Kissしたくなる10のお題



07 視線で伝わる想い



いつからだ?
いつから日本はハロウィンなんてお祭り騒ぎをするようになったんだ?
そんなバカ騒ぎを好むやつは誰だ。

「いっりえく〜ん、今度ね、おばさまがハロウィンパーティをするんだって」
「行かねーよ」
すかさずそう返すと、琴子は目を見開いて言った。
「まだ何も言ってないのに」
「その次のセリフは俺に来いと言うんだろ」
「そうだけど、すごーい、何でわかっちゃうの?」
バカか、こいつは。
バカの一つ覚えみたいに毎度誘えば行くと思うなよ。
「それでね、入江くんは仮装は嫌いだろうから、仮装はなしでもいいんですって」
「だから行かねーって」
琴子は俺をじっと見ている。
仮装も何も、参加する気ないからな。
えーとか何とかつぶやきながら俺を見ている間に背を向けて歩き出した。
俺はちゃんと言ったぞ。言ったからな。


「………」
不本意ながら、俺は今、一人暮らしのマンションではなく実家にいる。
「調子悪いんじゃなかったのかよ」
「あら、悪かったわよ、今朝まで」
しれっと言うおふくろ。
俺は青ざめてだんまりを決め込む琴子の顔を睨んだ。
顔を横に振っている。
それはあたしは知らなかったという意思表示だろうか。
部屋はハロウィン用に飾り付けられ、おふくろの料理が所狭しと並べられ、調子の悪かったとかいうおふくろが用意できるわけないだろうが。
「…帰る」
「え、お兄ちゃん?!」
頭にかぼちゃの何かを乗っけた裕樹が驚いたように俺を見た。
裕樹は普段何も言わないが、俺がいないことで結構寂しがっているのを知っている。ただ、その寂しさは、琴子がいることで半減しているのだろう。
「い、入江くん、食事だけでも食べて帰ったらどうかな」
琴子が恐る恐るテーブルの上に置いてあったカナッペを取り出した。
どうせ一人暮らしだからとか何とか言うんだろう。
そりゃ夕食はありがたい。
自炊は嫌いではないが、今この時間から帰って作るのは少し煩わしいのは確かだ。
琴子は俺に渡そうとしてお約束のようにカナッペをぶちまけた。
「きゃあ!」
叫びたいのはこっちだ。
琴子がこちらに倒れてきて、仕方なく腕で支えると、カナッペが頭の上から降ってきた。
どうしてこいつは漫画でしかやらないようなことをやらかすのだろう。
裕樹も驚いて見ている。
こめかみに青筋が立つのが自分でもわかる。
俺の腕に支えられた琴子は、顔を真っ赤にしてあたふたと俺の腕につかまっている。
暴れるな、重い。
辛辣にそう言えば、ショックだと言うような顔をしてこちらを見上げた。
なんてわかりやすい。
重いと言われて自分の体重が今どれくらいかと考えているのだろう。
実際に片手で支えるこちらの身にもなれ。
「ご、ごめんね、入江くん」
「そこ、写真撮るなよ」
何かパシャパシャと光ると思えば、おふくろがすかさずカメラを取り出していた。
我がおふくろながらなんて早業だ。絶対隠し持っていただろ。
「…もう、いい」
俺は呆れて琴子を立たせると、その辺の椅子に座った。
「それじゃあ、お兄ちゃんも諦めたところで」
…おい!
「あらためて、ハッピーハロウィン!」
おふくろの掛け声にそれぞれがグラスの飲み物を掲げる。
皆が飲み始めたのを見てバカバカしくなり、俺はその辺に置いてあったグラスを取り上げた。
泡の立つこれは、ジュースなのかお酒なのか。
それを一息に飲んで、立ち上がった。
「ど、どこ行くの、入江くん」
「着替える」
「え!」
「勘違いするな。カナッペを頭からかぶって汚れたから、家にある服に着替えて帰る。このままじゃ電車にも乗れない」
「なんだ〜」
おまえ、今俺が仮装するために着替えるとか思っただろ。
「お兄ちゃんの服は、ないわ」
おふくろが俺の前に立ちはだかった。
「…おい、まさか」
「ふふふ、そのまさかよ。ここであたしがちょっとジュースこぼすつもりでいたのに、ナイスだわ、琴子ちゃん」
なんてあくどい母親だ。
しかもよく見れば女王の仮装だ。似合いすぎて怖いぞ。
「じゃーん、お兄ちゃんの服はこれよ」
おふくろ、後で覚えてろよ。

