月に祈りを2




いつだったか、一緒に月見をしたくて苦心した日もあった。
それなのに、その努力が実ったのかどうか、全く役に立たなかったのかどうかわからないまま、入江くんと結婚してしまった。
まだ時々、現実なのか夢なのか、鈍いあたしの頭はふわふわとしている。
結婚して初めての月見。
夏休みには一緒に旅行もして、やっと認められた気がした。

「琴子ちゃん、ちょっと水入れすぎ」
おっといけない。
前の二の舞になるところだった。
柔らかすぎる団子には、仕方がないので粉を足す。
ねりねりしながら、今年はちゃんと家にいるわよね?と考えていた。
「琴子ちゃん、もういいわよ」
お義母さんの言葉にはっとすると、なんだか少し硬そうな団子の塊ができた。
「お義母さん、なんだか少し硬く…」
「だ、大丈夫よ!蒸しちゃえば!予備も作ってあるし
ちぎって丸めると、少しひび割れる。
大丈夫だろうかと冷や汗が流れる。
なんだかあたしの今の心みたい。
入江くんがようやく夏休み終わったばかりだというのにすごく忙しくて、全然相手してくれないことだとか、話しかけてもただただひたすら教科書とにらめっこしてるだとか。
う、ううん、邪魔しちゃいけないってのはわかってる。
だって医学部に追いつくために必死なんだものね。
じんこと理美は新しい彼氏と楽しそうにしていて、入江くんがいるでしょと誘ってもくれない。
はいはい、ロマンチックな満月の夜は友より恋人よね。ええ、ええ、わかってるわよ。あたしだって入江くんが誘ってくれたらすぐに行っちゃうもの。
蒸しあがった団子は、なぜか半分崩れて、半分何かの塊のようだった。

いつの間にか暗くなるのもだんだん早くなってきた夕空に月が上り始めた。ゆっくりとでも着実に上がっていくんだろう。
ここではもう少し暗くならないとしっかりと見えない。
なんだっけ、月に誓った大バカ者がいたわよね。
えーと、あたしの専門は日本文学なんだけど、古代から月がうんたらという話に出てきたやつ。
「ああ、ロミオさま?月に誓うなんてそんな不実なとかなんとか?」
なんで?
「形を変えるからだろ」
「あ、そうか」
とそこであたしは後ろから聞こえてきた声に驚いて振り返った。
「入江くん!おかえりなさい。今日は早いのね」
「会社じゃないんだから」
「そ、そっか」
「で?あのひでえ団子、今年も作ったのか」
「ひ、ひでえって…確かにひどい…かもだけど。ひ、一つくらいはまともなものがあるわよ、多分…」
あたしは窓際に置かれた団子を見た。
…うん、ひでえ、かもしれない。
「かたっ」
入江くんはひょいっと止める間もなく団子を一つ口に入れていた。
「いつものことながら団子なのに硬いって、何なんだろうな」
「ご、ごめん」
「原作のジュリエットは十三歳、ロミオは十七歳。俺たち以上にとんでもねえよな」
「じゅ、十三…」
思わぬ名作のとんでも話を今知ったわ。
「いくら反対されたからって死ぬ必要ある?逃げちゃえばいいのに」
入江くんはにやりと笑った。
「戯曲だからな。そもそも十七で逃げる算段はしないし、十三だろうと昔は婚約者くらいいる世界だろうし、悲劇的なところが受けたんだろ」
入江くんなら十七で逃げても生きていけそう。
「俺なら心中するようなへまはしない」
「そ、そうよね」
でも愛の逃避行もいいものよね。
「琴子は月に代わっておしおきよのほうがいいんじゃないか」
そう言って笑う。
いや、そうかもだけど、入江くんがあの有名アニメを知っていることにびっくりした。
「いつだったかお前真剣に見てただろ」
はい、その通りです。
「ラケット戦士とかぶりそうだけどな」
「そ、そんなことより」
あたしはあからさまに話題を変えることにした。
「今年はちゃんと入江くんと十五夜を迎えられてよかったぁ」
「おまえ卒論は進んだのか」
その話は今しないで。
「月に祈っておけば?ちゃんと卒業できますようにって」
「もう、入江くんの意地悪!」
「その意地悪な男が好きなんだろ」
いつものやり取りだけど、ちょっと甘い。
これも月のせいかな。
そんな風にうっとりしかけたあたしの目の前に入江くんがあたしに一枚の紙を突き出した。
「おまえ、教授にこんなもの出しただろ」
それは紛れもなくあたしの卒業論文の…。
「ひどすぎるから指導しろって俺に教授から返ってきた」
「あわわわわ…」
入江くんは真顔で言った。
「月に代わってお仕置きだな」
背後にはベッド。
追い詰められたあたしは、入江くんに押し倒され…。

つくづく、あたしはこの時ちゃんと月に祈っておくべきだった。
まさか卒業できないなんて思わなかった。
でもそれは後の祭り。

(2021/09/21)-Fin-