パトロールはお静かに




5





 いつかは会うかもしれないとは思ったけれど、まさか今会う羽目になるとは思っていない唐沢だった。
 いや、でもまだ漆原の関係者だと名乗ったわけでは…。
「漆原さんのお見合い相手と言えばおわかり?」
 唐沢は黙ってうなずいた。
「あの、でも、私…」
 まだ付き合ってるわけじゃないし、と言いたかったのだが、それを遮って成瀬は微笑んで言った。
「漆原さんがあなたを諦めたくないようなので、必然的に排除させていただくことにしました」
「は、排除?」
 正直、どういう類の人物なのか、全く知識もなく向き合うことになろうとは。
「とは言っても、今ここで拉致しても、漆原さんが私を一生許すとは思えないので」
 ら、拉致…。
 唐沢は思わず身を硬くして逃げようかと後ずさった。
 研修期間中に二度も拉致されてはたまらない。

「…手を出したら、俺がますます諦めなくなるって思わない?」

 気がつくと、いつ来たのかわからぬまま、漆原の背にかばわれていた。
 かばわれたせいで成瀬の顔すらも見えない。
「いつ…?」
 どうでもいい質問を背中に投げかけると、漆原が答えた。
「ずっといたよ」
「どこに…?」
「後ろ」
 平然とそう答えた漆原に、思わず唐沢は後ろを振り向いた。
 もちろん今は唐沢の前にいるのだから誰もいるわけがないのだが。
「じゃ、そういうことで」
 そう言った漆原が振り向いて唐沢を持ち上げた。
「え、ちょっと、漆原君」
 唐沢を抱きかかえたまま、漆原が走って逃げる。
 まるでたいした荷物など持っていないかのように。
 揺れるので漆原の首にしがみついて黙って運ばれる。
 下ろしてと言いたいのだが、舌を噛みそうなのでぎゅっと目をつぶったまま漆原が止まるのを待った。
 どこまで来たのか定かでないうちに、ようやく漆原は止まって唐沢を下ろした。
「体重いくつだよ。軽すぎてトレーニングにも物足りない」
 重いと言われなかっただけましかと思いつつ、唐沢は漆原を睨んだ。
「どうして抱えて逃げたの」
「唐沢さんの気持ちがはっきりしてないのに対決するの?」
「それはそうだけど」
「黙って拉致されるのを見届けろと?」
「…それは、ありがとう、助けてくれて」
「いや、俺のせいだから」
 落ち着いて周りを見渡してみれば、どこかのマンションのエントランスだった。
「あ、ここ?ハナキさんのマンション。寮もいいけど、今日はここで過ごしてくれる?」
「ええっ」
「俺のところ、と言いたいところだけど、さすがに男のところは無理でしょ。
おまけにとてもじゃないけど一緒に過ごす自信ないし。
ゆっくり寝たいなら、ここが一番。何せ無料のボディガードが付く」

