デート前夜 呼び捨て編


デート前夜の続きになっています。合わせてお読みください。




入江くんがベッドに戻ってきたのを知らずに、あたしはいろいろ考えていた。
服買う時に店員さんに二人お似合いですねーとか言われて、そうですかー?って答えるのが夢なの。
…いまだ言われたことがないんだけど。なんでかなー。
やたらと入江くんに触りたがる店員ならたくさんいたけど。
いつも「こちら彼女さんですかー?」って店員が聞くと、入江くんはちゃんと「いえ、妻です」って答えてくれるんだけど、店員さんは口を開けたまま次の言葉を言わないの。
失礼よね、もう。
でも明日行く店は、理美に教えてもらったんだ。
店員が男の人だから、今度は店員に邪魔されずに済むと思う。
それに、そこの服、すっごく着てみたかったし。
入江くんにも似合いそうな感じだったし。
さりげなくペアなんか勧められちゃったりして…。
入江くんとペアか〜。
ふふふ、入江くんが着てくれるとは思えないけど、試着するだけならただよねー。
後でさりげなく買っちゃったりなんかして。
あたしが気に入ったのを見て、さりげなく入江くんが買ってくれて、後でプレゼントなんて素敵かも。
少し早い誕生日プレゼント、なんてね。

「琴子…」
「なあに、入江くん」

いつの間にか入江くんが真横に立っていて、あたしを見ていた。

「…また無謀なこと考えんなよ」

もう、失礼ね。
ちょっと買い物のときのこと考えてただけよ。

「え、そんなこと考えてないよ。さりげなくペアだなんて…あ…」

言ってからしまったと思った。
入江くんにばれちゃうじゃない…。
入江くんのむっとした顔を見たくなくて、かけ布団で顔を隠した。
布団の向こうで、入江くんのちょっとイラついた声がした。

「…おい」
「…は、はい」
「顔、見せろよ」
「え、でも…」

入江くんの重みでベッドがきしんだ。
少し布団を下げると、入江くんの顔が目の前にあった。

「ペアは、着ないぞ」
「…はい」
「で、もう寝るの?」
「だ、だって、入江くん、早く寝ろって言わなかった?」
「寝ろ、とは言ったけど?」
「だ、だから」

あの、あの、この体勢は…。
入江くんはあたしの顔の横に両手を置いて、見つめている。

「…明日、休みだよな」
「うん…」

なんとなく逃げたくなって、布団の中で少し身動きしたら、入江くんはかけ布団ごとあたしの身体を固定した。
入江くんに抱きしめられると、安心するけど、どうしようもなく心が浮き立つ。
ずっと、抱きしめていてほしいような、それでいて少し怖い。
入江くんの顔が近づいてくると、どきどきする。
入江くんの吐息が顔にかかる。
ずっと見ていたいのに、あたしはつい目を閉じてしまう。
入江くんとキスができるのは、あたしの特権。
そう思っていいでしょう?
入江くんのキスを受ける。
時にはやさしく、時には情熱的に。
入江くんの知らなかった一面をまたあたしに教えてくれる。
他の人になんてしないでね?
お願いだから、ずっとあたしだけにして。
なおき、と呼んだら、少しうれしそうだった。
もう一度呼んだら、喜んでくれる?
入江くんのキスをたくさん受けながら、あたしはそんなことを思った。


 * * *


救急箱を片付けてベッドを見ると、琴子は一人でニヤニヤと笑っている。
また何か妄想しているに違いない。
この妄想癖、一生治らねーな。
声をかけたら、ようやく俺がいることに気がついたようだ。
案の定、自分からペアの服を考えていたことを洩らした。
しまったというように口をつぐむ。
…ペアなんて着ねーからな。
俺がにらむと、琴子は罰が悪そうにかけ布団を引っ張りあげて顔を隠す。
せっかく休みの前なのに、やけどはするし、またろくなこと考えてないな。
一言言ってやろうと思っても、怒られるとわかっているのか、顔も見せない。
ベッドの端に腰をかけて、声をかけた。
顔を覗き込むと、琴子はようやく顔を出した。
俺自身もなんでそんなにイラついていたのかわからないまま、琴子の顔に見入った。
確かに寝ろとは言ったけど、本当に寝ちまう気らしい。
琴子の顔をよく見ようと、顔の横に手を置いて覆いかぶさる。
琴子はそわそわとして、布団の中でなんとなく逃げる体勢になっている。
何でいまさら逃げるんだ?
いつも抱こうとするとなぜか琴子は逃げ腰だ。
俺が怖い?
それとも慣れないだけ?
結婚して何年経ってるんだよ。
本当に嫌がっているわけではないことだけは、わかる。
無理にする気はないけど、せめて逃げるなよ。
琴子が逃げていかないように、思わず布団ごと琴子を押さえる。
急におとなしくなって、顔を上気させている。
ただ照れているだけか?
一度キスをすると、静かに目を閉じている。
他の誰ともしない、琴子だけだ。
少なくとも自分からキスしたのは、琴子だけだ。
…まだ、好きなのかどうかもわからないときから。
あれから俺たちは、繰り返しキスをする。
キスの意味なんてそんなにないと思っていた。
こうして琴子とキスをするようになって、琴子を抱くようになって、俺は自分の中の感情を知った。
誰かを愛しいと思う気持ち、大切にしたいと思う気持ち。
言葉の代わりにキスをすること。
だから、こうして抱き合っているときの俺たちは、言葉などいらない。
それなのに、キスの合間に琴子はささやく。

「入江くん、大好き」

ほとんど毎日聞いてるような気がするのに、いつも同じことしか言わないのに、俺はそれを聞くと安心する。

「入江くん、入江くん…。あたしのこと好き?ずっと好き?」

そんなことを言うので。
俺は返事の代わりに腕の中に琴子を抱きしめる。
それ以上何も言えないくらいに。
それ以上何も考えられないくらいに。
そうして重ねた身体の下で、わざとなのか、無意識なのか、「なおき」と琴子は俺の名前を呼んだ。
それが、どれほど欲情をかきたてるとも知らずに。
身体中にキスの雨を降らせて、琴子の髪が波打つのを見ていた。
喘ぐ以外に言葉を持たないかのように、身体を熱くさせる。
また、今夜も寝かせてやれない。
俺の熱が移るように、きつく抱きしめる。
細い腕からは考えられないような力で俺を抱きしめ返す。
少しでも身体を離すと、両手は所在無さげにシーツをつかんでいる。
そして、熱っぽい潤んだ目で俺に離れないでと懇願する。
…やがて真夜中をとうに過ぎた頃、汗ばんだ身体を横たえ、疲れて寝入ってしまった琴子の寝顔を見ていたら、俺はまた意地悪を思いついた。
後で俺を名前で呼んだこと、からかってやろう。
知らない振りをするのか、覚えていないか、照れまくって怒り出すか、そんなことを考えながら眠るのも悪くない。
じきに空が白みだすだろう。
こいつ、早起きなんか出来ないだろうな。
琴子の華奢な身体を引き寄せながら、俺はやっと眠りにつくことが出来た。

デート前夜 呼び捨て編−Fin−(2004.9.30)