イタkiss梅雨祭り2012



ズ ずっとこのまま止まない



ねえ、入江くん、覚えてる?
こんなふうに突然雨が降り出して、なかなか止まなかった日のこと。
いつのことだかって?
あたしが雨宿りしてたら、入江くんも同じように軒下に駆け込んできたことがあったでしょ。学校の帰りのことだよ。
そんなの覚えてるわけないって?
もう、入江くんたら、記憶力いいくせにそういうことはわざと忘れるんだよね。
その日はいい天気で、今みたいに突然降る雨も少なくて、本当に予想外の雨だった。
晴れてたのに急に曇りだして、あっという間に雨が降り出した。
通り雨だからすぐに止むだろうって思ったのに、なかなか止まなくて。
家に戻るまではまだ結構あったから、走っていくのもちょっと躊躇して。
誰かに借りようにも誰もいなくて。
おまけに定休日だったせいか開いてるお店とかもなくて、ここなら開いてるだろうって思った店に駆け込もうとしたら、臨時休業の札があって。
もう仕方がなくてそのままその店の軒下で雨宿りすることにしたの。
入江くんも同じだったのか、その後そこに駆け込んできたんだよね。
軒下って言っても、これ以上本格的に降ったら濡れちゃうくらいの小さなスペースだったから、入江くんが一瞬あたしの隣に入るのを躊躇ってたわよね。
こっちこっちって手を振ったら、いや〜な顔してたの覚えてるもん。
実際入江くんが来たらちょっと狭くて、二人で肩が触れ合うくらいになって、あたし一人でどきどきしてた。
なかなか止まない雨に入江くんがそのうちイライラしだして、走って帰るとか言い出したりして、もうちょっとで止むわよ、な〜んて適当に言って引き止めたりなんかしたんだった。
いつもいい加減なこと言いやがってって…。
あ、あれはちょっとした乙女心なのよ。
好きな人と雨宿りっていうのは、乙女の夢なのよ。
肩が触れ合うくらいに身を寄せ合って雨宿り。
ぬれるからこっちおいでよ、な〜んて、キャッ。
…そ、そりゃ、入江くんはそんなこと言わなかったけど。
だってあの時はあたしの片想いだったし。


買い物に出かけた先で、とうとう降りだした。
本当はこのまま走って家まで戻りたかったが、両手に荷物の今、走っていくのも少しきつい。いや、本当は少しどころじゃないが。
なんだってこいつはこんなに買い込むんだ。
幸い荷物もまだ濡れていないし、少しこいつの話に付き合ったら家に電話して迎えに来てもらうか。
しかし、よく覚えてるよな、あんな昔の話を。
大学に入ってすぐの六月。
いつもなら傘を持って出かけるくらいの用心さはあるはずだが、その日は雨の予報なんてなかったから少しばかり油断していたのもあった。
もう少し早く降り出してくれればロッカーに置いてあった傘を使えたんだが、全くの手ぶらだった。
帰る途中で急に降り出して、通り雨だと思った。
一時しのぎできればいいかと思って駆け込もうとした先にこいつがいたんだった。
この際家まで走ってしまおうかと思ったのに、結構強引に腕を引っ張りやがった。
結局こいつまでぬれる羽目になるからと仕方なく軒下に。
おまえはこっちこっちって手を振ったつもりでいたらしいが、あれは振ったんじゃなくて引っ張ったが正解だぞ。
乙女の夢のわりには強引なやつ。
やってることと言ってることが大違い。
身を寄せ合うも何もおまえがどんどんこっちに寄ってきたんだろうが。
お陰で俺の片側はかなりのぬれ具合。
それに気づかないおまえも結構図太いよな。プッ。


あ、何笑ってるの。
こうやって雨を眺めてると、二人だけの世界よね。
もうこの軒下はいっぱいだから、他の人は他の軒下を探して走って行っちゃうわけだし。
雨の音が他の音も消してしまって、あたしと入江くんの声しか聞こえないし。
それでね、それで…このまま止まなかったらいいななんてつい思っちゃうの。
あの時も入江くんは意地悪ばっかり。
ちょっと冷えるねって言ったら、まだ夏の初めなのにそんな格好してるからだろバーカって。
止まなかったら走るぞって入江くんは空を見上げて言ったけ。
こっちのほうをチラッとも見てくれなくて、空ばかり気にしてた。
もしもこのままずっと止まなかったら、やっぱり走るしかないんだけど、それでも、あたしはずっと入江くんと二人でいたかったな。
あの時もどれくらい待っていたのか、結局本当に通り雨で、そのうち小降りになってきたから、入江くんもあたしもほっとしたけど。
ずっとこのまま止まないでって、あたしは思ってた。
うん、だってたとえ何も話してくれなくても、こっちを向いてくれなくても、今この場にいるのはあたしと入江くんの二人っきりだけだからって。
世界で二人だけみたいに思えるじゃない。
今だってそう。
すっとこのまま止まない雨なら、入江くんとこうして二人っきりでいられるのにって。
…荷物が重いからごめんだって?
ごめんね、だって安かったし。
でも入江くん、荷物を持ってくれたりして、優しいんだ。
入江くん、もうちょっとこっちに寄ったら?
それじゃあ、入江くんだけぬれちゃうよ。
うんわかってる。
あともう少しだけ。
きっとまだ止まないから、あともう少しだけこうして二人で雨を眺めていたいな。


すり寄ってきた身体を受け止めながらため息をつく。
今日はほとんどぬれていないから、風邪ひく心配もないし、まあいいか。
あの時、こいつは流行りのキャミソールかなんかを着ていて、それで雨にぬれるもんだから、そりゃ冷えるだろ。
だいたいキャミソールなんて下着同然。
薄い生地で雨にぬれればどうなるか。
なけなしの胸のこいつだって、透けたりすればそれなりに注目の的。
幸い誰もいなくて、あとは家に向かって一直線だった。
まじまじと見て、透けてるぞって言えば満足だったのか?
全く気づいていなかったってのも女としてどうかと思うが。
乙女の夢だとか片想いだとか言うだけあって、周りが見えていない。
…今日の雨は止みそうにないな。
俺ならこんなところで雨を眺めているよりも、家に帰ってのんびりしたい。
こんな軒下でしか二人きりになれない俺たちじゃないだろ。
おまえには悪いけど、今は携帯っていう便利なもんがあるからな。
おふくろに電話して迎えに来てもらえばいいんだよ。
少しだけ乙女の夢に付き合ってやったから、そろそろ帰るぞ。
買い物にも付き合ってやって、荷物も持ってやって、わかりやすいだけの優しさなら簡単だろ。
あの時は伸ばせなかった腕を今度は伸ばして引き寄せてやれる。
寒ければ温めてやれる。
そんな些細な違いをうれしく思う俺は、おまえの乙女の夢とやらに毒されてるのかもな。
ずっとこのまま雨が止まなくても、二人で雨の中に踏み出すのをおまえはきっと躊躇わないだろう。
だって俺たちは、あの雨の日に新しく踏み出したのだから。

(2012/06/19)