Angel Qest



第十四章 全ての終わり


選択肢1:そのまま逃げ続ける。

1.涙のキッス

うやむやのうちに婚約することになったコトリンとナオーキだったが、婚約の発表が終わった途端にコトリンはあまりの急な出来事に目を回して倒れてしまったのだった。
何か言おうと思うたびに押し切られ、しかもその場に呼ばれていたのは紛れもない自分の父親だった。
父親は急馬の知らせに腰を抜かしかけたが、そのまま馬車に押し込められて城に連れてこられたのだった。
倒れたコトリンを心配して、ナオーキは一度自室に下がることにした。何せ婚約自体が二人にとって初耳なのだから、話し合うより他はない。

コトリンは運び込まれた部屋で程なく気がついて、自分の格好に気がついてもう一度倒れそうになった。
どうやらナオーキ王子との婚約は、夢ではなく本当のことだったと実感したからだ。
この大騒ぎをどうやって止めたらいいのかもわからず、コトリンはただ一人青ざめていた。
確かにコトリンにとって王子はとても大好きで大事な人に間違いなかったが、それまでも身分違いだとかが気になって、まさか自分が王子と結婚できるとは思っていなかったのだ。
せいぜい思い出を胸に家に帰って、くらいのことしか考えていなかった。
もちろんナオーキ王子が他の人と結婚するのを見るのは本当に辛いことではあったが。

「ど、どうしよう」

まさか自分が?という思いでいっぱいのコトリンの元に、ナオーキがやってきた。

「えーと、どうぞ」

今まで親しげに口を利いていたナオーキだったが、こうやって城に戻ると、本当に王子様なんだとコトリンはしげしげとナオーキを見た。

「気分はどうだ」
「あ、はい、大丈夫です。ですが…」

ナオーキはため息をついた。

「おまえも驚いただろうが、俺も驚いた」
「あ、はい」
「どうする。逃げ出したいのなら、今のうちだぞ」
「え、あの…」
「俺は…この国から逃げられないからな」

その言葉を聞いてコトリンは悲しくなった。

「そうして、王子様はまた一人になるんですか」
「そうだな」
「でも、そのうち結婚されるんですよね」
「さあな」
「でもってその相手は…きっとどこかのお姫様なんですよね」

そこまで言うと、ナオーキはかなり不機嫌そうにコトリンを見た。

「つまり、おまえは、俺とどうしたいんだ」
「あた、あたしは…」
「おまえは、俺と婚約したんじゃないのか」
「でも、それは、だって、王子様の意思なんてどこにも…」
「おまえは、俺を一人にするのか」
「そ、そんな」
「それなら、不都合はないだろ」
「…あたしが好きでも、王子様はあたしのことなんて好きじゃない…」

その瞬間、コトリンはナオーキに抱きしめられていた。

「俺は誰も求めてはいなかった」
「はい」
「生涯俺が求めるものには出会わないだろうと思っていた」
「ナオーキさま…」
「無償の愛なんて嘘だと思っていた。
それなのに、それを信じてみようと思ったのは、誰のせいだ」
「あ、あたし?」
「おまえは、俺に命をかけてもいいと言ったよな」
「は、はい…」
「一生俺のそばを離れられないぞ。いいのか?」
「はい…、一生、絶対、離れません」
「責任とって俺の妃になるだろ?」
「うう…ナオーキさまぁ…」
「…ここは返事だろ」
「はい…はい〜」

泣きながら返事をしたコトリンにナオーキはそのままそっと口付けた。


2.キッスの裏側で

人工呼吸ではない口付けを繰り返され、コトリンはうっとりとナオーキを見た。
気がつくとベッドの上に倒されていた。
今まで旅を通じてあまりにも身近で過ごしていたので、コトリンはベッドに倒されてもなお気にはならなかった。