「誰が無料のボディガードよ。
あんたのせいでしょ、あんたにきっちり請求するから」
 そう言ってやってきたのは、サカキバラだった。
「唐沢ちゃん、一部屋好きに使ってくれていいから」
 サカキバラの言葉にどうしたものかと考えた。
「あの、どうしても寮じゃだめですか」
 サカキバラと漆原が顔を見合わせた。
「たとえば、同じ寮生に誘われて外にちょっと出てみたら、あのお嬢さんが待っているとかあったりしたり」
「その場合、唐沢はきっと寮生を疑うことなくついていくよな」
 唐沢は言葉もなく考える。
「寮生を疑いたくないって?寮生だって悪気があって呼び出すわけじゃないだろう。
 あの女が呼び出さなくても別の男に呼び出されたり、別の女が入り込んだりなんてことは平気でありそうだからな」
「…そこまで?」
 唐沢はそのありそうでなさそうな可能性のためだけに、サカキバラに迷惑をかけてまで厄介になるというのがどうにも理解できなかった。
「この馬鹿の安心のためにちょっとだけ我慢してやってくれる?」
 サカキバラは漆原を横目で見て言った。
「一週間とかからないわよね」
 有無を言わさないサカキバラの言葉に漆原が唸る。
「…努力する」
「言っておくけど、同居が嫌なわけじゃないわよ、わかってると思うけど。
この状態に一番戸惑っている唐沢ちゃんの我慢の限界を言ってるの。
ただでさえ慣れない研修の最中に馬鹿なことをしでかしてくれたもんね」
「それは反省してる」
「研修が終わってからでも十分だったはずだし」
「いや、それじゃ遅いだろ」
「遅いのはあんたの間抜けな恋心でしょう」
 ぴしゃりと言われて、漆原はさすがにむっと口をつぐんだ。
「唐沢ちゃん、この間も地域五課のやつに食事に誘われていたわね」
「あれは、歓迎会みたいなもので」
「それで、そのお誘いはどうしたの」
 サカキバラが笑って問う。
「忙しくて余裕がないのでお断りしました」
「当然だな」
 漆原が言った言葉は唐沢の耳には入らなかったが、更に続けて突っ込まれた。
「もしかして、他にもそういう誘いはあったりしたわけだ」
「え、いけなかったですか。全部お断りしてしまったんですけど」
「ふーん、漆原があれほどガードしたにもかかわらず、モテモテね、唐沢ちゃん」
「え、いや、もててなんていませんよ。
防衛軍の方たちは思ったより気さくでこんな新人にも優しくしてくださるんだなと思って」
「そんなわけあるか」
「それは違うでしょう」
 漆原は思わず怒るように、サカキバラは苦笑しながら同時に唐沢に突っ込んだ。
「違うんですか。お断りしたらまずかったですか。どうしましょう」
 もしかしてやはり体育会系的なのりで、飲み会は必須のものだったんじゃと唐沢が青くなっていると、「…鈍いにも程がある」と漆原がつぶやいた。
「誘いに乗るのも断るのも唐沢ちゃんの自由だけど、少なくとも誘ってきたのは男ばかりでしょうから、気をつけるに越したことはないわね」
「…そう言えば、そうでした」
 元々男嫌いで過ごしてきた唐沢だったので、男に誘われた時点で腰が引き気味だったが、それでも就職したばかりの職場ではそういう飲み会もありだと思っていたので、かろうじて逃げ出さずに断るくらいの分別はあったのだ。
「あれは、誘われていたんですか…」
 迂闊だったと今更ながらに思う。
 漆原のように直球で迫られるのはもちろん大いに困るが、遠まわしに誘われるのも困る。
「いくらなんでもいきなり襲うようなやつはさすがに少ないでしょうから、大丈夫だとは思うけどね」
 その言葉に唐沢は思わずそばにいた漆原から身を引いてしまった。
「俺だっていきなり襲わねーよ」
 そうは言っても、既に前科がある、と唐沢はうっかり言いそうだった。
 自分でさすがに口に出すことはできなかったが。
「わかりました。あたしも少し反省しておとなしくサカキバラさんの御宅にお邪魔させていただきます」
「唐沢ちゃんが反省する必要はないけど、どうぞ歓迎するわ」
「はい」
 そう言って唐沢が元気よく答えると、隣で漆原があからさまにほっとしていた。
 なので唐沢は少々横目で睨んでしまった。いったい誰のせいで、と。
 そんな唐沢の視線を漆原は感じていただろうが、それすらも平然と受け止めて、睨んでいた唐沢の顔を見返した。
 それが今までにない顔だったので、思わず一歩後ずさった。
 あまりにも甘いその顔は、唐沢を混乱させるのに十分だった。

