SWEET SWEET SWEET



hanaさまリクエスト


side 琴子



ずっと、もやもやした気持ちだった。
結婚したのにちっとも変わらない。
他の人にとられないように頑張らなくちゃいけないなんて。

新婚旅行のハワイ最終日。
やっと入江くんと二人きりになるチャンスを作った。
そう思ったのに、またトラブルが起こる。
あたしは気合を入れて、ドレスアップを済ませた。
そこへまた堀内巧さんが慌ててあたしたちの部屋へやってきたのだ。

「ま、麻里が急にお腹が痛いって言い出して。医者につれて行こうにも、僕の英語力では心配で…」

その瞬間、あたしはわかってしまった。
病人と聞いて入江くんが放っておけるわけがないって。

「とにかく見ましょう」
「えっ、直樹さんが」
「一応医者の卵ですから」

あたしは嫌な女だ。
麻里さんなんて放っておいて、あたしと一緒にディナーに行ってほしいと思ってしまった。

堀内夫妻の部屋では、麻里さんがお腹を押さえてうなっていた。
入江くんはシャツの腕をまくって、診察しようとしている。
麻里さんの身体を触らないでほしくて、あたしは必死で言った。

「…ここはやっぱりツアコンの人に頼んで…」

それでも入江くんは、あたしの思いなんて気づかないように言った。

「病状によりけりだよ」

もしもこのまま入江くんがずっと診ることになったら?
あたしは?
ねぇ、入江くん、新婚旅行なんだよ。
本当なら、二人っきりで過ごしたかったのに。
麻里さんの脈をとる入江くんの手に、あたしはまだ触れられてもいない。

「ディ、ディナーは?」
「そんなのどーにでもなるだろ」

やっと二人きりで過ごせるはずだった。
一緒に食事をして、仲良くなるはずだった。
ロマンチックな夜を過ごすはずだった。
そんな些細な願いも聞いてくれないの?

「いやっ!!他の女の人なんか触んないでよ!」

つい、言ってしまった。
口に出すはずじゃなかったのに。
医者を目指してる入江くんが、変な気持ちで診ているわけじゃないのに。
あたしにも触れていない手が、目の前で他の人を触るだなんて、どうしても許せなかった。

入江くんは途端に険しい顔になった。

「いい加減にしろよ。お前医者になろうって男と結婚したんだろ。ちょっとは自覚しろ」

もちろんわかってる。
わかってるんだけど。

「てめえのやきもちなんかつきあってられるか。それができないなら一緒になんかなれない」

入江くんの言葉が胸に痛かった。

やきもち。
そうなんだけど、どうして今、入江くんが医者として診なきゃいけないんだろう。
ホテルのお医者さんに代わることはできないの?

ううん。
入江くんの言うことが正しいのかも。
あたしはこれからこんな光景を何度も見なくちゃいけないかもしれない。
慣れていかなきゃいけないのかもしれない。

でも。

あたしは部屋を飛び出した。

「こ、琴子さん」

あたしの後ろから聞こえてきた声は、入江くんじゃなかった。

入江くんはきっとあきれてる。
いつもみたいにあきれて、そして、もしかしたら…離婚なんて考えてるかも。

医者は、患者を選ばない。
目の前に病人がいたら助けようとする。
きっと入江くんはそう思ってる。
それなのに、あたしは。
ただやきもちをやいて。
あれが巧さんだったら、あたしはあそこまで嫌がっただろうか。
麻里さんだったから。
入江くんと巧さんをトレードしたいなんて言った麻里さんだったから。

恥ずかしい。
あたしってほんとに最低。
入江くんがあきれるのも仕方がない。

いろんな気持ちが渦巻いて、あたしはやみくもに走った。
それこそ、気がついたときには自分がどこをどう走ってきたのかわからないほどに。

外国の夜。
どうしてこんなことになっちゃったんだろう。
新婚旅行なのに。
どうしてけんかなんかしてしまうんだろう。
ハワイの夜。
海はあんなにきれいだったのに、あたしの心は今どろどろだよ…。

周りの景色は見たことのない通り。
見たことあるのかもしれないけど、昼と夜では全く違って見える。
もしかして危ない通りなのかもしれない。
何だか外人がいっぱい。
…当たり前か。
昼間はそこらじゅうに日本人がいっぱいいたのに。
じろじろ見られてるあたし。
ドレスアップしたのに、靴擦れしちゃって、靴を手に持って、一人でうろうろしてるなんて。

どうしよう。
このまま帰れなかったら。
入江くんに会えなかったら。
今脅されてもお金も持ってない。
どこかのギャングに連れて行かれて、あたし殺されちゃうかも…!

