使ったら、来週映画に行けないと困るだろうし」
「そう…だよね。うん、ありがとう、裕樹君。やっぱり、大好き…」
「バ、バカ、何言ってるんだよ、こんなところで」
僕は慌てて周りを見渡す。
でも、雨の音がさらさらと響くだけで、誰も彼女の言葉を聞く人なんていなかった。
もう少しで駅に着く。
…ほんの少しだけ、傘を閉じるのが惜しいなんて、やっぱり僕はどうかしてるのかもしれない。
(2012/07/08)