SWEET SWEET SWEET




side 琴子



裸足だったあたしは、部屋に戻るしかなかった。
入江くんに手をつかまれて、それこそ子どものように歩いて戻った。
本当は大きな手に包まれて、それだけで何だか幸せだったのだけど。

部屋に入ると、いつの間にかルームサービスが届いていた。
入江くんはそれを見ても何の表情も変えずに言う。

「ディナークルーズは無理だったけど、とりあえず食うか」

あたしはてっきり入江くんが頼んでおいてくれたんだと思っていた。
それが違うって事に気づいたのは日本に帰ってからのことだった。
ともかく、二人とも走り回ってお腹はペコペコだった。
豪華な食事じゃなくて、本当に軽食だったけど、それでもとりあえず空腹が満たされて、二人だけの空間が妙に気恥ずかしかった。

ドレスアップした服は見るも無残。
アップにした髪の毛はほつれてぼさぼさ。
泣いて化粧ははげはげ。
何だか最後の夜とは思えない悲惨さ。
裸足の足が汚れていて、あたしは服でその足を覆った。
うつむいたまま涙が出てきそうだった。

「風呂入ってこいよ」
「う、うん」

そう言われてあたしの心臓は跳ね上がった。
すぐに動けなくて、うつむいたままだった。

「じゃあ、俺が先に入る」

いつものように入江くんはさっさとバスルームに入っていった。
怒ってるのかな。
…怒ってるのかも。
心配していたという入江くん。
あんなに汗だくになるほど走り回って捜してくれた。
もちろんあたしがバカだったから。
考えてみれば、いくら堀内夫妻に誘われたとしても、部屋に帰れば二人っきりなんだから(いくら麻里さんが迫っても、同じ部屋には帰らないはず)あれほど自棄酒を飲む必要はなかったのよね。
酒癖が悪いと言われるあたし。
毎日入江くんはどんな目であたしのこと見てたんだろう…。
何だか本当に申し訳ない感じ。
うん、決めた。
あたし、お酒飲まないことにする。

そんな決心を固めていると、入江くんがお風呂を終えて出てきた。
今日はしらふのせいか、入江くんがいつにも増して色っぽく見える。
あ〜、どうしよう。
何だか湯気まで入江くんの色に染まってるみたい。
しかも何だかいい匂い。
…って、あたしってちょっと変態っぽい。

ぼんやりとしていたら、今度こそあきれたように言われた。

「…入ってこれば?」

自分の汗だくの格好を見下ろして、慌てて返事をした。

「行ってきます」

バスルームに入る瞬間に見えた入江くんの顔が、心なしか笑ってるように見えたのは、気のせい?
でもあたしとしては、怒ってるわけじゃないってことがわかって安心した。
このときのあたし、まだ自分の置かれてる立場を理解していなかった。
バスルームから出た後のことを考え付いたのは、湯気で真っ白になった鏡をふいて自分の姿を見たときだったから。

バスルームで服を脱いで、シャワーを浴びる。
今日は酔っていないから、なんとなくじっとバスルームを眺める。
シャワーは高い位置に固定されていて、日本人用に設計されたものじゃないってのがわかる。
入江くんなら苦もなく届くんだろうけど、あたしはシャワーの向きを変えることさえ難しい。
髪を雫が伝って、バスの下に流れ落ちる。
それを見ながら考えていた。
あたし、お風呂は絶対日本のが最高だと思う。
これまで毎日酔っていたあたしは、狭いバスの中で洗うことができず、お湯をバスの外によくこぼしていた。
それを入江くんに何度怒られたことか。

何気なく鏡の曇りを手でぬぐう。
そこに映ったのは、何とも貧弱な身体のあたしだった!
…まずい。
どう見てもあたしの身体ってば、胸はないし、お尻もない。
おまけにくびれもない。
なんて幼児体型なのっ。
それに、よく考えたら、あたし、今夜こそ入江くんに抱かれるはずよね。
それを望んでいたはずのに、この身体をさらすのが急に恥ずかしくなってきた。
Cカップになったら抱いてやるって言った入江くんの言葉が頭の中にぐるぐると回る。
Cカップなんてどう見てもないんだけど。

