鬼になる後輩





小児科に繋がる廊下の掲示板を見ながら僕は立ち止まった。一つのお知らせの貼り紙だ。
何と言ってもここは病院だからね。
災いを追い出すってのはいい考えだと思う。
代わりに福が舞い込んでくるのかどうかはわからないけどさ、少なくとも悪くない考えだ。
そんなことを思っていると、やけに難しい顔をした後輩が立っていた。
とある病室の前で少しだけ思案顔だ。
おや、珍しいこともあるものだと、僕は声をかけた。
「なになに、珍しく悩み事?」
「……」
それには答えずに目の前の病室に入っていく。
この病室の入口に患者のネームはない。
シークレットだったけ?この患者。
一人の初老の患者がベッドから起き上がっていた。
入った途端に後輩はどこに行ったのかと思えば、相変わらず病室の壁に背中を預けて張り付いている。

「受けましょう」

あ、やっぱり依頼なわけね。
僕は当然のような顔をして病室の中にいたのだけど、依頼人はそこを突っ込んできた。

「ところでこちらの方は」
「では報酬の振り込みを確認次第仕事に取り掛かることにします」

あ、さらっと無視したね。
しかも余計な詮索はするなとばかりにいままさに懐に手を入れたよね。その手にはメスが握られちゃったりしてるんだよね。
いいんだよ、僕のことは別にシークレットでも何でもないんだから。

「どうでもいいことに答える義務はない」

エスパーのように僕の心の声に答えた。

「そうですね。すみません」

依頼人はあっさりと引いた。
それが長生きのコツだと僕も思うから、あえて口に出してツッコミはしないけどさ。

「すぐにスイス銀行に振り込みをします」

依頼人とはたったそれだけ。
翌日になるとそのシークレット患者はいなくなっていた。
師長に聞くと、そんな患者いたかしら?だって。
じゃあ一体誰に例の座薬を突っ込むんだ?


その数日後のことだった。
何やら騒がしいと思ったら、例の貼り紙のお知らせは今日だったのだ。
思わず気になって廊下の先の遊戯室に行ってみた。
そこには小児科の患児たちが集まっていた。
何やらわくわくした顔で手に升のような折り紙を持っている。
その升の中には多分豆、なんだろうな。
「さあ、鬼が来ましたよ〜」
何故かそこにいる琴子ちゃん。
「鬼?どこに?」
きょろきょろしている僕に、琴子ちゃんはすかさずすぽっと何かをかぶせた。
お面?お面なの?
鬼って、もしかして僕?
疑問を口にする余裕もなく始まった!
「さあ、大きな声で〜」
琴子ちゃんの声で何かが降ってきた!
「鬼は〜外〜!」
「や、やめろ―――!」
容赦なく降ってくる豆。
僕は鬼さながらに逃げ出すことにした。
半分演技で半分本気だ。
「痛い!痛いってば」
本気で痛いよ、これ。
患児たちが鬼のように豆をぶつけてくる。
「鬼はー外ー!」
「鬼は外ー!」
「鬼は外!」
「鬼は外!鬼は外!」
面白がって幾人もの患児がこれでもかと豆をぶつけてくる。
その升じゃそれほど豆なんて入らないだろ?!どこから調達してくるんだよ!
しかも鬼は僕だけか?!
今や豆でトルネードができるくらいだ。
しかもよく見れば豆は患児だけではなく、職員も喜々として豆を投げつけている。他ならぬ僕に向かって、だ。
福の神はどこにいるんだよ?
僕が集中的に痛がっている最中、僕は見た。
廊下の向こうからきらりと光る何かを。
その何かは琴子ちゃんの手前にいる患児に向かって消えた。
ど、どういうこと?
僕はぶつけられる豆に追い立てられるようにして廊下を曲がった。
僕が頭に疑問符を山ほど浮かべていたその時、アーマ何ちゃらをしまう後輩がいた。

「M16アーマライト」

氷のように冷たい声で訂正された。
「豆まきに乗じてお孫さんに座薬を入れてほしいという依頼だったんですよ」
さも面倒そうに説明する後輩。
ふむふむなるほど。
そう言えば以前パジャマを透かして入れる技術があったな。あれの応用か。
「ところで僕が行かなかったら豆まきの鬼はどうしたんだろうね」
ふっと後輩は笑う。
「そこまで全部計算済みです」
「へ?僕が行かないことが?」
「いえ。あなたがふらふらと鬼になるべくして小児科を訪れるまでが、です」
「もしかして、あの貼り紙を見たところから…とか言う?」
「当然です」
なんだよ、それ、おまえは予知能力者か、千里眼か!
「ああ、ここにまだ弾丸が残っているようですが」
そう言ってジャキッと音をさせる。
「や、やめろよ!」
その瞬間、その御自慢のアーマ何ちゃらから飛び出す何か。
「いてっ、いてっってば」
無数の豆だった。
「どうぞ歳の数だけ召しあがってください」
「む、無理だってば」
お尻に突き刺さるかのように豆がぶつかる。
気が付くと、豆の嵐は止んでいて、僕のお尻は悲鳴を上げていた。


「ああ、入江くん、こんなところに!」
琴子ちゃんがやってきた。
「さあ、鬼のようにあたしを愛して!」
「もちろんだ」
ぶっちゅーっと琴子ちゃんは熱烈なキスをして、手近な当直室へと消えていく。

「愛の福は内!」

琴子ちゃんの歓喜の声が聞こえた。
鬼なんだか福なんだかどっちだよ!

「愛の恵方巻!」

ぶっ!!
僕は痛む尻を抱えてつい扉を振り返った。

う、うらやましい…。

ええい、僕だって正真正銘ちゃんとした恵方巻を食べてやるからな!
そう思ったところでまだ鬼のお面をかぶっていることに気が付いた。

「キャ――――!鬼の変装をした不審者が!」

「え、いや、ちょっと待って。これただのお面だから!今日は節分だから!」

…結果として、僕はお面をかぶったまま警備室に連れていかれることになった。
何と言うかこのお面、かぶっている僕は気づかなかったけど、相当精巧な作りらしい。
そりゃ患児が必死な顔して豆をぶつけてくるわけだよね。
おまけに職員の必死な顔も不審者退治ってところか。
小児科では鬼を退治したってんで、患児の親からはこれで病気も治ると大評判だったらしい。
ああ、そうかい。
僕のうちにも福…来てくれないかな。

(2016/02/02)