最近はいろいろと注文できるアクリルスタンドなどのグッズに当然のことながら自作できるうちわまで、ありとあらゆるものが推し活グッズとして世の中にはあふれかえっている。
そんな流行など自分に縁があるとも思っていなかったが、最近急に気になりだしたのだ。
悔しいことに、ファンクラブとかいう組織が持っていたアクリルスタンド、通称アクスタなるものを見てしまったのだ。
欲しい。
切実に言えば奪ってでも欲しいと思ってしまった。
ファンクラブ会員なら持っているいわば公式グッズに違いない。
そして、そのスタンドにあるその麗しい姿は今まで見たことがないものだった。
ファンクラブに入っておくべきだったか。
いや、僕の心はそんなファンなどというミーハーなものではなく、崇高な愛なのだ。
ノーブルでマーベラスな愛をその辺の凡百な好奇な目線と一緒にしてもらいたくはない。
うらやましいなら、もっとそれ以上に最高なものを作ればよい。
僕の持っている入江先生コレクションの中から珠玉の一枚を選んで自分で注文してしまえばいいのだ。
そうだ、それがいい。
「大蛇森先生、コーヒーはいかがですか」
「ああ、もらおうか」
これが入江先生だったら…。
脳神経外科の医局でちょっと休憩しようと寄ったら、若手の医局員が気を使ってコーヒーを淹れてくれたのだ。
まあ、これはこれで悪くないが、医局のコーヒーというものはいつの時代も飲めればいい色付きコーヒーのような泥水と言った感じだ。
もちろん普段ならこんなものは飲まないが、せっかく医局員が淹れてくれたものを断るのも悪いからね。
一口飲んで、以前飲んだものよりかなりマシだった。
あれはいつのことだったか、インスタントでもかなりひどいものだった。
それを思えばこれはまだ豆の味がする。
「おや、わざわざ僕のためにドリップコーヒーを淹れさせてしまったかな」
「い、いえ、たいしたものじゃなくてすみません」
このような若手がいるのだから、この医局も捨てたものじゃない。
今時の若手にしては気が利くじゃないか。
「いや、ありがとう。いい休憩だった」
そう言うと、何故か医局員が感動して泣いていた。
気分よく医局を出て病棟へ向かう。
明日の手術について確認しておこう。
常に患者のために全力で立ち向かう。
これこそきっと入江先生も心底私を尊敬するだろう仕事への姿勢だ。
あの適当に仕事をして患者を恐怖に陥れるどこかのちんちくりんとは比べ物にならないだろう。
まったく、あのちんちくりんときたらちょっと入江先生に情けをかけられただけのくせに付きまとうのだから、本当に図々しいことこの上なしだ。
病棟へ患者の様子を見に行くと、患者の枕元には複数のアクリルスタンドとキーホルダーと缶バッチが置いてあった。
「うわ、だ、大蛇森先生」
「明日の手術に向けて調子はどうかね」
「だ、大丈夫です」
「ところで、これは、君にとって大事なものかね」
「えっと…その、手術を受けるので、友だちが元気を出すようにってレアをゲットしてくれて。うれしかったのでたくさん並べてしまって…すみません」
「いや、いいんだ。手術はもちろん成功するように手を尽くすのでそれほど心配はいらない」
「ありがとうございます!」
「いや、お礼はまだ早い」
「あ、その、お、お願いします!」
「今日はゆっくり休みたまえ」
「はいっ」
ふむ。あんな下品な漫画の人物ではなく、もっと麗しいものにすればよいだろうに。
まあ、手術前のモチベーションを上げるものと考えればそれも仕方がないか。
生命力は全てにおいて時には医者の治療などよりも大事なものだからな。
それにしてもあれを入江先生の写真に替えれば、机の上に常に入江先生が立っているように見えるのか。
なるほど。
これは一考に値するかもしれない。
* * *
手術が終わって、あれこれと指示を出した後、どうしても昨日から頭から離れないものについて検討することにした。
いや、もちろん手術は成功している。
この私が執刀したのだから当たり前だ。
思わずオリジナルアクリルスタンドを作成する会社に見入ってしまう。
ここはクオリティが高くて購入者の評価も高い。
ここはアクリルスタンドだけではなくアクリルキーホルダーもセットで注文するとお得…。
こちらは缶バッチまでつけて…。
いや、缶バッチは止めておこうか…。
「大蛇森先生?」
ふと気づくと、いくら休憩中とはいえまだ就業時間中の病院の中でこのようなものを検索とは、この大蛇森、少し腑抜けているか。
そして、この麗しい呼びかけは!
