溺愛コンボ
「さ、最近の漫画って、す、すごいのね」
そう言いながら顔を赤らめた既婚者。
どんなウブなのよ。
昔風で言うカマトト?ぶりっ子?あざとい?
カマトトって何よって感じ。(作者注:うぶのように知らないふりをすること、です。語源は蒲鉾がトト〈魚〉でできているのかと当たり前のことを知らない風に聞くことから、らしい)
どうでもいいけど、もっとすごいことしてるんでしょ、現実は。
ああ、もしかして、自分がされた凄いこと思い出しちゃってるとか?
「いや、あんたが顔を赤らめるってどうなのよ」
一応突っ込んでおいた。
「だ、だって、こ、こんなの、少女漫画で読んだことなかったわ!」
確かに区分は少女漫画だけれども、最近の流行はちょっと大人風味が加味されたものが人気よね。
まあ、なんと言うか、すぐにイタしてしまう系の。
なんか前にもあったわね、こんな会話。
ああ、ほら、ティーンズラブ貸した時だっけ。
「すぐにそこら中でチュッチュッしてる夫婦が何言ってんのよ」
「そこら中でって、そ、そ、そんなこと」
してるわよ、してるわよ、所かまわず見せつけるように!
「で、でも、入江くん、普段は冷たいっていうか、こんな溺愛モードに入ったことないし」
あんたがそれ言いますか。
あんたが自覚ないだけで、入江さんは溺愛モードに入ったが最後、周囲のことはどうでもよくなるタイプなのよっ。
声を大にして言いたいわ。
あんたは、溺愛、されてるでしょうが!
ちょっとだけぷりぷりとしながらアタシはラテを飲んだ。
性別男なアタシがこんなふうにお茶させてくれるのは、アタシが女友だち枠だからなのよ。
そこんところわかってるの?
あの入江さんを悩殺したいとかわけのわからないことを言って呼び出されたのは、つい先日のこと。
はっきり言うわ。
あんたが悩殺って、なにをどうしたらそうなるのよ。
いわゆる美魔女とかでもあるまいし。
年とっても変わらなさそうなその顔は腹が立つくらい艶々してるけどぉ。
美人…ではないわね。
それを言うなら並んで歩いて美人と言われるのはこのアタシの方。
色気があると言ったら真里奈。
かわいい天使のようなと言えば智子。
琴子は憎めない愛嬌のある顔であって、まあ割と普通。
でも、一般人にモテるのは得てしてこういうタイプなのよね。
なんというか、毒にならなさそうな親しみやすそうな人柄。
割といつもにこにこしてて、元気で、怒るときも笑うときも目一杯表情を変える。
時々あまりにも…そう、普通の人が考え付かないようなこともやってくれるけど、それすらも魅力的に見えてしまうタイプ。
あらやだ、褒めすぎかしら。
「これが溺愛…」
そう言って顔を赤らめながらかぶりつきで少女漫画という名のイタしてしまう系の漫画を読んでいる。
今時小学生向けの漫画だって時には過激なものもあるというのに。
まあ、それに関してはアタシもちょっと思うところはあるけどぉ。
ま、そんな教育論じみたことは欲望の前にはどうでもいいことよね。
「あー、もう、貸してあげるから」
そういうアタシも真里奈に借りたんだっけ。
「あ、あ、あたしもこんなふうに言われて甘やかされてみたい〜」
どの口がっ!
ええい、もう、またこの漫画が見つかってあれこれ意地悪されるがいいわっ。
「あ、借りるのはやめておく」
「なんでよ」
「だって、これ真里奈のでしょ。見つかってポイされたら気の毒じゃない」
あ、そういう危機感はあるのね。
「それに、わざと船津さんに渡されて変な溺愛モードの入った船津さんに追いかけられたら大変かも」
「…それも面白そうだけど」
「だって、今度また当直とか代わってもらうかもしれないし」
「なかなか計算高いわね」
ま、いいでしょう。
悩殺はともかく、溺愛ならしてくれると思うわよ。
どうせ今日のお茶の内容も入江さんに報告…。
…あらやだ、そう考えると入江さんって過保護。
お茶くらい勝手にすればいいって言いつつ、最近の変なモードに入った琴子の様子が気になるから何かあったら早めに教えてほしいって。
入江さんも苦労するわね。
斜め上モードを発揮される前に備えるなんて。
えーと、明日のシフトは…この子は休みだからどうとでもなるでしょ。
出てきた時の様子でどうなったかは一目瞭然だろうし。
まあ、一日あれば何とか仕事はできるでしょう。
あ、その辺は入江さんにくぎを刺しておかなけりゃ。
あー、でもまた見せつけがてら小鹿状態になってたらどうしましょう。
悩殺云々言ってたおバカな看護師たちがその状態を必ず見るわけじゃないんだから。
そこのところは本当に気を付けてもらわなくちゃ。
アタシは別に琴子のマネージャーでも何でもないのよ。
どちらかと言うと入江さんの愛がほしいのよ。
全くもう。
惚れた弱味ね…。
* * *
「あの、入江先生。確かに動けるようにしてくれって言いましたけど、これじゃ仕事にならないんですけど」
入江先生は背中で琴子の視線を受け止めながら不気味な笑い声に耳を澄ませたけど、そのまま無表情のままナースステーションを去っていった。
どうしてこうもクールなのよ!