「ね、ねえ、入江くん、よく似合ってるよ」
琴子は俺の格好を見て喜んでいる。
よく見たら、琴子は琴子で仮装していた。
ああ、全く気付かなかったな。
「どうかな、これ」
どうって、どうでもいい。
そう言えば琴子は落ち込む。
「不思議な国のアリスなの、これ」
アリス?あの好奇心旺盛で墓穴掘りまくりな子どもか。
「ああ、ぴったりだな」
琴子は俺の言葉の真意に気付かぬまま、その一言で今度は舞い上がる。
とにかく、汚れたままでいいと強引に帰ろうとした俺に、おふくろは言いだしたのだった。
「あら、強引に帰るの?これからマンションまで毎日通っちゃうわよ。そうねぇ、バイト先にも行こうかしら」
ただの嫌がらせだ。
普通の母親ならそれはただの脅しだろうが(いや、そもそもそんな脅しをかけるような母親はなかなかいないだろうが)、おふくろならやる。
「これを着ている間にちゃっちゃっと洗濯して乾かしてあげるわよ、ほら」
そんなふうに強引に押し付けられたその服は、ただのスーツだと思ったら。
「入江くん、それあたしとお揃い?魔法使いみたいだよね」
今気が付いた。
ということはこれはマッドハッタ―か。
裕樹のが白ウサギで(帽子が変だが)、おやじのがハンプティダンプティ。だからおふくろがハートの女王なのか。ハンプティダンプティは確か鏡の中のアリスだったはずだが…などと考えていると、まんまと罠にはまったことに気が付いた。
「ほら、こっち向いて〜」
「やめろ」
当たり前のようにカメラのフラッシュが光る。散々写真を撮ったらようやく満足したらしい。カメラを持ってウキウキとどこかへ行ってしまった。
「ふふ、入江くん、結局おばさまのこと心配だったんだよね」
「…裕樹とおまえだけじゃめしも食えねーだろ」
「またまたぁ」
だいたいあのおふくろが具合が悪くなるなんてこと、あるんだろうか。
どこかで嘘だと思いながら、一番最初に何を思ったのか。
琴子は俺を見上げてうれしそうに笑っている。
「と、とりっく…何だっけ」
「トリックオアトリート」
「ああ、そっか」
「で、おまえは何してくれるの」
「何を?」
「イタズラされるか、もてなしをするか、どっちか選べ」
「あたしがおもてなしするの?イタズラされるよりはいいけど。あ、でも入江くんならイタズラも別に…」
琴子の額に軽くデコピンして言った。
「おまえは!不用意なことを他の男の前で言うなよ」
「ふ、不用意?」
額をさすりながら首を傾げて、俺の言った意味はよくわかっていないようだ。
だいたいイタズラもきっと子どものような些細なものを考えているに違いない。
奥から乾燥の終わった音がした。
「…帰る」
「え、もう?」
「服も乾いた」
「あ、あの、じゃ、じゃあ、あの…」
「何だよ」
「今度は…いつ…。う、ううん、いいの。気を付けて帰ってね」
そう言って琴子はじっとただこちらを見るだけだ。
俺が帰るのが残念そうに見える。
琴子の顔を見ているうちに不意に思い出したことをもう一度記憶の奥底に押し込める。
今はまだ、思い出すときじゃない。
あの日、琴子の目は閉じられていたが、今は俺が帰る支度をするのを見つめている。
「イタズラなら、もうしたから」
「え、いつ?何を?ええっ、入江くん、待って!」
琴子の声を背中に聞きながら帰ることにした。

目を閉じていては何も見えない。
今はまだ。

(2016/10/30)07 視線で伝わる想い−Fin−