Trick or Treat!




10月のある日、入江家ではオレンジ色の派手な飾り付けが用意された。
もちろん発起人は入江家のお祭り施行人、母・紀子だった。
当直も済み、昼の仕事もこなしてへとへとに疲れて早々夕方に帰宅した直樹は、玄関に入る前に見たそのバカでかいカボチャに疲れが倍増する思いだった。
ちなみにまだ購入したばかりらしく、表面はきれいなオレンジ色の大きなカボチャのままだった。
一歩家の中に入れば、これまた素晴らしく派手に飾りつけが済んでいた。
これから10月のその日が終わるまで、入江家はハロウィン仕様になる。
そもそも西洋も東洋も神式も仏式も何もかも一緒くたにした行事の数々は、琴子が入江家に来るまでは行われることのなかったものも多い。
そして、このハロウィンが終われば即座にクリスマスに向けて準備がなされるのだ。
いったい何がしたいんだ、と直樹は飾り付けを見ながら不満に思う。
子どもでもいればそれなりに楽しい行事になろうが、ハロウィンなんてものはいわゆる厄除けで、このパワー有り余った女たちを前にして厄除けが必要なんだろうかとまで思う。

「あら、お兄ちゃん、31日はハロウィンパーティをするから、早く帰ってきてちょうだいね」

夕食を準備しながら、紀子は有無を言わさない様子で直樹に言った。

「平日だろ。無理だ」
「無理じゃなくて、帰ってくるように努力するのよ」

直樹は無言のまま寝室へと上がっていった。
寝室では琴子がクローゼットの中をあさっていた。

「あ、入江くん、お帰りなさい」
「…何やってるんだ」
「えーとね、お母さんが何か黒っぽい服でいらないものがないかって」
「…黒っぽい服?」
「うん、ハロウィンに使うんだって。
あ、これどうかな。もう着なくなってた黒のミニワンピース」

そう言って取り出した黒のワンピースを手に、琴子は下へと降りていった。

31日は無理にでも当直を入れておくんだった。
…来年は入れておこう。

直樹は疲れた頭でそう思った。


 * * *


「お義母さん、入江くん、帰ってこないかもしれませんよ」

一抱えもある大きなカボチャを前に、琴子はスプーンを片手にため息をついた。
入江家のリビングで、琴子と紀子はジャックオランタン(カボチャのちょうちん)を作っていた。

「全くお兄ちゃんてばホントつまらないんだから。なんであんなに冷めてるのかしらね」
「でも、入江くん、仕事忙しそうですし」
「まあ、琴子ちゃん。いいわ、見てらっしゃい。ここはお兄ちゃんをあっと言わせるべくTrick or Treat(トリックオアトリート)作戦よ!」
「…何ですか?とっくりとエリート??」
「何かくれなきゃイタズラするぞ、よ」
「…はあ?」

カボチャのわたを取り出す手を止めて、紀子の手招きに耳を寄せた琴子だった。


 * * *


「あ、琴子。今日、入江さんのお母さんに呼ばれたんだけど、好きよね〜、パーティ」

仕事が終わりかけの頃、桔梗にそう言われた琴子はそわそわしていた。

「う、うん。モトちゃん、来るのよね」
「ま、行くわよ。どうせ暇だし。どうせ皆も呼ばれてるんでしょ」
「そうみたい。お義母さんが招待状渡してたからよくわかんないけど」
「問題は入江さんよね。今日は午後から緊急の手術に入っていつ戻ってくるか…」
「…うん」

琴子はナースステーションの時計を心配そうに見上げた。
今日は母・紀子が企画したハロウィンパーティの日だった。
参加者はそれぞれ仮装して参加することになっていた。
いったいどこまで招待状が配られて、誰が参加するのかよくわかっていないが、少なくとも一番参加して欲しい人が気乗りではなく、しかも参加できるかどうかわからないのだ。
今頃手術室で懸命に手術を行っている直樹のことを思うと、パーティのことを心配するのはなんだか気がふさがった。
終業の時間になっても直樹の行っている手術はまだ続いていたが、琴子は後ろ髪をひかれながらもパーティの準備をするべく家へと帰ることにした。


