噂5
それは暗黙の了解、犯さざる領域とでも言うべき逸話がその大学にはあった。
しかし、その話は表に出ることはなく、ひっそりと男子学生たちの間でのみ受け継がれる。
「なあ、何で入江は相原と結婚したんだ?」
「そりゃ、あれだけアタックされれば、さすがの入江も落ちたんじゃねーの?」
「そうかぁ。まあ、相原もかわいいんだよな、バカだけど」
「そうそう、…バカだけど」
「でも、あれだけしつこく追いかけられたら、普通の男は引くと思わねー?」
「ああ、そりゃ入江は普通じゃないから」
「…納得」
「ところで、相原って意外にもてるよな」
「…意外って何だよ」
「いや、新入生でさ、まだ入江と相原の事知らないやつが時々いるだろ」
「ああ、でも少数じゃねぇー?」
「あのカップルは結構有名だぞ」
「あの入江が落とされたんだもんなー。泣いたやつも多いし」
「おまけに相原がいつも引っ付いてるだろ。どうやったらあの二人の事知らないやつが出てくるんだよ」
「いや、たまーにな。結婚しても入江ってあの調子だろ?まさか相原と結婚してるとは思わねーんじゃね?」
「ああ、冷たいよな、入江」
「そうだろ、相原って実は結構すげーよ」
「根性の塊だからな」
「いやー、それでさ、この間入江の近くでそいつが話してたんだよ、相原がかわいーって」
「へー。で?」
「入江のやつはいつものように知らん振りだったんだけどさ、俺、見ちゃったんだよ」
「何を?」
「絶対言わないでくれよ、入江には」
「言うわけねーだろ」
「いや、耳に入らないようにしてくれるかな」
「だから、なんなんだよ」
「そいつ、医学部に行くはずだったんだけど…、何故かその直後に学部変更してんだよ」
「何だよ、それ。ただ単に進路変更したってだけだろ」
「…違うんだよ。だって、そいつの実家、病院だぜ?何で進路変更するんだよ」
「だからさ、学力がついていけなくなったとか」
「いや、何か入江が後でそいつにささやいたの、見ちゃったんだよ、俺…」
「…何ささやいてたんだろう?」
「なんだか知らないけど、そばにいた一年生の話だと、もう二度と手出ししませんっみたいな悲鳴上げて逃げてったらしいって」
「…おい、それ本当の話か?」
「本当だってば。ただ、怖いことに、それが相原の話だったかどうかは確信がないんだけどな。その一年生のやつに相原の話を振ると、震え上がって二度とその話はしたくないって」
「…マジかよ」
「他にも聞いた話だとな、密かにエレベータに閉じ込められたとか」
「うわ〜、入江こえ〜」
「だろ、こえーだろ?」
「…いや、単にそれってただ入江が嫉妬深いってだけの話じゃ…。エレベータはただの故障って気もするし」
「ただの嫉妬じゃねーだろ、学部変更するほどだぜ!」
「…そうか、こえーな」
「それに入江なら不可能はなさそうだ」
「そうだな、入江なら」
「やっぱこえーよ」
「俺、絶対相原にうかつに声かけねー」
「…俺も」
かくしてそれ以後、その大学では
『相原(入江)琴子に手を出すな』
という不文律が出来上がったのであった。
噂5−Fin−(2007/04/09)