推し活をする大蛇森先生



普段医局には寄らず、真っ直ぐ講師室に直行する大蛇森先生が、何故か医局にやってきた。
途端に医局員に緊張が走る。
ゆっくり、こっそり、くつろいでいたはずの医局員がいつの間にか消えている。
しまった、逃げ遅れたと思ったのもつかの間、激しく似合わない大蛇森先生がよれよれのソファに座っている。
いつも家の中もピシッとしていて、こんなよれよれのソファなんて座らないであろう大蛇森先生が、そこにいるというだけで周りに緊張感を漂わせる存在だ。
お前が行けよという押し合いの末、(大蛇森好みだろうと思われる)若手医局員に一番マシなコーヒーを押し付けて持たせる。
目線で行ってこいと言われ、若手医局員が緊張感に満ちた様子で大蛇森先生に声をかける。

「大蛇森先生、コーヒーはいかがですか」
「ああ、もらおうか」

もらうんだ!

医局の中で衝撃が走った。
まさか飲むとは思わなかった。
なにせ医局のコーヒーと言えば、色がついてるだけマシ、な部類のコーヒーなのだ。
もちろん慌てて一つだけ残っていたいつもらったのか定かでないカップでドリップするコーヒーを見つけたので、それを淹れてみた。
でもド素人でコーヒーの味もよくわかっていない医局員が適当にいれたコーヒーだ。
一口飲んでこれは飲めないとやめてしまうに違いない。
そう思っていた。

「おや、わざわざ私のためにドリップコーヒーを淹れさせてしまったかな」

なんと、さすが味のわかる人だ。

「い、いえ、たいしたものじゃなくてすみません」

ちょっと感動と震えで小さく答える。

「いや、ありがとう。いい休憩だった」

そう答えて大蛇森先生は医局を去っていった。
よかった。粗相しなくて。
というか、思ったよりいい人だ。
噂ではかなりの変態でこだわりが強く神経質で、あとなんだっけ…。

「よかったな、餌食にならなくて」

ぽんと肩を叩かれる若手医局員はわけもわからずほっとしている。
そうだった。
イケメンに目がないんだった。
いや、俺イケメン枠だったのか。
喜んでいいのか、恐怖に震えるべきか。
イケメンと言えば外科の入江先生に執心していたっけ。
あれ?入江先生って既婚者じゃなかったっけ。

「入江先生って、確か結婚してたよな」

若手医局員がそうつぶやくと、いつの間にか戻ってきた同僚が言った。

「大蛇森先生曰く、あれは大いなる取り違え、気の迷い、奥さんによる強引な脅迫まがいの強制婚だとか」
「…あ、そう…」

そんなわけないとは思うが、まあ、大蛇森先生だしな。
美女じゃなくてイケメンが好きで、その中でもあの入江先生が好きで、既婚者なのに諦めが悪くて、入江先生の奥さんを目の敵にしていて、なんだか知らないけどやたらとあのくるんとしたもみあげが気になる…とこれはどうでもよかったか。

「身の危険を選ぶか、出世を選ぶか、難しいところだよな」
「そんなところで悩んでない!」

すかさず言い返したが、大蛇森先生の変態度は更に増した。
いつの間にか机の上にアクスタが並ぶようになったのだ。
しかも、全部入江先生。
いったいどこから写真を入手したのか。
そもそもどこかで作ったのか!?
アクキーまで携帯電話ストラップにぶら下がっている。
初めはいったい何のアニメにはまったんだっていう噂だったけど、あの大蛇森先生がそんなものにはまるはずががない、という医局員の予想通り、そのすべてのグッズが大蛇森先生による私的作成入江先生グッズだったのだ。
いや、これって肖像権とかどうなってるの。
入江先生の人権は…。
でもまさか机の上に大量に並んでいるなんて当の本人にも言えなくて、脳外科の医局員は他の科の先生たちの好奇心による追及にも口をつぐんだ。
うっかり口走って脳外科全体の評価にも関わることだし。
新しい医局員が入らなくなると本当に困るし。
おかしい。
脳外科はエリート集団と聞いていたのに。
いや、確かに難しい手術も難なくこなす先生方はすごいと思う。間違いなくエリート医師だ。
なのに。
なのに、なんでいち医師のアクスタを机の上に並べるような上司と仕事をしなければならないんだ!
しかも自作。
アクキーまで作って密かに笑うとかどんな趣味?!
推し活を止める気はない。
ないけども、なんでそれが入江先生なんだ?!
確かに入江先生は素晴らしい医師だと思う。
思うけども、これなら他の美少女アニメの推し活だと言われたほうがどれだけ気が楽なことか。

甲高い声が聞こえてきた。

「あ、なんで先生が入江先生グッズ持ってるんですか!創造権侵害ですよ!」

しょ、肖像権の間違いですよね…?

「あーなんでしょうね、この頭の残念な性別女というだけの生き物は」
「あたしですら持ってないのに!」

よく見たら、あれは入江先生の奥さんだ。
奥さんなのにグッズを持っていないとはいったい…。

「グッズの注文の仕方もわからない鳥頭に作る財力もない貧乏人はさっさと散りなさい。しっしっ」
「ひっどーい!あたしだってそれなりに稼いでいますよーだ」

いや、ツッコむところそこ?

「そのいやらしい目で見られたら、せっかくの推し活グッズも穢れてしまうじゃないですか」
「そもそもそのグッズだって入江くんに承諾得ていないニセモノじゃないの。
あたしなんて公式アクスタ持ってるんだから」

公式…。
いや、一般医師にそんなものがあるのか?

「…くっ」

あ、言い負かされた。

「ほっほっほっほっ」

高笑いをして入江先生の奥さんは帰っていった。
いったい何をしに来たんだろう。

大蛇森先生はくるりと振り返って言った。

「ああ、君。ちょっと入江先生の公式ファンクラブに入会してみたくないか?」
「ええっと、いや、別に…」
「入会、してみたいよね?」
「う…」

他の医局員は誰もが目をそらす。
誰か…誰か助けてくれ…。

「入会…したいです…」
「そうだよねぇ。入江先生は医師としても素晴らしい方だからね。さあ、早速外科病棟のナース、桔梗くんの所へ行って早速今年の公式グッズアクリルスタンドをゲットしてきたまえ」
「はい…」

そして、そのグッズはよかったらお譲りしましょうか、という建前のもとに大蛇森先生の手に渡るわけですね。


その日、桔梗幹の元には入江直樹黙認ファンクラブにぜひとも入会させてくれという必死な若手脳外科医局員がやってきた挙句、アクスタを懇願してきたが、もう今年のグッズ配布は終わったというと崩れ落ちたので、必死過ぎて気の毒になり、他の皆には内緒という約束でアクスタを譲った。
なんとその新規入会者はアクスタを手に入れた途端大号泣したという。
後にも先にもあれほど熱心な男のファンは見たことがない、と桔梗幹は語った。
ちなみに男の会員も結構いるので問題はない。

なお、若手医局員はこれ以上の接触をしないように地方病院への出向を選んだという。

(2026/04/14)