 * * *


入江家では、華やかにパーティが始まった。
次々と訪れる招待者は、それぞれそれなりに仮装を施してきていた。

「…船津さん、それ、何の仮装…?」

尻尾と耳をつけてネコに仮装した真里奈が、船津の格好を見て首をかしげた。
待ってましたとばかりに船津は張り切って言った。

「わかりませんか?これは神経細胞ニューロンです。髪のこの辺りが樹状突起でしてね…」
「…もう、いい」

真理奈はうんざりした顔で言った。
なんで神経細胞なんだろう、まるでわかんない…と手にしたワインに口をつけて後ずさった。
そのまま後ろにいた智子にぶつかった。
智子の格好はそれはかわいらしい天使だった。まさに智子にふさわしい。
しかし、見た目だけで判断できないのが、この智子だった。

「カボチャのわたを抜くときって、内臓を引きずり出すときに似て楽しいわよね」

とびっきりの笑顔でそう言われた。
格好は天使でも、中身はサタンだ…。
冷や汗が出る思いの真理奈だった。
そんな真理奈の隣で堕天使の格好をした桔梗は、少しさみしげな琴子を見てささやいた。

「入江さん、遅いわね〜。帰れないのかしら」

その視線の向こうには、表面上楽しげに笑っている琴子の姿。
パーティはどんどん進んでいくが、直樹は帰ってこない。
そして、とうとうパーティもお開きになった。
皆が帰っていき、直樹のいないさみしさは余計に募る。
さすがに紀子も慰めの言葉がない。

「入江くん…、やっぱり仕事終わらないのかな」

琴子はせめて自分の格好を直樹に見せようと待っていたが、なかなか帰ってこない直樹を待ちくたびれて、そのうち眠ってしまった。


 * * *


真夜中を過ぎ、やっと帰宅した直樹。
玄関やリビングに飾ってあったジャックオランタンのろうそくも既に消され、パーティの余韻はリビングの隅に残されたクラッカーのテープだけだ。
寝室に上がると、ベッドの上には待ちくたびれて眠ってしまった様子の琴子がいた。
その衣装を見た直樹は、少しだけ眉をしかめる。
もう寒くなってきたというのに、布団もかぶらず着替えもせずに眠っている琴子を揺り起こす。

「琴子…、起きろよ」
「う…ん…」

ベッドの端に座ってもう一度琴子の方を揺さぶる。

「風邪ひくぞ」

琴子ははっとしたように勢いよく起きだした。

「入江くん、今帰ったの?お帰りなさい」
「…ただいま」
「あのね、あの、皆結構いろんな格好してきてたよ。モトちゃんが堕天使でね、それから…」
「…で、お前のその格好は」

直樹は琴子の格好を見て言った。
琴子は自分の格好を見下ろして、少し顔を赤くしながら言う。

「あ、えーと、どうかな。お母さんが手伝ってくれたの。
…小悪魔、なんだけど」
「パーティ、ずっとその格好だったのか?」
「え?ううん。パーティのときはこれにもう一枚長い上着着てたの。暑かったから脱いじゃった」

そう無邪気に答えた琴子の衣装は、元の黒のミニワンピースのすそを短めに加工してあった。
ベッドの上に無造作に置かれた黒いレースの上着がおそらく上に着ていたものだろう。それに尻尾や羽が付けられている。
直樹は少しため息をついた。

「…似合わない?」
「そうじゃなくて」
「なんだか前に着た時より少し短い気もするんだけど。あたし成長したのかな」

おそらく母・紀子の仕業だろうと容易に想像できた。

「…上着、脱がなかったなら、それでいい」
「うん。あ、そうだ。ハロウィンて、皆お菓子もらえるのよね。日本じゃあまりやらないみたいだけど。
つまらないなー。面白そうなのに」
「何て言うか、知ってるのか」
「えーと、なんだっけ?とっくり…じゃなかった」
「Trick or Treat」
「あ、そうそう。とりっくおあとりーと」
「…おふくろに何か言われなかったか?」
「とりっくおあとりーとって、言えって言われただけ」

直樹は笑いながら琴子を見つめる。

「残念ながら菓子は持ってないな」
「そうだよね、今仕事から帰ってきたんだもん」
「…そのかわり」

そう言って直樹は琴子にキスをした。

「お菓子より、甘い…」

うっとりとして琴子がつぶやいた。

「Trick or Treat」

直樹が琴子の耳元でささやいた。

「え…」
「…何もくれないの?」
「…だって、皆にお菓子配っちゃったの。もう残って…」
「ふ〜ん」

直樹は琴子の戸惑った目をのぞきこんで意地悪そうに微笑むと、琴子の耳に吐息混じりにささやいた。

「Trick or Treat…」


Trick or Treat! −Fin− (2005/11/06)