あ〜ん、もうそこがたまんないんだけどもぉ。
そうして後に残ったのは、正直不気味なふふふ笑いをした使い物にならない琴子だけ。
「入江くんってば、入江くんってば…ふふふうふふふ…」
何があったのか聞いたが最後な気がして、誰もその状態に触れない。
さすがに清水主任さえもあえて触れずに眉間にしわを寄せたままだ。
以前初めて贈られたプレゼントの指輪でやらかしたから。
いつもならいつまで腑抜けているのかと叱り飛ばすのだろうけど、今ここで触れてしまったら、何か独身には聞いてはいけないような何かがその口から飛び出してきそうな感じがする。
勇気ある誰かにはなりたくないのだ。
「やあ、琴子ちゃん、ご機嫌だねぇ」
ヤバ、キタ、最初の犠牲者。
何でいつもこうタイミングよく(?)墓穴を掘りに来るのかしら。
「聞いてくれます〜?」
その瞬間、ナースステーションからさーっと人が引いたのは言うまでもない。
とかいうアタシもさっさとその場から去ることにした。
いったい入江さん、何してくれたのよ?
知りたいけど、知りたくない。
「入江くんったら…」
お気の毒というよりただのおバカな西垣先生(これでも一応は腕のいい入江先生の指導医)は、逃げられずに琴子のただののろけを延々と聞かされることになるのだ。
時折聞こえる溺愛の言葉は、当分聞きたくないわね。
入江さんが琴子にどんな愛の言葉をささげたのかなんて、たとえ琴子による盛大な拡大解釈にしろ仕事中の今は聞きたくないわね。
せめて、せめて休憩時間中にして!
西垣先生も引き気味なその様を遠くに眺めながら、アタシたちはそっと息を吐く。
犠牲になってくれてありがとう、西垣先生。
女の患者さんたちが興味深そうにナースステーションのほうをのぞいているけど、男の患者さんたちはろくでもない話を聞いて後で入江先生のとばっちりを受けたらたまらないので、なんとなく遠巻きにして聞こえないふりをしている。
「桔梗さん、入江さん夫婦って、あれよね」
入退院歴も長い患者さんが淡々と言った。
「自覚のない超絶迷惑なバカップル」
「今はバカップルも言わないんじゃなぁい?」
「バカップル以外言いようがないんだもの。それにさ、よくよく聞いたら、あの言葉のどこが溺愛の証拠なんだか不思議なんだけど」
「あの二人以外にわかるわけないでしょ」
「でも桔梗さん、入江先生って相当マニアック?」
「あら、それがたまんない魅力なのよ。長年傍で観察してるアタシにはわかるわ。他の人には絶対に言わない(多分)愛のある言葉の数々を琴子にだけ捧げる入江先生の(ひねくれた)愛を」
「なんか含みのある言い方なんだけど」
そう会話していたら、急にナースステーションから大声が響いた。
「それのどこが溺愛なんだよ!琴子ちゃんおかしいよ!もっとこう、溺愛ってのは甘〜い言葉をこれでもかと捧げて相手を溺れさすのが溺愛で、琴子ちゃんのはただの出来合い定食だよ!」
…なんかうまいこと言った俺、みたいに鼻息を荒くしてる西垣先生の言葉でナースステーション周辺がしんと静まり返る。
「だって、入江くんにそんな言葉を言われたら…」
「言われたら?」
「あたし、死んじゃう」
その言葉があまりにも切実だったせいなのか、ごくりと誰かが息をのんだ。
でもよく考えて?騙されちゃだめよ。
「琴子」
静まったナースステーションに響く声に、思わずその場にいた誰もが肩を震わした。
「はいっ」
即座に良い返事を返す琴子。小学生か。
「真崎さんのガーゼ交換に行くぞ」
「はいっ!」
それを眺めてナースステーションの窓口にもたれながら患者が言った。
「わっかりにくい溺愛」
「…そう?」
アタシはその患者に笑って返したら、患者はどや顔で言った。
「ステルス溺愛ね」
「ステルス…」
若者の言葉が最近よくわからないわ、アタシ。
「こう、潜んでいきなり浮上」
「潜水艦か!」
「先制攻撃も得意みたいだし」
「あー…否定しないわ。でも甘いわね」
「えー、どうしてですか」
「入江先生の真骨頂は…」
「しんこっちょう…?」
最近の若者は…。
あら嫌だ。その辺のおばさま方と一緒のこと言ってるわ。
「とにかく、油断したところにこれでもかと琴子を甘やかすところにあるのよ」
「甘やかしてるの見たことありませんけどねー」
「そりゃそうでしょ。そんなあからさまに甘やかしたら琴子がつけあがるじゃない」
「うえ、そんなわかりにくい溺愛嫌だ」
「でも琴子の凄いところは、そんな溺愛もちゃんと変換してポジティブに受け止めてるってところよね」
「それのどこが溺愛なんですか!」
某すちゃらか先生と一緒の感想を解き放った患者は「入江先生サイテー」とまで言い放っている。
「ということは、ステルス溺愛コンボということに…?」
なんだかわけがわからなくなってきたのに加え、アタシの業務も一区切りついたので片付けに入る。
患者は帰ってきた琴子を捕まえ、ステルス溺愛コンボってどんな感じ?と琴子には理解できない言葉を吐いている。
ちなみにその当事者は…。
「吸ってる出来合い棍棒…????」
というこれまた独特の解釈を加えてナースステーションを再起不能に陥らせたのだった。
(2024/09/12)