恋愛シュミレーション
「えーと、教室で待ち伏せる、っと」
ポンと軽い音がして、画面が変わる。
大画面を前にブツブツと独り言を言いながらゲームに興じる琴子の姿があった。
「えー、どうして〜〜」
独り言にしてはかなり大きい。
日曜の昼下がり、二人して仕事が休みになった珍しい休日だというのに、琴子はゲームに夢中だ。
そのそばで医学雑誌を広げて、静かな午後を満喫しようと思ったのは、どう考えてもいつもの通り無謀なのは間違いない。
息を吐きながら、ちらりと画面に目を向けると、大画面に顔をしかめた男キャラが映っていた。
どうやら琴子は今流行のシュミレーションゲームをしているようで、このソフトも父が経営する会社から流行に乗るようにして出されたそんなゲームの一つらしい。
直樹はいわゆる恋愛シュミレーションゲームには全く興味がなかった。
恋愛ごとには疎い男だったが、ゲームではキャラの行動が決まっているので、それに沿って従えば、ある程度の親密さをあげることもできるし、最終的には女性キャラを全員落とすことも可能だった。
「何で親密さが下がっちゃうの〜?」
琴子はどう見ても一番攻略難な相手から挑戦しているらしく、ことごとく選択する行動が裏目に出ているらしい。
見始めたところだったが、どう考えてもそれはダメだろうというアドバイスの一つでもしたくなるような行動を選択するので、どんどん親密度が下がるのだ。
逆に眼中にない相手からアタックされる羽目になる。
その行動は、琴子自身の生活スタイルそのままで、見ている直樹のほうは吹き出したくて堪らないくらいだ。
「別のヤツにしたほうが落としやすいんじゃねーの」
思わずそう口走る。
驚いたように振り返って、口を尖らせた。
「だって、この人がいいんだもん」
「どう見たって一番攻略が難しそうだけど」
「それでも他の人じゃ嫌なの」
「ふーん」
あまりに言い張るので、どうでもよくなってきて、直樹は琴子が入れて残したコーヒーを自分でカップに注いでからまたソファへと戻った。
座るついでにゲームの外箱を眺める。
男性キャラは、今琴子が攻略しようとしているキャラの他に、眼鏡をかけたソフトキャラ、長髪系キャラ、短髪ガテン、生意気な年下、気弱なオタク、スペシャルとして隠しキャラなのか、眼鏡の先生キャラなど、意外に盛りだくさんだ。
どれもこれも女が好みそうな感じではあるが、ふと思いついて琴子の周りの人間を当てはめてみる。
渡辺に鴨狩に金之助に裕樹、ちょっと実像とは大きくかけ離れるがアニメ部の青木、隠しキャラは年長な分、西垣といったところか。
琴子が意地を張って落とそうとしているのは、まぎれもなくクールなタイプだ。
堪えきれなくなって、思わずプッと吹き出した。
「何?」
振り返らずに琴子は不機嫌そうに言った。
「いや」
直樹は自分がそのタイプだと自惚れたわけではないが、人から常にクールだと評されるところから考えると、多分琴子の好みとかぶるところがあったのだろう。
このゲームを出したのは父の会社で、よく見ればそれなりにキャラの顔立ちを似せていないこともない。
おまけにこのクール系キャラのプロフィールときたら、どこか直樹にかぶっている気がしないでもない。主人公となる女性キャラにいたっては、ロングヘアで一般的な女性を反映させやすいキャラに仕立て上げている。
開発チームの面々を思い浮かべる。
もしかしなくても直樹と琴子をイメージしてゲームキャラに盛り込んだと言っても過言ではない気がしてきていた。
そういう目でゲームを見てみれば、琴子の行動は突飛そのもので、それではクール系キャラを怒らせるばかりなのは確かだろう。
それでも直樹は下手なアドバイスをするのをやめた。
ここでこうして黙って眺めているほうが、琴子の行動をより理解できる気がして楽しかった。
何度かイベントに『お誘い』しては玉砕するのがおかしくて堪らなかった。
もしかして、何度も玉砕しているうちに最終的にはこのクール系キャラも主人公に根負けしてしまうのだろうか。そのうち徐々にではあるが親密度が上がったりして?
いや、そんなことはないだろう。
そこまで父は直樹の恋心に敏感だったわけじゃない。ましてや開発チームにしてもそこまで忠実に作るはずがない。
自分で否定しつつ、まさかと言う思いに捕らわれ、直樹は黙ってゲームを見ているのがだんだん苦痛になってきた。
親密度が限りなく低くなって琴子が泣きそうになったところで、直樹はゲームの電源を有無を言わさず切った。
「あ、入江くん、ひどいっ」
「…くだらない」
「なんでっ。お義父さんがせっかく持ってきてくれたのに」
「どうやっても落とせないよ」
「そ、そんなことないもん」
「こういうのは、おまえみたいな何も考えずに行動するやつには無理」
「えー、じゃあどうすればいいの」
「しなけりゃいいだろ」
「…だって、入江くんみたいだったんだもん」
思わずやっぱりという言葉が口から出そうになる。
「ちょっとはうまくいくかなって思ったのに。もしかしたらこれからどんどん親密度が上がるかもしれないじゃない」
「…だから嫌なんだよ」
「なんで」
直樹は頬を紅潮させて怒る琴子の顔を見た。
「…わざわざ再現しなくてもいいだろ」
「だって、入江くんがいつからあたしのこと好きだったのか知りたいじゃない」
「…それかよ」
ため息をついて直樹は琴子をソファに座らせる。
「ふーん。で、俺はどうやって落とされたわけ?」
「そ、それは、その、あたしのアタックに心動かされて…」
どぎまぎとしだした琴子の目をのぞきこむ。
「で、解明できたわけ?」
「だ、だって、なかなか落ちなくて、その…」
琴子は急にはっとして、近づいた直樹の胸を押した。
「入江くんこそ、たかがゲームでしょ。何で嫌なのよ」
つい眉間にシワが寄る。
それに気がついたか、という感じだ。
「そいつを落とした後はどうするんだ?」
「全キャラ攻略」
「へー」
「…しようと思ったけど、やめる」
「他のやつのほうが簡単だろ」
「だけど、入江くん以外嫌だもん」
おいおい、そのキャラは俺じゃないだろ、と突っ込みたかったが、とりあえず黙る。そのセリフに免じて。
「入江くんこそ、何で嫌がるの?」
先ほどと同じ質問を繰り返す。
少しだけうれしそうな顔をして。
「…俺以外の誰かを落とす必要なんて、ないだろ」
琴子は途端に満面の笑顔を向ける。
「そうだね」
そう言って頬を寄せ、キスを交わす。
ここがリビングだということも忘れて。
今日は日曜日。
もちろん父の会社は休み。
母は専業主婦。
弟の学校も休み。
そんなことは全部忘れて、二人の世界。
リビングのドアの向こうで入るタイミングを逃し、動いたら邪魔をしてしまう緊張に包まれ、固唾を呑んで見守っている家族がいることなど、きれいさっぱり忘れている夫婦だった。
ちなみにその恋愛シュミレーションゲームは、直樹を知る女性全てに絶大なる人気を誇っていたのは間違いない。
琴子のような戦法ではもちろん普通に落とすことは無理。それこそ地道に近づくというありがちな戦法が紹介されていたが、実は裏設定に琴子の戦法をぎりぎりまで粘って続ければ、最後にどんでん返しがある、などという裏技は、開発チームのお遊び程度にしか知られていないというのは、果たして本当か、真偽のほどは定かではない。
(2009/10/30)