花束のような君を



『花束の向こうに』のおまけ編その2



家に帰ると、すっかり卒業祝いの準備ができていた。
でも入江くんは、そんなリビングをひと眺めしただけで、無言で2階に行ってしまった。
あたしもさすがに着替えるしかないので、入江くんの後について寝室へ行く。
着物を脱ごうとしたけど、なかなかうまく紐が解けない。
ひとりであたふたとしていたら、入江くんが入ってきた。

「…何やってんだ」

ひどくだるそうに言う。

「紐がうまく取れなくて」

そういえば入江くんは手術をしてから来てくれたんだっけ。

「ああ。いいよ、そのままで」
「え、でも、着物脱がないと…」
「脱ぎたいなら脱げばいいけど」
「でも、紐が…」
「そんなに脱ぎたいなら手伝ってやるよ」

そう言うが早いか、入江くんに後ろから抱きしめられた。
…と言うより、着物の紐を取ってくれようとしたみたい。

「あ、あの、あとは自分でやるから」

バカみたいに声が震える。
後ろから入江くんの体温を感じて、どきどきする。

「朝一番で手術して、終わったその足で飛行機乗って、式場に着いたらお前が倒れてて」
「び、びっくりしたでしょ」
「医務室行ったらぐーすか寝てるし」
「て、徹夜したからかな〜」

あの、入江くん、そこは紐じゃないんだけど…。

「あまり時間がないな」
「…患者さん、放っておけないもんね」
「担当患者じゃないから、本当は待機する予定じゃなかったんだけど」
「そうなの?」
「こればっかりは仕方ないな」

あたしはいまだに耳元でささやかれることに慣れていない。
そのうちに紐は解かれて、着物がぱさっと音を立てて身体を滑り落ちた。

「こ、こっちに来て大丈夫だったの?」

緊張して声が裏返ってしまった。
それなのに、入江くんはくすっと笑っただけで、あたしを抱きしめたままだ。
背中は入江くんの体温で温かで、耳元は入江くんの吐息で熱い。
足元は少し肌寒くて、胸はどきどきしすぎて壊れちゃいそう。

「…卒業できて、よかったな」
「…うん」

後ろから抱きしめられたまま振り向くと、入江くんの匂いがした。

入江くんがいなくなって、部屋からどんどん入江くんの匂いがなくなるの。
お布団もシーツも清潔な洗剤の匂いだけで、入江くんのいた場所にも入江くんを感じられなくなるの。
だから、こうして抱きしめられると、入江くんがここにいるんだって、感じられる。

何度もキスをして、肌寒かったことなんて忘れた頃、入江くんの携帯が鳴った。

「…飛行機の時間?」

ぼんやりとした頭でそう聞くと、入江くんは黙って身支度を整えた。

「次に会うときは、看護婦になったときだな」
「大丈夫。期待してて」
「……大丈夫って、感じじゃないけど。
とりあえず期待はしてるよ」

入江くんはそう言って、あたしと部屋の隅にとりあえず置かれた花束を見た。

「見送らなくていい。おふくろが卒業祝いのパーティ用意してるんだろ」
「お義母さん、張り切ってたからなぁ」
「それじゃあな」
「え、ほんとにもう行くの?」
「おまえ、その格好で下りてくる気か?」

あたしは慌てて入江くんの後を追いかけようとして、自分の格好に気が付いた。

「い、今服着るから!」
「いい」
「だ、だって」
「…また、泣くだろ。今日は連れて行くわけにはいかないから」
「じゃ、じゃあ、泣かないから」

一所懸命泣くのを我慢していたら、入江くんはあたしの顔を引き寄せて言った。

「…おまえ一人がさみしがってると思うなよ」

あたしが言葉の意味を考えている間にキスをもう一つ。
力が抜けてへたり込んでいる間に、入江くんは部屋を出て行った。

入江くんもさみしいと思ってくれるの?
ねぇ、今度会うときは、たくさんキスをしよう。
たくさん話をして、もっと一緒にいられるといいね。
ね、入江くん。




「花束の向こうに」おまけ編その2 花束のような君を
 (2006.05.15)−Fin−