「ああ〜」

鏡に向かって思わずため息をつく。
ど、どうしよう。
入江くんはこんな身体でもいいよって言ってくれるかしら。
バスルームを出た後のことが急に心配になって、落ち着かなくなってきた。
ね、念入りに洗っておくべきよね。
それから、お気に入りの下着に…。

「ああ!」

あたしってば、何も考えないで、普通の下着に普通のシャツを持って入ってきちゃった…。
…初夜なのに。
何だかここまで来るともうどうにもならなくて、あたしは覚悟を決めて服を着た。
理美やじんこの言葉がまたもや頭を駆け巡る。

『そうねぇ、最初は…痛いわよ』
『そうそう、何て言うのかしらね、あの痛みは』
『やっぱり痛いの…?』
『や、やだ、大丈夫よぉ。天才な入江くんなら、痛くない方法があるかもよ』

…なんて言っていたけど、本当にそんな方法があるのかしら。
でも、あたしは入江くんに全てを任せるって決めたから。
痛いのはいやだけど…。
うん、大丈夫。
そうね。
…痛くても我慢しよう。

あたしは覚悟を決めてバスルームの扉を開けた。


side 直樹



部屋に戻ってからの琴子は、放心したようにおとなしかった。
これから自分の身に起こることに気をとられているわけじゃないみたいだったが。
わかっているんだろうか。
今夜、俺がお前を抱くってことを。

頼んでもいないルームサービスが届いていたが、もう俺は驚かなかった。
誰の仕業かはわかっていたし(おふくろだ)、ディナーを食べ損ねた俺たちは、そんなことに気を回す余裕もないほど空腹だったからだ。
空腹が満たされると、別の欲求が頭をもたげてくる。
人間の三大欲求とはよく言ったものだ。
その欲求を満たすためには、さっさと風呂に入ってしまおう。
そう思って、時間のかかりそうな琴子を先に風呂に促した。
琴子は風呂に促してもまだぼんやりとしていた。
俺は待ちきれなくて、さっさと先に入った。
もしかして、今さら俺に抱かれる決心がつかないとか言うんじゃないだろうな。
そんなことまで考えた。

風呂から出ると、琴子は何か意を決したようだった。
俺の思い違いじゃなかったらいいけどな。
そんなことをチラッと考えて、もう一度風呂に促す。
慌てたように今度はバスルームに入っていった。
琴子はまだ何も考えていないのかもしれない。
俺はやっとそれに気づいて苦笑した。

バスルームに入った琴子をじっと待つ。
ベッドの端に座っていると、バスルームの中から「ああ〜」というため息のような声が聞こえた。
また一人で変なことを考えているのかもしれない。
続いて「ああ!」という慌てたような声まで聞こえた。
聞きようによっては色っぽい声も、琴子にかかれば、何かおかしなことを思いついていなければいいが、と心配の種になる。

俺は琴子が出てくるまでの間に雪の日を思い出していた。
あの日もこうして琴子が風呂から出てくるのを待っていた。
何も考えずにいることに徹して、琴子に俺のパジャマが大きすぎたことくらいしか覚えていない。
そのパジャマが大きすぎることに気づいただけでも、俺にとっては微妙な心境だった。
こんな風に仕掛けられた罠で抱くのは間違ってる。
そう思っていた。
でも今日は違う。
たとえ今夜のが罠だったとしても、遠慮はしないし、ためらいもしない。
遠慮なんかしていたら、手に入らないものもたくさんあると気づいたから。
本当に大事なものは、ためらわずに手に入れる。
唯一つ心配なのは、手に入れたいものが壊れてしまわないかということだけだ。

やがて、湯気と一緒にほかほかになった琴子がバスルームから出てきた。
今の気分を一言で言うなら、これに尽きる。
…遅い!


(2006/10/12)

To be continued.