ナオーキのほうは、想いを新たにして心境が変わったのか、たまたま抱きしめて婚約の証に口付けた場所がコトリンが寝かされていたベッドの上だったので、身の内に灯った思わぬ火を消せずにいた。
どうせ婚約したのだからとこのまま先に進んでしまっても文句は出ないだろうと思ってもいた。
それなのに、コトリンのこの安心しきった様子はどうだろうと思わず見返した。

「…コトリン、そんな簡単に押し倒されるなよ」
「え、あの、ナオーキさまはお疲れだったんじゃ…」
「いくらお疲れだからって今口付けたばかりの女を押し倒して寝るかよっ」
「あ、そ、そうですか。えーと、では、ど、どうぞ」
「…いいのか」

少々呆れながらもナオーキは再びコトリンに口付けようと顔を近づけた。

「コトリーン!」

そのとき、奥のほうから騒がしい呼び声が聞こえた。
思わずちっと舌打ちをするナオーキだったが、その騒がしい声の正体に気づいて体を起こした。

部屋に入ってきたのは王妃だった。お供のものを振り切る勢いでやってきたため、中を確かめることもせずに扉を開け放した。
王妃は不機嫌そうに立っているナオーキを見た。
その脇のベッドに今まさに押し倒された体を起こそうと苦戦しているコトリンを見た。

「あら」

驚いたように声を上げる。
最初にナオーキを捜すように命じたが見当たらず、倒れたコトリンが心配で駆けつけたわけだが、まさかコトリンの所にナオーキがいるとは思っていなかったのだ。

「あらあらあら…」

顔をほころばせ、王妃は今自分が駆けてきた理由も忘れて言った。

「孫が見られるのはいつかしら」
「見られねーよっ」
「あら、残念」
「…だったら邪魔すんなよ」

ナオーキの声は聞こえなかったようで、思い出したように王妃は言った。

「そうそう、忘れるところだったわ。
今、使いの者がサホーコ王女が無事に戻ったと親書を携えてきたの」
「使いの者?」
「ええ。ちょっと変わった方たちで、どこかの王族かもしれないのよね」

ようやく起き上がって服を整えたコトリンは「ナオーキさま、まさか…」とナオーキを見た。
ナオーキはうなずいて、コトリンの手を取ると、二人で広間に向かって戻っていった。

「まあ、仲のよいこと。
これならすぐにでも孫が見られそうねぇ」
二人の様子を目を細めてみながら、慌てて後からそばにやってきたお供の者に王妃はそう言ったのだった。


3.かつての仲間たち

広間にやってきた二人は、広間の片隅に立っている一行を見つけた。
黒服の騎士、ひょろりと背の高い従者、男だか女だかわからないきれいな顔立ちの者、御付きの者にしてはやけにお色気いっぱいの女の四人だった。

「なんだか気になる組み合わせね」
コトリンはそう言ったが、もちろん会ったことはない者たちだ。

「サホーコ王女を送り届けたというのは、貴公らか」
ナオーキ王子が声をかけると、黒服の騎士が顔を上げた。
「これは王子様、ご婚約おめでとうございます。
サホーコ王女の件なれば、確かに我らですが」
「…その口調と声に聞き覚えがあるんだが」
「そうでしょうとも」
「やはり、魔王…。何しに来た」
「え、魔おっふがっ」
ナオーキの言葉にコトリンは驚いて思わず大声を出すところだった。
口をナオーキにふさがれたまま、黒服の騎士を凝視した。
「心外だねぇ。こうしてサホーコ王女も無事に届けた恩人に対して」
「何か魂胆があるだろう」
「…王子はあんな目にあっても、親切心というものを学ばなかったみたいだねぇ。
まあ、いいさ。僕のことはウエスト王国ガッキー・イースト公爵とでも呼んでくれたまえ」
「王じゃないんだ」
思わずポツリと言ったコトリンの言葉にガッキー公爵はよくぞ聞いてくれたとうなずいた。
「そりゃ僕だって一国一城の主だったわけだしさ、王を名乗ってもいいんだが、僕くらいの美貌で王を名乗るとこれまた花嫁候補がわんさと押しかけてくるからね。
とりあえずまだまだ遊びたいわけ」
「…十分遊んだくせに」
公爵の隣でぼそりとつぶやいたのは、従者の一人だった。
「まあ、そんなわけでサホーコ王女の婿候補にもなりかねなかったからさ、下手に王を名乗れないんだよねー」
「…で、この国に来た目的は」
「つくづく君はひねくれてるね。もちろんお祝いに決まってるじゃないか、婚約の」
「そんな単純な動機を信じるとでも?」
「君が信じないのは結構だけどさ、とりあえずそのコトリンを離してあげたらどうだい」
ふと見ると、口を押さえられたまま、コトリンはしっかりとナオーキの片腕に抱きかかえられていた。
「く、くるし…」
不機嫌なまま、ナオーキはコトリンの口元を覆っていた手を離した。が、しっかりと片手でコトリンの腰はつかんだままだ。

