03 それは始まりの合図
ただ話をする。
たわいもない話。
別に今聞かなくたって困らない話。
ただ、それを止めるのが面倒なだけ。
目は本に落としながら時々口を挟む。
本当は俺のコメントなんて必要ない。
それでも何か一言言っておかないと、永遠に同じ話を続けそうだから。
少しだけ冷えてきた夜の静かなひと時は、彼女のおしゃべりによって破られる。
どうしてそれが日課になったのだろう。
わずらわしくて、面倒で、本当はどうでもいいことだったのに。
「それでね、あたしは結局やめておくことにしたの。だって真里奈みたいにスタイルがいいわけじゃないし…」
「ふーん、わかってるじゃん、自分のこと」
「そ、そりゃそうかもしれないけど」
「で?」
「へ?」
「話はそれで終わり?」
「…う、うん」
「それじゃ」
「そうだね、もう寝ようか」
俺は本を閉じてサイドテーブルに放り出す。
今日も結局ほとんど読めていない。
「あ、あたし、そう言えば明日は…」
急に思い出したようにもぐりかけたベッドから身体を起こそうとする。
振り向いたその唇にキスをする。
言いかけた言葉は俺の口の中。
「明日は、何?」
目をのぞきこんでそう問うと、彼女は小さく答える。
「…なんでもない」
「…ふうん」
今度はしっかりと身体を捕まえてキスをする。
「…おやすみ…じゃないの…?」
「…そんなに期待してるなら、期待通りにしようか」
「そ、そんなわけじゃ」
「…じゃあ、どういうわけだよ」
少し意地悪に問い返す。
「…う…ん…。だって入江くんとキスすると、何か始まりそうなんだもん」
あの時は聞こえなかった胸の鼓動が伝わってくる。
「ふうん、何か、ね…」
「そ、それだけだからっ」
真っ赤に染まった耳に唇を寄せる。
「あのキスから始まったって、おまえは思ってる?」
「…違うの?」
腕の中、彼女は心配そうに振り向いて聞く。
「…さあね」
少しがっかりした様子の彼女。
「そんなの、いつだっていいだろ」
「でも」
「キスより前だったらどうするんだ」
「…ええっ?!」
驚いて目を見開いたままの顔にまたキスを一つ。
ゆっくりと目を閉じた彼女の変わらない唇に触れれば、いつでも思い出す。
…当分は、キスから始まったことにしておこう。
03 それは始まりの合図(2008/02/23)−Fin−