 * * *

 唐沢には言わなかったが、漆原はさりげなく唐沢の行動に注意していた。
 夜勤が明けたその日、そのまま唐沢がおとなしくしていれば問題なかったが、あろうことか何の警戒もせずに所から出ていった。
 本当は寮に帰るまでがっちりとガードしようと思ったが、それでは唐沢が嫌がるのが目に見えていたので、ストーカーよろしくこっそりと見守ることにした。
 そのまま寮に戻ってくれれば楽だったが、やはり警戒もなくぶらぶらと近所の店に寄っていく。
 いつになったら警戒心とやらを覚えるのか、と漆原は憤然とした。
 所を出るまでに顔なじみになったらしい所員に声をかけられつつ門を出て行く。
 その所員も後ろから黙って来た漆原を見るとぎょっとしたように目を見張った。
 自分の顔がよほど険しかったのか、それともだらしがなかったのか。
 先日唐沢に言われてから、必死で記憶をたどって図書室での告白とやらを思い出していた。
 正直、唐沢と話をした回数は少ないにもかかわらず、あまり記憶がなかった。
 その話の内容がほとんど血族に関する嫌な話題だったからだろうか。
 好きな女と話をしたにもかかわらず、覚えていない自分の記憶にもがっかりだが、告白されたという認識がなかった。
 ただ、一つ引っかかるのが、唐沢は血族という枠にはまらずに生きている、ということを知り、いつか自分も同じように血族に縛られずに生きていこうと思ったことだ。
 学校を卒業間近になればなるほど、親族から進路について、血族を維持することについての話が多くなり、うんざりして自棄になっていたこともあった。
 確かに唐沢の親はそういう価値観がなく、割と自由に過ごしていることを知り、うらやましいと同時に腹が立つほどだった。
 それまでは唐沢のことを気になっていたものの、はっきり好きだと言えるほど気持ち自体が焦がれるものでもなかったと思う。
 もちろん後から考えれば唐沢にだけ意地悪で素の自分を見せていたのだから、よほど特別だったのだろうと思う。それはマツオカにも散々指摘されたことだった。
 唐沢はそのことに関して自分に直接指摘したことはなかった。多分かなり理不尽に思っていたことだろうが。
 その上で家族のことについて悪態をついて弱音を吐いた漆原に言ったのだ。
「漆原君は、家族が大切なんだよね。
だから邪険にできなかったし、うるさいと思っても縁を切ろうとまで思わなかったんでしょう。
たとえこの先に家族がそうやって誰かを押し付けても、漆原君なら血族に関係なくその人をちゃんと見極めて判断できると思う。
 日本人だとか混血だとか、確かに馬鹿馬鹿しい価値観かもしれないけれど、そうやって生きてきた人たちのことを否定してしまったら、今自分がここに生きている意味すら否定しちゃうじゃない。
自分がどう生きるかは、これから先自分で考える余地はあると思うよ。
そうやって文句を言いながらもちゃんとがんばって生きてきた漆原君は偉いよ。
あたしはそんな漆原君が好きだよ」
 そこまで思い出してため息をついた。
 散々唐沢に意地悪を言った後で、それでも漆原を認めてくれたのだった。
 意地悪を言ったせいか少々涙目になりながら言ったその言葉に、漆原はもう二度と唐沢に意地悪を言うのをやめようと思ったのだった。
 とんだお子様だったと認めざるをえなかった。
 そのときの唐沢がどんな想いで言ったのか、今頃気づくなんて、と。
 慰めのために言ってくれた言葉だとばかり思っていたが、実は告白にも等しい言葉だったとは。
 そりゃ気づかないほうがおかしいかもしれない。
 それなのに、漆原は自分の不満とやるせなさでそこまで気づかなかった。
「…そりゃどうも」と照れ隠しにただ一言言った後は、具体的な返事すらしなかったのだ。
しかも、確か、それでも親の言いなりに純日本人は選ばない、とまで言った気がする。
 自分がいかにお子様だったのか思い知らされ、若干打ちのめされ、そこから這い上がるのに苦労していた。
 それゆえに、唐沢の多分一世一代の告白をそのままスルーしたわけだ。
 しかも馬鹿なことに、その言葉を言われたお陰で、漆原は唐沢が実は好きだったことに気がついたのだ。
 避けようとか、好きにならないでおこうと思っていたその心をわしづかみにするかのように揺さぶられた。
 よく考えれば、そうやって不満や愚痴そのものを遠慮なくてぶちまけたのは、ただ一度唐沢にだけだったというのに。
 恐らく唐沢ならそういう不満や愚痴、弱音を吐いても言いふらしたりはしないし、何か適切な言葉をくれるだろうと甘えていたのかもしれない。
 本当に苦悩したのはその後だった。
 唐沢には避けられまくり(当然だろうが)、卒業までどうしようもなく一気に過ぎ去った。
 おまけに進路も全く違った。
 それまでが一緒だったせいか、進学した先で唐沢がいないことに少し戸惑ったことは内緒だ。
 唐沢はその言葉通りに自分の道を生きていき、さすがに反省した漆原も家族と付かず離れずで思うように生きることにした。
 その数年後に再び道が交わったなら、運命の再会と呼ぶにふさわしいんじゃないかと思っても悪くないだろうと勝手に思っている。
 サカキバラに言わせれば随分とロマンチストなことだと鼻で笑われるだろう。
 マツオカにいたっては腹を抱えて笑ってから、「でもあのときの漆原はひどかった」と非難するのだろう。
 唐沢は少しだけ怒っていた。
 怒っていたということは、少しは望みがあるんじゃないかといいように解釈する。

