Snow Snow Snow




「あ…雪…」

息を白くさせ、琴子はつぶやいた。

「初雪…だぁ」

頬を赤く染めて、空を見上げる。
雪は次から次へと舞い落ちて、たちまち琴子の肩に水滴を残す。

「入江くん、東京にも雪が降ってきたよ…」

遠い空の向こう、神戸の街にも雪は降っているだろうかと琴子は思った。


 * * *


…入江くんと離れてもう9ヶ月になる。
最後に会ってからどれくらい?
もう3ヶ月も顔を見ていない。
結婚記念日も誕生日も声だけ。
会いに行きたかったけど、実習が忙しかったし、入江くんも忙しそうだった。
今度のクリスマスも入江くんは仕事だって言っていた。
あたしは、冬休みの間に国家試験の勉強を頑張るって約束した。
入江くんは、お正月の間に一度は帰ってくるって約束した。
だから、あたしは、会いにいけない。
でも、入江くん。
こんな日はとても、…あなたに会いたい。


 * * *


12月に入ってすぐ、街はもうどこもクリスマスのような賑わいで、早くクリスマスが過ぎてしまえという思いが半分、わくわくして浮き立つ気持ちが半分。
華やかに飾られたショップのウインドウを覗き込みながら、ディスプレイされた商品を眺める。
毎年手渡ししてきたプレゼントも、今年は宅配便で送ろうかと琴子は考えている。

「琴子?」

後ろから声をかけられて、琴子は振り向いた。
それは会いたいと願った人ではなく、少しだけがっかりした顔をしてしまった。

「あらぁ、入江さんじゃなくて悪かったわねぇ」

黒のコートに身を包んだ桔梗が立っていた。
琴子の鼻を指ではじいて続けて言う。

「なぁにしけた顔してるのよぉ。そんな顔して歩いてたら、幸運も逃げるわよ」
「モトちゃんは買い物?」
「そうよ。入江さんが帰ってこれないからって、あんたの分のレポートサボらないでよ」
「わ、わかってる」
「じゃあね。また月曜に!」

そう言って華やかな街にふさわしい麗人は去っていった。
そうやって友人が去っていくと、街に取り残されたみたいで一層さみしさが募った。
琴子はため息を一つつくとまた歩き出した。
まっすぐ家には帰りたくなかった。
寒くて寒くて一刻も早く暖かい家に戻りたいのに、家に帰れば愛しい人がいないのを実感する。
こうして歩いていればさみしさが紛れるとでもいうように、琴子は歩き続けた。
家のそばの小さな公園の前まで来て、自販機で暖かいコーヒーを買った。
手を温めるには熱すぎるくらいの缶を、飲まずに掌で転がし続ける。

そうしている間に、今年初めての雪が降り出した。


 * * *


琴子と別れて歩き出した街角で、桔梗は思いがけない人と会った。

「・・・・・」
「まあ!久しぶりですね〜」
「・・・・・」
「ええ、さっき会ったんですよ。
さあ?落ち込んでたようだから、まだその辺歩いてるかもしれないですよ」
「・・・・・」
「どういたしまして。あ、レポートだけは忘れないようにさせてくださいね!!」


 * * *


「ん〜、もう帰ろうかな」

そろそろ身体の芯から凍えてきそうだった。
頭や肩には水滴とともに雪が少しずつ降り積もってきていた。
公園の入り口の車止めにもたれていた琴子は、身体を離して肩の雪を払った。
その拍子にすっかり冷えたコーヒーの缶を落とした。
缶は転がって足元から離れていく。

「あ〜あ」

缶を追いかけて手を伸ばすと、同じように手を伸ばしてくる手があった。

「あ、ありがとうございます」

缶を拾ってくれた手をよく見ると、なんとなく見慣れた感じの手とコート。

まさか…。

振り仰いでみれば、ここにはいないはずの人が立っていた。

「…え…」

すぐには声が出ず、抱きしめて包んでくれる腕にされるがままになっていた。
少し冷たいコートに声をくぐもらせながら叫んだ。

「入江くん!!」
「ただいま」
「お、お帰り…なさい…」

すぐに涙声になり、後は言葉にならなかった。

「だっ…、かえ…こない…言った」
「クリスマスに帰ってこないとは言ったけど」
「ひ、ひどい」
「帰ってこないほうがよかった?」

琴子はただ首を横に振った。

そんなこと、思うわけがない。

もちろんそれは知っていて言う意地悪。

いつも、そう。

琴子がそう思うのとは裏腹に、直樹はただ抱きしめる。
もらえるかどうかわからなかった休暇を知らせて、帰ってこられるかどうかわからないのに期待をさせるのがつらかった。
だから、知らせなかった。
突然帰ってきて、琴子が嫌がるはずはないから。
そうとわかってはいても反応を見るまでは不安だった。
お互いのぬくもりを感じて、やっと確かめ合えた気持ち。

会いたくて、会いたくて。

二人の上に雪は降り続く。
道路に落ちては解ける雪と、少しずつ白くしていく公園の木々。
空には重そうな雪雲。
ぬくもりの向こうに見えるそれらの景色をぼんやりと見ながら、琴子は言った。

「…もし雪が積もって新幹線が動かなかったら、どうする?」

抱きしめられた腕からそっと顔を上げて、愛しい人の顔を見た。
見下ろしたその瞳は、ただただ優しくて。
うっとりと目をつぶった琴子の耳に聞こえたのは…。

「おまえのレポートを手伝うしかないだろ?」

…とっておきの意地悪な声。


Snow Snow Snow−Fin−(2005.12.19)