remember a snowy day
玄関へ出ると、そこは一面の雪景色だった。
大きな雪の欠片が次から次へと降ってきて、どんどん雪を深くしていく。
タクシーも来ない。
もっと言うと、先ほど電車も止まったとテレビでやっていた。
琴子は呆然と雪景色を見つめる。
「…どうしよう」
寒いので玄関のロビーへと引き返し、仮眠室へ向かった。
仮眠室はすでに超満員。
琴子は仕事が残って遅れていたせいで、早い者勝ちレースに参戦すらできる状態ではなかったのだ。
残っているのは病院で今なお働く夜勤者のみ。
全てに乗り遅れ、琴子は朝までこのままロビーで過ごす覚悟だった。
「ま、凍死することはないわよね」
どこからか調達した新聞紙を広げた。
「まるで神戸駅での俺だな」
上から響いた声に驚いて、新聞紙をがさがさ音を立てて落とした。
「…大事な新聞紙が落ちたぞ」
「入江くん、いたの?」
「俺もさっき医局を出たところだよ」
「この雪じゃ帰れないわよね…」
直樹はロビーから見える白い雪を眺めた。
「…あそこしかねぇか」
ため息を一つつくと、琴子について来いと促した。
「ど、どこに行くの?」
さっさと歩く直樹の後ろを歩きながら、琴子はきょろきょろと辺りを見回す。
「このまま行くと霊安室…」
自分で言った言葉にぶるっと震えた。
直樹の服の裾をぎゅっと握り、遅れがちだった足を速めた。
霊安室を通り過ぎたところで、何の部屋だかわからない扉。
直樹はためらわずにそこを開けた。
部屋は真っ暗だったが、狭い部屋の中にベッドが一つ。
「えー、入江くん、何でこんなところ知ってるの」
直樹はにやっと笑って答えた。
「霊安室を利用する家族のための部屋だよ」
「え、じゃあ、誰か来たらどうするの」
「普通すぐに帰るだろ」
「それはそうだけど」
「今まで何度か使ったけど、誰も来たことはないよ」
「えー、でもぉ」
直樹はさっさとコートを脱ぎ、ベッドに潜り込む。
「寒いんだから早く来いよ」
直樹の言葉にギクシャクしながらコートを脱いだ。
「…ヘンなことしないわよね」
「…何だよ、ヘンなことって」
「…ぃぃ」
暗い部屋の中、琴子はそっと直樹の隣に潜り込んだ。
狭いベッドの中で直樹に背を向けていると、後ろからいつものように抱きしめられた。
その腕に手を絡ませてつぶやく。
「なんだか、バレンタインのときの雪の日を思い出すなぁ」
「ああ、おまえが胃痛で倒れた日ね」
おかしそうに直樹が言う。
「…まあ、そうだけど」
むっとしながら琴子は言葉を返した。
「ねえ、あの時、入江くんはどんな気持ちだったの」
琴子の言葉にしばしの無言。
「言ったとおりだよ」
「だって、お義母さんの策略にはまりたくないって」
「だから」
「…だから?」
「おふくろの罠じゃなかったら…」
無言で琴子を抱きしめる。
伝わったのか、伝わらないのか、直樹が確かめるまでもなく、聞こえてくる寝息。
「…どうしてこいつは…」
苦笑しながら、抱きしめた身体の温かさに酔いしれる。
さっさと寝てくれて助かった反面、少しもどかしい気持ち。
あの頃と変わらない想い。
あの時は、こんな風に抱きしめることはできなかったけれど。
「おやすみ」
冷えた耳元を自分の吐息で覆う。
あの頃よりももっとそばにいる喜び。
あの頃よりもずっと大切にしたい気持ち。
音の消えた静かな雪の世界でただ二人だけのような錯覚。
それがおまえとじゃなきゃダメだなんて。
「信じられねーよな」
つぶやきながら眠りに落ちる。
そんな雪の日。
remember a snowy day−Fin−(2006/08/26)