 唐沢が店から出る頃、一人の女が店の外に現れた。
 唐沢は仕事以外では鈍い女なので、漆原が後をつけていることも知らないに違いない。
 この女はどうだろうと漆原は見ていた。
 気づいても気づかなくてもそんなことどうでもよかった。
 唐沢にさえ危険がなければ、だが。
 当然女が唐沢を見逃すはずがない。
 今一番邪魔な女なのだから。
 対決させるにはまだ早すぎるとばかりに、漆原は有無を言わせず唐沢を抱えて走って逃げた。
 唐沢にとっては大いに不満だったろう。
 思ったよりも気が強い唐沢は、言われっぱなしで逃げ出すのは我慢ならないだろうとわかっていても、それでも対決させるわけにいかなかった。
 唐沢の気持ちの整理が付いていないことくらいはさすがにわかる。
 唐沢なら数年ぶりにあった男にいきなり告白されてもそりゃ手放しで喜んだりはしないだろう。それくらいの性格は把握しているつもりだ。
 唯一つうれしいことに、あれほどビクビクしていた唐沢が、漆原が抱きしめても抱き上げても嫌がる素振りを見せなくなったことだ。
 もちろん抱きしめたのも抱き上げたのも不可抗力ではあるが、少なくとも嫌われているわけではないと安堵した。

 仕事モードのときの唐沢は、男嫌いを感じさせることなく平気で処置をする。
 それこそ怪我をした隊員の半裸だろうと怯むことなく触って処置をするし、仕事となれば下着すらも平気で下げるかもしれない。
 実際救急部にいたことがあるという話だから、それこそ患者なんて半裸どころか全裸も珍しくなかっただろうし、交通事故などは若者も多いだろう。
 あの可愛らしい顔で真剣に処置をされれば、誤解する一人や二人くらい絶対にいそうだ。
 仕事以外で近寄ると引きつる顔を見せる唐沢だったが、仕事モードになればそれがたとえ漆原だろうと服を引っぺがしてでも処置をするだろう。
 極端だがそういうやつだと漆原は知っていた。
 サカキバラが調べた唐沢の経歴は、実に見事なものだったのだ。
 外科も内科も手術部も救急部も余すことなく巡っており、数年で見事に防衛軍でも通用するほどの度胸と機転だ。
 ライバルだと思っていた人間が、同じように優秀なままでいて、どれほどうれしかったか。
 研修予定者の名簿を見たとき、ぜひとも自分たちの班に引き入れたいと願ったことを唐沢は知らない。
 それは自分の恋心とは別の次元での話だったのだが、今となっては誰も信用しまい。それだけが実に惜しいと漆原は悔やんでいる。
 唐沢があの唐沢のままでいたことが、これほどうれしいなんて。
 学生の頃より少し短くなった髪を揺らして、サカキバラのマンションに避難してくれることを承諾した唐沢を思わずうれしさそのままで見つめ返したのだった。
 当然唐沢がこちらを睨んでいたことなど問題ではなかった。
 そもそもそんな睨み方では、普段荒っぽい連中の中で過ごしてきた漆原には、可愛すぎてますます笑ってしまう。
 見つめ返した唐沢が、何やら顔を赤くして怯んだのを見ると、自分の家に泊めなくてよかったとつくづく思うのだった。

(2013/06/22)


To be continued.