それは、まだ本人の耳には入っていない頃の話。
「ちょっと、聞いた?琴子が妊娠したんですって」
「おい、聞いたかよ。あの入江が相原を妊娠させたって」
「ねえ、相原さん妊娠したの?え、ってことはあの夫婦、ホントにしてたんだー」
「あ、まさか!仮面夫婦じゃなかったの?」
「なあ、どんな顔してやってんだ、入江のやつ」
「想像できねーよなー?」
「きゃー、入江さんとやってる琴子って、どうなのよー!!」
「えー、うらやましい」
大学中に広がるその噂は、本人の耳に入れようにも本人は学会で不在だった。
琴子はいまだ確信の持てないまま、人に噂されるがまま、促されるまま、妊娠したかもしれない喜びに浸っていたため、そんな噂など耳をきれいに素通りしていた。
そして翌日もたらされた妊娠否定の噂。
「何だよ、妊娠してなかったんだって」
「琴子が妊娠なんておかしいと思ったのよねー」
「でも…」
「あの二人、本当にエッチしてたのねー!!」
大学中で噂していた全ての人間が、想像できなくて否定したかった事実をあの二人は目の前に突きつけたのだった。
「…やっぱ想像できねー」
「そうだよなー、あの堅物入江だもんなー」
「一人エッチすらしてなさそうだもんなー」
「というか相手が相原ってのも」
「これまたもっと想像できねー」
「うわー、あんな普通の顔してやってんだよ、あの二人」
「おい、いまさらそれ言うか?」
「いや、だってよ、入江が…」
「いや、まあ、入江も普通の男だったんだよ」
「そうかぁ?まだわかんねーよ、入江に聞いて見なけりゃ」
「そうだよな、結局妊娠ってのも嘘だったわけだし」
「でも、おまえ入江に聞く勇気あるか?」
「…あるわけねーよ」
「どうする、普通に猥談されたら」
「俺、驚きすぎて答えられねー」
「俺も」
「あー、俺もちょっと」
「いつもあんな難しそうな顔して、相原の前では変わるとか?」
「どうする?赤ちゃん言葉しゃべって甘えてたりしたら」
「ありえねー、ありえねーよ!ていうか、普通にやばいだろ、それ」
「本当にそんなのだったら、俺、世の中信じられねーよ」
「じゃあ、思いっきりサド」
「…………」
「冗談にならないだろ、それ」
「そ、そうかな」
「泣いてもいじめる入江って容易に想像ができる」
「そうそう、泣く相原って結構燃えるかも」
「ばっ、それ、ここだけの話にしろよ。間違っても大きな声で言うなよ」
「何でだよ」
「それ今ここで説明したくねぇよ」
「だから、何でだよ」
「後で説明してやるよ、斗南七不思議を」
「なんだよ、それ」
「頼むから後でな」
「だから意外性を狙って入江がマゾだとか」
「うわー、だからそれやめろって」
「入江くーん!!」
目の前を琴子が直樹を追いかけて走っていく。
無視しながらも無視しきれない直樹が、琴子に向かって何事か話している。
ちょっと遠めには思ったよりもうれしそうに見える直樹。
そんな二人を眺めて、その場で話していた面々は、改めてため息をつく。
「なあ、あの二人って、本当に夫婦だったんだな」
「やっぱ、普通にしてんだな」
「…そうだな」
そんな風に無責任に語り合う学生の姿があちこちで見られたという。
知らぬが仏。
いや、知っていてもきっとそんなこと全く構わないであろう二人だった。
噂4−Fin−(2007/04/09)