そのとき、肩をぽんと叩く人がいた。
恐る恐る振り向くと、大柄な外人があたしを見ていた。


side 直樹



琴子が飛び出していった。
琴子がただのやきもちで言ったんじゃないってことに俺は早く気づけばよかったんだ。
いや、琴子がそんな女じゃないって、俺が一番よくわかっているはずなのに。

堀内麻里は、琴子より先に巡り会いたかったと言った。
新婚旅行で来てるくせに、何を言ってるんだ、こいつは。
それに、琴子以外のどんな女も、後で会おうが先に会おうが、俺にとっては誰も同じ。
それがわかっていない女では、一緒にいる意味もない。
俺は堀内麻里の手を払うと、琴子を捜しに追いかけることにした。
今でも十分遅すぎるくらいだった。

ホテルの下を捜す。
ワイキキのビーチもひと通り捜したが、カップルばかりで琴子はいない。
あいつのことだから、きっと前も見ずに走って迷子になっているに違いない。
ホテルの通りはまだましだが、裏に入ればいくらでも危険な地域はある。
焦るばかりで見つからない。
この際大人数で捜した方がいいだろうと、おやじのマンションに急ぐ。
どうせ皆いるに違いない。
下手な変装でごまかそうとするおやじたちに事情を説明して、俺は引き続き通りを捜した。
ホテルの裏、一本道を外れたところで、親切な人が日本人の女の子が一人で通っていったと教えてくれた。
俺は琴子の姿を捜して走り続ける。
日本人の女の子が琴子だという証拠もないが、こんな時間にうろつく女もそういないだろうから、俺は迷わなかった。

「入江くーん、大好きー」

必死な声が聞こえた。
あまりにも場違いない叫び声に、違う汗が流れる。
走っている通りの先で、琴子が大柄な男に肩をつかまれている。

「成田離婚したくなかったよー」

何を叫んでいるんだ、あいつは。
まだ離婚もしていないし、離婚するなんて一言も言っていないぞ。
やっと追いつき、男の肩に手をかけ、有無を言わさず声をかける。
俺の妻に、触るな。
いったい琴子に何の用があるんだ。
俺も多分必死な顔をしていたに違いない。
琴子の方をつかんでいた男はあっけに取られた顔をして、それから大声で笑った。
英語を理解できない琴子は、男が笑って話す英語の意味に気づかない。
振り向いたその男の胸に輝くバッジを見て、俺はようやく悟ったのだ。
男は、警官だった。

しがみついて泣く琴子を抱きとめ、警官の話を聞く。
小学生が迷子になっていると思ったそうだ。
日本人の女は年齢より下に見られるので、まあありがちな誤解だが、かえってそのために琴子が無事だったと思われる。
いくらなんでもハワイのホテル沿いで一人で歩いている小学生の女の子をどうこうしようという悪質なヤツはいなかったらしい。
幸いだった。
琴子は童顔で、とても21には見えなかったのだろう。
親切に教えてくれた人もそう言えば「女の子」と言っていた。
迷子の女の子に間違われた琴子は、憤りながらも警官に謝り、俺はやっと汗をぬぐった。

「あ、あの…。ごめんなさい」

改めて向き合うと、琴子はしおらしく謝ってくる。

「あたしやきもちやいちゃって…。自分のことばかり考えててやな女だったけど。だけど…」

俺はそれ以上言わせなかった。
俺の中のほっとした気持ち。
なかなか一つになれなくて、いらいらしていた気持ちが出たまでのことだ。
好きな女を前にして、一緒の部屋に寝て、一緒のベッドで横になって、手を出せないなんて、そんな生殺しの気分の全てをこいつはきっとわかってない。
このままずっと一緒になれないんじゃないかって、俺の焦る気持ちなんてわかるわけないか。

「ばかやろう、心配しただろ」

琴子に会えなかった数十分、俺は十分に痛感した。
琴子を失ったらと思う気持ち。
今までにない恐怖。
執着するものがなかった俺の、唯一離したくないもの。
琴子にキスをしながら、絶対に離さないと決めていた。
もうこれ以上焦らされるのはごめんだ、と。

ホテルへ戻る途中、おやじやおふくろたちに連絡するのをすっかり忘れていたことを思い出したが、手をつないで戻る俺たちの後ろ姿を望遠レンズで狙っているのがわかって、そのまま無視することにした。
…俺たちにプライバシーってものはないのか。
一瞬やな考えが頭をよぎった。
まさか、ホテルの部屋に盗聴器でも付いてるんじゃないんだろうな、なんて。
…ありえそうで怖い。
ま、聞きたいなら聞けばいいさ。
その代わり、とびっきりの夜を聞いていられるならば、な。


(2006/10/11)

To be continued.