「入江先生、どうしましたか」
「休憩中に申し訳ありません。先日紹介させていただいた転移性脳腫瘍の患者について丁寧な診療とご報告をありがとうございました」
さすが入江先生。
既に丁寧なお礼の返書までいただいているというのに、こうして直接のお礼まで、
こういう診療に対する真摯な態度が好ましい。
「こちらこそ貴重な症例をありがとう」
「これで方針が決まりましたのでお礼とご報告をと」
「それなら、今度…」
「入江先生!」
「…では、また何か症例がありましたらその節はよろしくお願いいたします」
「あ…」
さらりと挨拶をして去っていく麗しの君…。
名残惜しいが、ここで追いすがるのも美しくない。
そして、もっと美しくない声が…。
「休憩中まで大蛇森…先生と話さなければならないなんて大変ね、入江くん」
お前と話さなければならない入江先生のほうが大変だろうが、このちんちくりん!
知性の欠片もないような中身のない薄っぺらな会話に隅から隅まで知識に埋め尽くされた美の巨匠である入江先生を巻き込むな!腐った目の視界に入れるな!尊いお姿の目の前に立つな!ちんちくりんな醜い姿をさらすな!
ああ、ダメだ。
この憤りを解消するためには更なる清めが必要だ。
僕の胸元には麗しの入江先生(写真)が控えてはいるが、やや立体感に欠ける。
やはりお気に入りの写真で注文してみよう。
* * *
素晴らしいではないか。
まさにエクセレント!
厳選した入江先生の写真で作ったアクリルスタンドは想像以上に素晴らしい出来だった。
三日三晩かけて業者を選定して写真を選んだ甲斐があった。
講師室の机の上に並べてみた。
凛々しいその姿を見るだけで仕事に精が出そうだ。
いや、眺めすぎてはかえって仕事が滞ったりしないかという懸念もあるが。
「大蛇森せ…」
講師室に入ってきた医局員が何故か固まっている。
「…何かね?」
入江先生(のアクリルスタンド)との大切な時間を邪魔されて、つい声が尖ってしまう。
「あ、いえ…。こちらの書類を医療事務の方から預かりましたのでお渡しいたします」
「ああ、今月のレセか。わかった」
(作者注:レセ→レセプト:診療報酬明細書、行った医療に対して診療上必要であるが決められた薬剤、日数、使用法等で一般的な枠からはみ出した部分について、認めてもらうために医師からのコメントを書き込むことがあります。これを怠ると保険上認めてもらえずに病院持ち出しとなる場合があります)
診療報酬に関わるこれも大事な仕事だ。
疎かにしては病院にとっての損失。延いては自分への損失となるのだ。
医局員から書類を預かり、もう一度入江先生アクリルスタンドを眺める。
うん、素晴らしい。
何度見ても飽きない。
振り返って医局員に「どうだね、この…」アクリルスタンドの出来はと言おうとしたが、既にいなかった。
この素晴らしさを分かち合うことができず残念だ。
テレビでアイドルを追いかける人の特集を見ていたら、自分の好きな何かを集中して応援したりすることを推し活というらしい。
自分の好きな対象を推しというのも初めて知った。
いわばライフワークというわけだ。
もちろん僕のライフワークは仕事でもあるわけだけど、入江先生を常に推すこともライフワークの一つと言えるだろうね。
アクリルスタンドが良い出来だったので、同じ会社にアクリルキーも注文してみた。
これを院内携帯のストラップに一緒に付けてみた。
煩わしい院内携帯の連絡も、これで少しは和んで穏やかに受け答えができるような気がするよ。
廊下を病棟に向かって歩いていたら、院内携帯に電話がかかってきた。
仕方がないので廊下の端により、電話に出ることになった。
電話を取り出すたびに入江先生が揺れている。
なんて完璧な造作。
「あ、なんで先生が入江先生グッズ持ってるんですか!創造権侵害ですよ!」