「やあ、コトリン。こんな偏屈のそばに一生いるなんて、君も変わり者だねぇ。
こんな自己愛の強い変態は放って僕を選べばよかったのに」
「いえ、ナオーキさまはこれでいいんです。それにあなたさまのそばになんていたら、あの暗い城から出られないじゃないですか」
「ふーん。まあ、仕方がないか。
おっと忘れるところだった。君たちに僕の従者を紹介しよう」
そう言って横と後ろに控えていた従者を指し示した。
「護衛にもならないフナーツと女になりたくてもなれないモトーキに思ったより貞淑なマナリン。
さあ、君たちもお祝いの言葉を」
コトリンは、紹介を受けた者たちを見た。
思わず涙が溢れ出る。

「このたびはおめでとうございます。私もマナリンと婚約する日も近いでしょう」
「ありがとう、フナーツ。マナリンと婚約?ホントに?」
「嘘ですっ、これっぽっちも信じないでください。相変わらず騙されやすいんだから。
めでたく王子を手中におさめたその手練手管を教えてほしいくらいだわ」
「…マナリンってば…」
「おめでとうございます、ナオーキさま。あなたさまの肌からお別れしたあの日から、アタシは夜も眠れません」
「ちょっと、モトーキ、誤解するでしょ、他の人がっ。もう、ずうずうしいんだから」
ナオーキのほうばかり向いているモトーキから隠すようにコトリンが手を振り回す。
従者たちを見ながら、懐かしさにコトリンは泣いた。
勝手に涙が溢れ、それでも楽しげに笑う。
コトリンは心から言った。
「…よかった。解放されたのね」
従者たちと黒騎士は、コトリンとナオーキに深々とお辞儀をした後、人ごみに紛れて消えていった。
またどこかで会うかもしれないが、もう二度と会わないかもしれない。
かつて旅をした、その仲間たちだった。
その姿は目にしたことがなかったが、常にそばにいて話をした者たちだった。
ナオーキに促されるまで、コトリンは消えていったその後姿を追うかのように目を離せなかった。


4.大団円

「コトリン!」

城中に声が響いた。
その声には怒りが含まれていたが、城の者たちはそれがナオーキの声であることを認めた途端に興味を失ったらしく、部屋から覗かせていた顔を引っ込める。
あの冷静で城中に響き渡るような大声で怒るようなことなどないと思われたナオーキ王子だったが、コトリンと共に帰国してからそれは覆された。

「おーまーえー、いい加減に勝手に城下に行くなとあれほど言ったにもかかわらず」
「ご、ごめんなさぁい。だって、昨日野菜売りのおばさんが…」
「野菜売りなど城へ呼び寄せればいいだろ」
「それじゃあ、おばさんの商売が困るじゃない」
「…ふん、それじゃあ城で全部買い取ればいいじゃないか」
「でも、おばさんの野菜を待っている人もいるのよ」