何故あの声が聞こえたのだろう。
携帯での会話を終えると、聞きたくもない声が聞こえてきた。
非常に残念だ。
「あーなんでしょうね、この頭の残念な性別女というだけの生き物は」
「あたしですら持ってないのに!」
そう言ってアクリルキーホルダーを指差す。
「グッズの注文の仕方もわからない鳥頭に作る財力もない貧乏人はさっさと散りなさい。しっしっ」
「ひっどーい!あたしだってそれなりに稼いでいますよーだ」
そう言いながらも僕のアクリルキーホルダーを嘗め回すようにして見てくる。
「そのいやらしい目で見られたら、せっかくの推し活グッズも穢れてしまうじゃないですか」
「そもそもそのグッズだって入江くんに承諾得ていないニセモノじゃないの。
あたしなんて公式アクスタ持ってるんだから」
公式…。
「…くっ」
思わず呻いてしまった。
それを知ってちんちくりんは勝ち誇ったように高笑いしだした。
「ほっほっほっほっ」
なんて頭の悪い笑い方だ。
この屈辱は、決して忘れないし、ここで終わらせる僕ではない。
高笑いできるのも今のうちだ。
僕は医局で一人の医局員を捕まえた。
いつも僕にコーヒーを淹れてくれたり、書類を持ってきてくれたりする医局員だ。
「ああ、君。ちょっと入江先生の公式ファンクラブに入会してみたくないか?」
「ええっと、いや、別に…」
何故そこで言い淀む?
「入会、してみたいよね?」
「う…」
あの素晴らしい入江先生のファンクラブだ。
僕が入会してもいいんだが、高名な医師の僕が入会してしまうと、気を使わせてしまうからね。
医局員は目をきょろきょろとさせながら意を決したように言った。
「入会…したいです…」
「そうだよねぇ。入江先生は医師としても素晴らしい方だからね。さあ、早速外科病棟のナース、桔梗くんの所へ行って早速今年の公式グッズアクリルスタンドをゲットしてきたまえ」
「はい…」
医局員は走っていった。
余程感銘を受けたらしい。
しばらくして戻ってきた彼は、手にしっかりとアクリルスタンドを持っていた。
「だ、大蛇森先生、こ、これ」
「これがどうしたんだね?」
若干息を切らしながら戻ってきた医局員は言った。
「よかったら、大蛇森先生に、と思って」
ああ、なんていい医局員を持ったのだろう。
「入会特典じゃないのかね?」
「あの、今回は特別に大蛇森先生にならと」
「ほほう。僕に」
「ええ。ど、どうぞ」
そう言って入江先生のアクリルスタンドを差し出してくれた。
「感激だ!何て素晴らしい!では、遠慮なくいただくよ。好意を無碍にしても悪いからね。
ありがとう!」
僕は部下だからと言ってお礼を疎かにはしないつもりだ。
今度は彼に良いワインでも差し入れようじゃないか。
受け取ったファンクラブ公式グッズであるアクリルスタンドを見れば見るほど出来はかなり良かった。
このクオリティは…。
む…パンダイか…!
そして元になった写真も素晴らしい。
まさにエクセレント!
立ち姿といい私服姿といい、この角度で全身の写真を用意できるのは、もしかしてあの御母堂の…。
さすがはパンダイ社長夫人、見る目が確かだ。
悔しいが、これは認めざるを得ない。
しかし、公式ファンクラブとは…なかなか侮れない。
それでも僕はここに宣言しよう!
僕の入江先生への愛は誰とも比べられない至高の愛だ、と。
たとえ入江先生ならその影すらも愛おしいし、彼が踏んだならば犬の〇んこすらも同じように踏んでみせよう。
何なら僕の愛犬テレジア・エリザベス・エカテリーナの〇んこを賭けてもいい。
いや、そんなもん賭けなくていい。
隣でそんな大蛇森を見ながら、そこは踏むんじゃなくて自分のハンカチで拭ってさしあげるのが推しへの愛ではなかろうかと突っ込むべきか悩む医局員の姿があったという。
大蛇森の推し活は続く…。
(2026/04/20)