いつものように口げんかが始まるが、誰も止める者などない。
いや、最初はもちろん止めようとしたのだが。

「ナオーキさまに報告するならいいんでしょ」
「…どうしても行きたいなら俺がついて行く」
「ナオーキさまのお仕事が困るんじゃ…」
「そんなのどうにでもなる」
「じゃ、じゃあ、明日はからくりじいさんのところに行く予定なの。
ナオーキさま、一緒に行ってくれる?」
「…それは俺の師匠だ」
「あ、そうなの?どうりであのおじいさん、お城のことに詳しいと思った」
「仕方がないな…。久しぶりに挨拶に行くのも悪くないだろう」
「ありがとう、ナオーキさま」

そう言ってナオーキにコトリンが抱きつけば、ナオーキさは大きなため息をつきながらやれやれといった感じでコトリンを抱きしめ返す。
結局どんなやり取りをしていてもこうなるのが追々わかってきて、城の者たちは心配することが馬鹿馬鹿しくなりやめたのだった。
コトリンが来てから、城の中は騒がしい。
騒がしいが、決してそれも悪くない。
ただ静かだった頃に比べると、コトリンの陽気な声が響くだけで活気が出てくる。
光の戦士だったとはいえ、王子と比べればただの庶民のコトリンを良く思わない者もいたが、そのほとんどは認めざるを得なかった。
何よりもあの王子の変わりように驚いたからだ。
いつも厳しい顔をしながら歩いていた王子の表情はいつの間にか穏やかになり、所構わずコトリンを怒鳴りつけ、口では厳しいことを言いながら結局はコトリンに振り回されている姿を見れば、それも仕方がないことだろう。
王妃の気に入りようも意外だった。
自分の娘のように可愛がる王妃に逆らえるものなど誰一人いないのだから。
王ですらコトリンに甘い。
既に自分の娘のような扱いだった。

コトリンの父は知らせを受けて驚いて飛んできた。
文字通り城からの迎えと手紙にわけもわからず呼び寄せられ、懐かしき王との対面を果たし、娘の婚約を知り、自分の元に帰ってこないさみしさを募らせたものの、娘の幸せそうな様子を見ると、黙って帰っていった。
コトリンはもちろん自分の故郷に帰ることなくさみしい思いもしていたが、いずれ連れて行くというナオーキの言葉を信じていた。ナオーキならきっと言葉通りにしてくれるだろうと。その際には多分二人だけでこっそり旅をして、あの魔王の城へ向かったときのような高揚した気分をもう一度味わうのだと思っている。

「コトリン、お茶にしましょう」

中庭に出ていたコトリンとナオーキが振り仰ぐと、窓から王妃が手を振っている。
王妃がこんなにはしゃいでいるのも城の者たちは見たことがなかった。

「はい!」

手を振り返してコトリンは駆け出す。
ナオーキはその後をついて行きながら、駆けるのに合わせて揺れるコトリンの髪が光に透けるのを見ていた。
初めてコトリンに会ったあの裏庭で、コトリンの髪が今と同じように光に透け、いきなり光の中から現れた気がした。
実際には自分の姿は女の子だったし、木の上だったりしたのだが、コトリンの姿を眩しそうに見つめたのは間違いない。
柄にもなく、ああ天使が現れた、と思ったのだ。
この天使を捕まえることができれば、もしかしたらこの窮屈な生活から逃げ出せるのじゃないかと思った。
実際のその後から男の姿に戻り、こうしてコトリンと生活するようになって、明らかに以前とは違う生活を送っている。

「そんなに走ると転ぶぞ」
「大丈夫!…あっ」

やはり転びかけ、コトリンはナオーキを振り向いてばつが悪そうに笑った。

「あの部屋まで間違えずにたどり着けるのか?」
「…た、多分」
「無理だな。行くぞ」
「はぁい」

コトリンに追いついたナオーキはコトリンの手をつかみ、心密かに笑う。
確かにこの手に捕まえた。
いや、捕まえられたのは俺のほうだったか。
隣で天使のごとく笑うご機嫌なコトリンを見ながら、ナオーキはつぶやいた。

他の誰のものでもない、俺の天使。


Fin